認知症になっても、幸せに生きていく。心の糸をつなぐということ

2025年に約700万人、高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症になると見込まれている。超高齢社会の日本において、認知症は誰もがなりうる、身近なこと。一方で、症状や実態を正しく理解していない人は多く、いまだ根強い偏見が存在するのも事実だ。そんななか、毎年春に開催される京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIE 2023で発表された、ある展覧会が反響を呼んだ。認知症の取材を続けているフォトジャーナリスト・松村和彦さんの「心の糸」。京都市内の町家建築を会場に、認知症の人や家族、彼らを支える人たちのありのままの日常を、心の機微を、誠実に切り取り、像として写真に収めた。「わたしたちは、何を幸せと感じる社会をつくるべきなのか?」松村さんの作品とことばを通じて、これからのよりよい社会のことを考えてみたい。

写真の向こうに大切な人を思って。 一本の「糸」が紡ぐ物語

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「認知症から学んだことを伝えたい」。その思いが原動力となった。京都新聞社の写真記者である松村和彦さんは、2017年から認知症のプロジェクトをスタート。取材で出会った人たちへの丁寧な聞き取りと綿密なリサーチを重ねながら、数々のフォトストーリーを作り上げてきた。2022年、KYOTOGRAPHIEと同時期に開催される公募型コンペティション・KG+SELECTで作品を発表し、グランプリを受賞。翌春、KYOTOGRAPHIE 2023のオフィシャルプログラムとして開催されたのが、今回の展覧会「心の糸」だ。展示タイトルは、取材対象者のひとりである谷口政春さんと、アルツハイマー型認知症になった妻・君子さんのエピソードに由来する。

1997年元日

妻と私の心の糸が切れた日でした。

呼びかけても何も応えてくれません。

しばらくして私を「お父さん」と呼びます。

配偶者としての夫でなくなりました。

いつか来る道と覚悟していました。

父親を演じることで、心の糸を結び直しました。

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夫である自分のことを「お父さん」と呼ぶ妻・谷口君子さんに対して、父親を演じることに決めた政春さん。2人の写真をつなぐ糸は一度切られ、再び結ばれている。「断ち切られた心の糸は結び直せる」という政春さんの思いを表現した。

京都市指定有形文化財の八竹庵(旧川崎家住宅)を舞台に、展示は4つの部屋に跨って構成された。認知症の症状や、心に及ぼす影響を追体験できる部屋から始まり、続く3部屋では松村さんが向き合ってきた取材対象者のあゆみを、写真とテキストで表現。天井を通る一本の「糸」が、来場者をいざなうようにすべての部屋をつないでいた。

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展示タイトル「心の糸」にちなんで、綿布の帯に写真とテキストをプリントした作品。

作品の展示方法は、布帯や障子紙へのプリント、映像投影まで多岐にわたる。各部屋の空間に溶け込むよう工夫が凝らされ、来場者は時空を超えて、写真にうつる人たちの人生をともにあゆんでいるような錯覚を覚えた。儚くも美しい作品群を前に、ことばにならない思いがこみ上げる。会場で静かに涙を流す来場者に、松村さんからそっと声をかけることもあった。

「展示の写真の向こうに、ご自身の家族を見つめて涙を浮かべる方が多くいらっしゃいました。その涙は、家族を愛する温かな気持ちと、『あのときもっとこうしてあげればよかった』という後悔とが入り交じって生まれた感情なのだと思います。ご家族との大切な思い出をお持ちなんだなと感動する一方で、認知症に対する社会的な支えが足りないために、悲しみや苦労が生まれている現実があることも実感しました」

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1つ目の部屋「認知症の世界」は、来場者が写真を通じて認知症の症状を体感できる空間に。

言葉がもたらす誤解と偏見。 診断までの「空白期間」

認知症とは、「病気やけがなどにより脳がダメージを受け、認知機能が低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態」を指す。脳の一部が萎縮するアルツハイマー病をはじめ多くの原疾患があるが、記憶や見当識(時間や場所などを把握すること)に影響を及ぼしたり、理解力や判断力の低下を引き起こしたり、生活に問題が出てくる状態のことをいう。重度の症状ばかりが強調されるなかで、長年取材を続けている松村さんは、認知症を正しく伝えることの難しさを痛感していると話す。

