2019.06.01

【平野紗季子のスイーツタイムトラベル 第2回】1998年の硬派なプリン

おやつをめぐる記憶にまつわる、エッセイ連載

お菓子は甘い総合芸術。味に意匠に文化に歴史。だからこそ、たったの一口で時空を巻き戻すことすらできるのだ。昔の味も未来の味も、自由自在の時間旅行記。

 プッチンプリンを日常的に食べ、パステルのなめらかプリンを第一として育ったプリンやわらか世代の私は、初めて“こぬれ”のプリンを食べたときそれはもう驚いた。「固い! しかも卵の味が! する!」。プリンは食感だけでなく、卵を味わう食べ物だったのか……。プリンが液状化する前の時代の硬派な味に、当時高校生だった私はガツンとやられてしまったのだ。

 “こぬれ”は1998年にパティシエの加賀和子さんが開いた洋菓子店だ。彼女がかつて働いていたレストラン“キャンティ”の伝統の味を引き継ぐ特製プリンは、すくっと直立する三角形。その佇まいには、おいしそうと美しいが同じ量だけ含まれて、艶やかなカラメルは黒い鍵盤のようで、口に運べばつるんとした歯ごたえとともに卵の香りが充満する。なめらかすぎず、かといってボソボソとした無骨さはない。和子さんの真剣な火入れが、心地よい固さと喉ごしを同居させて特別を連れてくる。添えられたラム酒漬けレーズンに寄り道すれば世界に色気が加わって、プリンは大人と子どもを行ったり来たり。「働く女性を癒やすお菓子でありたいの」。そう和子さんに言われて、味の秘密が腑に落ちる。肩肘張らずに甘えられる、だけどちゃんと大人味。もうダメだと思う日に“こぬれ”のプリンが食べられたら。きっと明日も頑張れる、って油断したら泣いちゃいそう。これは、私たちのお菓子なんだ。

 それだけスペシャルな存在のくせ、なぜかアルミの箱で売られているのも余計に愛しい。ずらっと並ぶと機内食みたいで、ビーフorチキンorプリン? って言われたい。「おばあちゃんになるまで作り続けるのが夢なの」。そう言って笑う和子さんは少女のようで、どこまでも一生懸命で、まさに“こぬれ”のプリンが似合う人だった。

こぬれ広尾
●東京都渋谷区広尾1の10の6 広尾ピア寿々1F
☎03−5475−6828
営業時間 11時~19時 不定休 
※焼き菓子とプリン(税込み¥530)は売り切れ次第終了。ケーキとフロランタンは完全予約制

PROFILE
ひらの さきこ●1991年生まれのフードエッセイスト。雑誌連載のほか、お菓子やイベントのプロデュースも手がける。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)がある。日頃の食生活はInstagram:@sakikohirano にて。

SOURCE:SPUR 2018年8月号「スイーツタイムトラベル」
photography:Masaya Takagi styling:Keiko Hudson

FEATURE
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