グリーフケアについて考える。内田也哉子さんが綴る「喪失という名の空っぽ」を満たす心の旅

超高齢社会でありながら、「死」がタブー視されがちな日本。身近な人の死別を経験したとき、残された者のグリーフ(悲嘆)ケアはどうすればいいのか。専門家による支援が必要な場合もあるが、自分なりに哀しみと向き合うセルフケアも大切な作業だ。
俳優の樹木希林さんとミュージシャンの内田裕也さんのひとり娘であり、文筆家として活躍する内田也哉子さんは、2018年からたてつづけに両親が他界した後、空っぽになった心を満たすべく「本当に会いたいと思った15人」との対話の旅を始めた。季刊誌『週刊文春WOMAN』で5年にわたり綴ってきたエッセイ連載。それをまとめたものが、『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(文藝春秋)という単行本になった。大切な人の死に直面し、ひとり歩き出したその旅路には、どんな景色が広がっているのだろう。著書に込められた思いを、ご本人に語ってもらった。

家族との別れがあったことで得られた、5年間の希望の軌跡

内田也哉子『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』

――『週刊文春WOMAN』での連載「BLANK PAGE」を始められたのは、どんな経緯からだったのでしょうか?

母が亡くなって間もない頃に、『週刊文春WOMAN』が創刊されるということで、編集長から連載のお誘いをいただきました。いちばん私に影響を与えていた母がいなくなったことで、心にぽっかりと穴が空き、そこに嵐が吹き荒れているような混沌とした状態でしたから、新しく連載を持って文章を書くなんてできるわけがない、と最初は思いました。でも、そういうときこそ真っ白な紙の前に座って、ひとつひとつ心の中を整理するように書くという行為が、ある種自分にとってセラピーになるかもしれない、とも思ったんです。
幸運にも、連載では自由に何を書いてもいいということだったので、まっさらに始める「BLANK PAGE(空っぽのページ)」と名付けました。そしてそれは、母を亡くして空っぽになった寂しさや虚しさであると同時に、これからは自分ひとりで歩き出すんだという意思表明でもあります。親を喪うというのは、本当の意味でひとり立ちするということ。私は母の死をそんなふうに捉えました。

――5年にわたる連載を収めた著書『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』では、内田さんと15人の方々との対話を時系列で追うことができます。

老若男女問わず、いろんな生業の方々にオファーして、対話をしていきました。谷川俊太郎さんや坂本龍一さんなど、以前に何度かお会いしたことのある方もいらっしゃれば、鏡リュウジさんや石内都さんのようにまったくはじめましての方もいらっしゃるのですが、「あの人と今こんな話をしたい」という思いが自然と湧き上がってきた方たちです。
私にとって15人の方々との対話は、家族との別れや喪失があったことで得られた心の旅。すべてが宝物のようなひとときでした。こうして一冊の本になると、こんなに多才な人たちに出会えたのはすごいことだなと改めて感じ入ります。そして、こんなに素敵な人たちが生きているこの世の中はなんて素晴らしいんだろう、と心から思いました。自分の空っぽを満たす旅が、回を追うごとに大きな希望に変わっていきました。

――対話はふたりきりで進められたそうですね。

感性を対流させるような気持ちで対話にのぞみました。振り返ってみると、ひとりひとり、あの瞬間にしか成し得なかった心の交流があったと思います。相手の方の息づかいに呼応しながら、精神的なダンスを躍っているような感覚でした。小泉今日子さんに一対一での対談を申し込んだとき、「当日はすっきりと、ひとりの人間として也哉子さんの前に座ってみたいと思っています」という内容のメールを返してくださったんです。そんな背筋がすっと伸びるようなお返事をいただけたことは、身にあまる光栄でした。
ふたりきりの対話には、いつも緊張感とぬくもりが共存していました。母と父をたてつづけに亡くし、大きな闇を抱えている私に対して、ゲストの方はあたたかく寄り添ってくださいました。みなさん普段は光の当たる場所でさまざまな表現活動をされている方たちですが、対話の際にはあまり人に見せないような、ご自身の中の暗い部分を包み隠さずシェアしてくださったんです。しかも、それが対話の中で自然発生的に起こりました。これこそが一対一で人と向き合う醍醐味だと感じています。

 

別れの悼み方は、人それぞれ。虚しさや寂しさを無理に埋める必要はない

内田也哉子『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』

――著書では、生きること、死ぬこと、人との関わりを軸に対話が展開されています。

物事には「陰」と「陽」の二つの面があって、その両方があるからこそ人は「生きている」と実感できるんだと思います。15人の方々とお話しをして、「そんなふうに生と死を捉えるんだ」という驚きがたくさんありました。
たとえば写真家の石内都さんは、生前お母さまと上手くコミュニケーションが取れずに悩んでいたとおっしゃっていました。にもかかわらず、お母さまが昔負われた大火傷の傷痕を撮られた。そしてその傷痕としっかり向き合ったとき、とても美しく見えたそうです。言葉では通じ合えなかったのに、傷痕を通じてシンパシーを感じることができた。かなり特殊な例ではありますが、そうやって人生のわだかまりを解いていったという話に深く感動しました。
私の母が亡くなって今年で七回忌になるのですが、いまだに捨てられない遺品がたくさんあるんです。石内さんにそのことを話したら、「私だって二十数年もそのままよ」って。人は自分の気持ちにそんなにはっきりと線引きできるものではないと言ってくださいました。お別れの悼み方は人それぞれ。その感情をどう消化していくかが大切なんだと思います。