「認知症の症状は個人差が大きく、人によって進行スピードもさまざま。工夫すればこれまで通り日常生活を送る方もいらっしゃれば、寝たきりに近い状態の方もいらっしゃいます。今の社会全体に根強く残っているのは、『認知症になると何もわからなくなってしまう』という誤ったイメージ。日本政府が『認知症』という呼称を用いるようになったのは2004年のことですが、いまだに『ボケ』や『痴呆』という言葉を無意識に使う人もいる。たとえそこに悪意や侮蔑的な意味合いを込めていないとしても、その言葉の持つネガティブな雰囲気に引っ張られてしまうのが、言葉の恐ろしい側面です」

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道に迷ったとき、心を落ち着かせてスマホを取り出し、地図をタップする。「もやの中で輝く確かさ」という認知症の人の感覚を再現。

認知症と聞いて、「徘徊」という行動を結び付ける人も少なくないだろう。少し前の記憶がなくなったり見当識が薄らいだりすることによって、道に迷いやすくなるのは認知症の初期症状のひとつだ。しかしこの「徘徊」こそ、認知症に対して過度な恐怖心や不安を与え、無意識の偏見を生む言葉にほかならない。

「『徘徊』という言葉には、『あてもなく』というニュアンスが含まれています。でも実際の認知症の方はちゃんと目的や理由があって外出されているので、単にうろうろしているわけではありません。認知症の方の行動を適切に表していないにもかかわらず、『徘徊』という言葉の先入観が、恐怖心や羞恥心を増幅させているのです。そういった思い込みが、『認知症の疑いがあっても認めたくない』『周りに知られたくない』という心理状態を強め、早期診断の支障になることも。これによって診断までの『空白期間』が生じてしまい、その間に行方不明になってしまうケースも少なくありません。早い段階で医療や福祉とつながることで、正しい情報やケアを得ることができます」

警察庁によると、認知症やその疑いで行方不明になった人は、2022年に1万8709人にのぼり、過去最多となった。行方不明になっても大半はその後無事に見つかっているが、まれに不幸につながることもある。松村さんが取材した森糸子さんの夫・重夫さんもそのひとりだった。重夫さんの様子の変化に気付き始めた糸子さんが、病院に連れて行こうと決心した直後、重夫さんは行方不明に。家を出た翌年、結婚当初2人で暮らしていたアパートの近くの竹やぶで、帰らぬ人となって発見された。

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行方不明になり命を落とした森重夫さんの妻・糸子さんの後ろ姿。半分は像が残り、もう半分は失われている。重夫さんが生前好きだった場所で撮影した。

2つ目の部屋「ともに歩く」には、重夫さんが生前好きだった場所で撮影した糸子さんの写真が展示されていた。後ろ姿を半分透けるように撮ることで、その人物像は糸子さんとも重夫さんとも捉えることができる。

「重夫さんが大好きだった場所に、重夫さんはもういない。夫を失った喪失感を表す写真である一方、風景に残像を残すことで、重夫さんが糸子さんの中で生き続けていることを表す写真でもあります。重夫さんのように命を落としてしまうケースはごく一部ですが、人命はとても尊い。重夫さんが私たちに残してくれた課題を、しっかりと伝えるべきだと考えました」

写真は「祈り」。 悲しみのその先を見る

松村さんにとって写真表現のターニングポイントとなったのは、認知症の下坂厚さんとの出会いだった。下坂さんは現在50歳。4年前に、若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けた。認知症の症状が現れると、「周囲がモノクロになり、自分だけが取り残された感覚になる」「朝か昼か夜か、わからないことがある」。下坂さんの証言にもとづき、松村さんの作品づくりは症状を再現することから始まった。細かい部分を詰めながら、ありのままを写真に閉じ込めようと試みたが、あるとき認知症の辛い面ばかりにフォーカスを当ててしまっていることに気が付いた。

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「道に迷うと、頭に霧がかかったように真っ白になる」。下坂さんの証言を視覚的に表した部屋。

「認知症に対する偏見に自分自身も引っ張られて、全体像を捉えられていないことに危機感を持ちました。自分のやろうとしていることは、レッテルを上書きしているに過ぎないのではないかと。では何のために写真を撮るのか。改めて考えたとき、下坂さんがこう仰ったんです。『今を記録できる写真は祈りのようなもの。写真を通じて、認知症のいい面も悪い面も知ってほしい』。そのことばにハッとさせられました。ものごとの一面だけを見てはいけない。悲しいことのその先を見なければいけない。そう視点を変えることができました」

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「幸せです」と話す下坂さんの日々をうつした写真群。

下坂さんは認知症の診断を受けたとき、人生が終わったと思うほどの深い絶望を味わった。それまでの職を辞め、紹介してもらったデイサービスの仕事に就くと、そこで人生の転機が訪れる。高齢者と日々触れ合うなかで、人と人が支え合い、つながりながら生きていくこと、日々の小さな幸せを見つけることが、かけがえのない時間だと思えるようになった。認知症を受け入れられるようになったとき、それまでの成果主義的な価値観が一変したという。3つ目の部屋「心の旅」では、そんな下坂さんの世界の広がりを、人生の彩りを、白のスペースで表現した。窓から差し込む温かな光のように、希望に満ちた空間だった。

「近年、認知症ケアで大切にされている考えとして、臨床心理学者のトム・キットウッドさんが提唱した『パーソン・センタード・ケア』があります。知識が最高の地位を占める経済第一主義の文化では、認知症の人たちは疎外されてしまう。そうではなく、もっと人を尊重し、心や思いやりを大切にできる『新しい文化』を築くことができれば、認知症や老い、ひいては死を受け入れやすい社会になると示されていて、まさに下坂さんの生き様を象徴する考え方だと思います。

認知症への意識は、この50年間で大きく変わりました。医療や福祉の助けもなかった1970年代と比べると理解は進み、ケアについてもわかってきました。まだまだ課題はあるものの、この先もいい方向に変わっていくと願いたい。単純なことかもしれませんが、知ることが状況を変えていくと信じています」

制度の壁を越えて。 認知症になっても安心して暮らせる社会へ

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会場では、展示の内容や認知症に関することをまとめた新聞が無料配布された。「縁側で新聞を広げて読んでくださる来場者の姿がとても印象的でした」と松村さん。

認知症の人たちやその家族を生きづらくしているのは、偏見だけではない。彼らの苦労は、制度面において社会が追いついていないことから生まれるものでもある。2023年6月に成立した「認知症基本法」は、認知症施策の推進を国の責務と定めている。認知症の人たちが尊厳を持ち、安心して暮らせるようになるために、今の社会に必要なこととは?

「高齢者を支える主な制度に介護保険がありますが、現状の介護保険サービスでは認知症のケアに対応しきれていないことを、取材を通じて目の当たりにしました。一般的に初期の認知症と診断されると、要介護1あるいは2に認定されるのですが、1・2で受けられる介護保険サービスは十分ではない場合があります。認知症の初期であっても、外出して道に迷ったり、昼夜逆転したり、本人も家族も混乱が大きくなりがちだからです。ただでさえケアが足りていないのに、増大する社会保障費の圧縮のために、国は要介護1・2を介護保険から外し、地方自治体が運営する総合事業に移管する案も検討しています。そんな流れの中で、認知症の人が700万人になる時代を迎えようとしています」

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4つ目の部屋「心の糸」で、谷口さん夫妻の在宅介護の日々を紡いだ最後の帯の写真。

「心の糸」の最後の部屋では、谷口政春さんとアルツハイマー型認知症だった妻の君子さんとの約25年間に及ぶ在宅介護の日々をたどることができた。政春さんとホームヘルパーが記した75冊の連絡ノートをもとに紡がれた、深い深い愛の物語だ。君子さんが楽しく暮らせるようさまざまな工夫をしながら寄り添ってくれたホームヘルパーは「天使のよう」と記され、ピンチをチャンスに変えながら生きていく喜びが綴られた。一方で、早朝や夜間に必要なケアが届けられず、介護制度の不備を垣間見る記述もあった。

断ち切られた心の糸は、きっと結び直すことができる。でもそれが再びほどけてしまわないように、かたく結び直すためには、周囲の支えや助けが必要不可欠だ。

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認知症になったら何もできなくなるわけではない。地域との関わりを持ちながら、周囲の力を借りながら、自分の力を生かし、発揮する。認知症の人が社会参加できる機会を拡充する必要があると、松村さんは強調する。