――大切な人の喪失を経験し、15人の方々との対話を経て、ご自身の中でどのような心情の変化がありましたか?

母が息を引き取る瞬間に、家族みんなでベッドのまわりを囲んで最期のお別れをしました。覚悟はしていたけれど、本当に現実になるんだとわかった瞬間に、立っていられなくなってしまったんです。すると当時8歳だった次男が私の背中に手を当てて、「バァバの体はなくなっても、魂はずっとそばにいるよ。だからマミー、しっかりして」と言ってくれました。
次男はそのとき誰よりも気丈だったのですが、母の死を境に、しばらく不安定な時期が続きました。そのことに養老孟司さんとの対話で触れたら、ご自身が4歳のときに、お父さまの臨終間際に立ち会われた話をしてくださいました。まわりの大人に「お父さんにお別れを言いなさい」と促されたものの、まだ幼い子どもですから何が起きているかわからず、養老さんはお父さまにお別れを言えなかった。そしてその後、挨拶のできない子になってしまったそうです。ご自身もずっと理由がわからなかったけれど、40歳を過ぎたときに突然、挨拶に抵抗があるのは父親の死を思い出したくないからだと気がついた。そしてその瞬間に初めてお父さまの死がご自身の中で本物になり、涙が止まらなくなったというエピソードでした。
大切な人とのお別れには、その人の時間軸や思いのバイオリズムのようなものがあって、決してこうでなければならないというものはないんですよね。私は両親の死に対してまだ全然心の整理がついていないんですけれど、養老さんのお話を聞いて、今すぐに整理がつかなくてもいいんだと思えるようになりました。空っぽになった虚しさや寂しさを無理に埋める必要はないとわかって、少しだけ肩の荷が降りました。

――戦没画学生慰霊美術館「無言館」の創設者であり、館長の窪島誠一郎さんとの対話で、「寂しさは宝だ」とおっしゃっていたのが印象的でした。

「無言館」には、志半ばにして戦地に赴き、無念の死を遂げた若い人たちの作品が展示されているのですが、窪島さんは、反戦や平和のために建てたわけではないとおっしゃっています。世のため人のためにやったわけではないのに、戦争という言葉が絡むと、さもちゃんとした思想があって慈善的な行いのように思われてしまう。けれども本当はそうではなく、本来あってはならない美術館なのだと。そんなジレンマを抱えていらっしゃって、それを包み隠さずにいらっしゃることに感服しました。
そして窪島さんは、数奇な人生をたどってこられた方でもあります。戦争の混乱の中で養子に出され、靴屋の息子として生きてきたのに、30歳を過ぎた頃に突然、実父は自身が敬愛する作家の水上勉さんだと知り、そこから人生がリセットされてしまった。それまでの貧しい暮らしから一転、文豪のご子息だということでいきなりスポットライトを浴び、周囲がお祭り騒ぎに。はからずもアンビバレントな体験をしてしまったことによって、82歳になられた今もなお、ずっと揺れ続けている人生なのだと話してくださいました。
寂しさは宝なんだよ、という窪島さんの言葉は、本当にその通りだなと思います。人が生きるために一生懸命になるのは、寂しさから少しでも離れたいという気持ちがあるから。寂しさや孤独は、生きることの原動力になります。そして寂しさを誰かと共有したいと思うこともまた、前に進んでいく過程なんだと思います。

「スタンダード」はあってないようなもの。いいも悪いも捉え方ひとつ

内田也哉子『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』

――著書では、家族をコンプレックスに感じていたと綴られていますが、改めてご両親はどんな存在だったのでしょうか?