「認知症と診断された後も住み慣れた地域で過ごしていくためには、社会的な役割や居場所、つながりを持ち続けることが大切です。例えば認知症の人が外出しても、近隣の人たちの見守りがあれば声かけができる。警察に保護されるのではなく、一緒に散歩しながら家に帰ることもできる。地域にささやかなケアがあるだけで認知症の人は暮らしやすくなるし、それが進行を遅らせることにもつながります。最近は認知症条例を制定する自治体も増えてきました。認知症の人を突き放し、活躍の場を奪うのではなく、ともに歩み、受け入れる地域を目指す。その重要性を、取材を通じて感じ取っています」

見えにくいものを視覚化する。早川医師から託された宿題の続き

そもそも、松村さんが認知症プロジェクトを始めたのは、地域医療に長年携わっていた医師の早川一光さんへの取材がきっかけだった。高齢者を支え、みとる立場にあった早川さん自身が晩年に在宅医療を受ける側となったとき、「こんなはずじゃなかった」と思いを吐露した。老いと向き合うのがこれほど大変だったとは。高齢者支援が思い描いていた理想とこんなにもかけ離れていたとは。早川さんのことばの裏にはそのような意味が隠されていると、松村さんは理解した。

「早川先生は取材のなかで、『見えないものをうつしてほしい』と仰いました。それは、高齢者を支える理想的なケアとは何か、それを実現する上での課題は何なのかを示すことでもありました。早川先生は他界されましたが、僕は今も、先生からもらった宿題の続きをやっているつもりで認知症プロジェクトに取り組んでいます。認知症という見えにくいものを、社会的な課題を、写真を通じて視覚化すること。それが僕に課せられた使命だと思っています」

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7月に上梓された書籍『認知症700万人時代ー ともに生きる社会へ』(かもがわ出版)

展覧会「心の糸」は終了したが、展示内容を収録した単行本『認知症700万人時代ー ともに生きる社会へ』(かもがわ出版)が7月に刊行された。京都新聞で認知症の大型連載企画をともに手がけてきた記者・鈴木雅人さんとの共著である本書は、同連載を再構成した内容となっているほか、展覧会では紹介されなかったフォトストーリーも織り込まれている。さらに、2023年9月には京都市内のギャラリー・RPS京都分室パプロルにおいて、写真展「心の糸を紡ぐ」を開催。9月21日の世界アルツハイマーデーに合わせて「来場者が認知症について知り、気軽に話し合える場を提供したい」との思いから企画された。

「取材で出会った方からは、自分が知り得なかった多くの大切なことを教えていただきました。認知症の取材はこれで終わったわけではなく、まだ途中の認識。認知症が進行して会話が難しい人たちの心の声を表すにはどんな方法があるのか。展示ではなく、写真集というかたちならどんなことができるのか。報道機関に携わる人間として、『伝える』ということを追求していきたいと思っています」

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2004年10月、京都市で開かれた国際アルツハイマー病協会の国際会議で講演した認知症の越智俊二さんは、壇上からこう語りかけた。「わたしたちが安心して暮らせるよう、手を貸してください」。正しい理解と支援があれば、認知症の人は生き生きと暮らしていける。越智さんが世界に訴えてから20年近くたったが、認知症を受け入れにくい状況は今もなお続いている。「わたしたちは認知症の人たちや家族らの声を聞いていただろうか。その取り組みを見ていただろうか。いま問われているのは、わたしたちだ」。松村さんの著書に書かれていたこのことばを、胸に刻みたい。

松村和彦 写真展「心の糸を紡ぐ」
松村和彦 写真展「心の糸を紡ぐ」の画像_14

会期:2023年9月16日~24日(会期はすでに終了)
※16日19時〜、オープニングアーティストトークを開催予定
場所:RPS京都分室パプロル
住所 : 京都府京都市上京区老松町七本松通五辻上る603
時間:13:00~19:00(開場時間が変更になる場合は、SNSにて告知)
入場:無料

松村和彦さんプロフィール画像
フォトジャーナリスト松村和彦さん

2003年に京都新聞社に入社し、写真記者としての活動を開始。2017年より認知症のプロジェクトに取り組む。2022年、公募型コンペティション・KG+SELECTで「心の糸」を発表し、グランプリを受賞。2023年春、京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIE 2023のメインプログラムとして展覧会を行う。2023年7月、著書『認知症700万人時代ー ともに生きる社会へ』(かもがわ出版)を出版。

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