自分にとっては大きすぎる存在。有名人の娘ということで、なかなかまっさらな状態でひとりの人間として見てもらえないという葛藤を今でも抱えています。私たち家族には、日々いろんな壁が立ちはだかっていました。父が事件を起こし、周囲に迷惑をかけて、「これからどうやって生きていけばいいんだろう」と途方に暮れたこともあります。ただ、どんなにめちゃくちゃなことが起きても、母は毅然とした態度で対応していました。家の前に100人近い報道陣が押し寄せても、逃げも隠れもしなかったし、だからといってペコペコ謝るわけでもなく、慎ましくも堂々としていました。もちろん動揺はしていたけれど、自分の中の軸はぶれなかった。
私が母から教わったことのひとつは、物事をいろんな角度から捉えること。乗り越えられそうにない壁があったとしたら、上から俯瞰して見たり、あるいは裏側から、斜め後ろから見たりすると、どこかに突破口があるんですよね。もし行き詰まったら別の角度があるはずだと、そういった訓練のようなものを早くから受けてきました。
父は父で、これはエクスキューズではあるんですが、「悪を演じるのもけっこう大変なんだよ。内田家はこうして陰と陽でバランスが取れているんだ」と言っていました。誰が言ってるんだって話なんですけれど、私たちはそういう話ができる家族でした。父が大失態をしても、母は面白がってそれを今後に活かそうとしていましたし、そういった発想ができるのは母の才能だと思います。

――ご自身の家族観について教えていただけますか?

自分はいびつな家庭環境に生まれたのだと、わりと早くから自覚していました。子どもの頃から海外に行かされたり、長い休みには他府県の親戚のもとに預けられたり、人さまのいろんな家庭環境を見る機会が多かったからこそ思うのですが、「スタンダード」なんてあってないようなもの。当たり前の家族のかたちや人のあり方って、本当はないんですよね。その一方で、世界中どこへ行っても、国や文化の違いを超えて共感できることもある。だから、いいことも悪いことも自分の捉え方ひとつなんです。そのことを私は早くに両親から教わってしまったので、それがしんどかったときもありますが、今となっては財産だなと思っています。

――幼い頃から定期的に「魔の思考」が訪れる、という記述もありました。心を安定させるためにはどんなことが必要だと思いますか?

昔からずっと、いろんなことが足りない人生でした。父はいないし、家に帰ってもひとりぼっちで誰もかまってくれないし。足りないことだらけだったんですけれど、足りないからこそ満たそうとする。その繰り返しだったような気がします。
「人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいく」と母がよく言っていましたが、それでもやっぱり他者との関わりを通して風穴が開くことはあると思うんです。それは必ずしも誰かと向き合うということじゃなくてもいいと思います。ひとりぼっちでいても、本を読んだり映画を観たりすることで人と出会うことはできますし、いろんな人たちの思いに触れることで、どこかしらに暗闇から抜け出すヒントが転がっているかもしれません。
私は心が疲れたとき、谷川俊太郎さんの詩集を開きます。自分が読みたい詩を探すのではなく、気まぐれに開いたページに載っている詩を読むんです。その一篇、一行に偶然出合うとき、ハッと気付かされることがあります。

群れることはしたくない。ただ、繋がりを感じられる人生でありたい

内田也哉子『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』

――谷川さんを最初の対話相手に選ばれました。内田さんにとって思い入れのある方なんですね。

谷川さんとは二十歳ぐらいのときに、新聞の対談で初めてお会いして以来、何度かお会いする機会に恵まれました。あるときの対談で、谷川さんと好きな絵本について語り合いました。そのときに、私はどうも寂しげな内容の絵本が好きで、我が子にそういった絵本ばかり読ませてしまうという話をしたんです。そしたら谷川さんが、「親の好みなんて偏っていていいんだよ」と言ってくださいました。もし子ども自身が嫌だと感じたら、自分で違う方向を見つけていくものだから、と。その話を聞いたとき、すごく開けた気持ちになりました。
私の両親もものすごく偏っていた人たちだから、私自身はなるべく「普通」でいたいと思っていました。ただ、それも両親の個性があったからこそ、自分はこうしたいという方向性がわかっていったんですよね。谷川さんとのお話をきっかけに、何事においても「これはダメ」なんてことはないんだなと思うことができました。

――ご両親が旅立たれて、本当の意味でひとり立ちされた今、どのような人生を歩んでいきたいですか?

谷川さんとの対話にも書いたのですが、人のために少しでも役に立つことができたらいいなと思っています。慈善活動というとなんだか重苦しいし、自分の中ではリアリティが持てないのですが、自分の好きな何かを通して、誰かのためにできることはたくさんあると思います。谷川さんは私に「おおきな視野で、ちいさなことをする」という宝物のような言葉をくださいました。その言葉をこれからも心に留めながら進んでいけば、道を間違えないで済むような気がしています。
私が出会った15人の方々に共通して言えるのは、誰とも群れず、ひとりぼっちで清々しく、風に吹かれて立っているということ。もちろん、それぞれ不安はあるでしょうけれど、その揺らぎも含めて許容している人たちなんだと思います。だからみなさん、しなやかで強い。そんな大人に私もなりたいと改めて思いました。ただ、やっぱり人とは繋がっていたい。群れることはしたくないですが、あくまで「個対個」として人との繋がりを感じられる人生でありたいです。

――これから本を読まれる方に、伝えたいことはありますか?

15人の方々との対話によって得られた小さな発見が、読んでくださる方の心にもきっと通じるんじゃないか。その感覚を頼りに書きました。ほんの一文でも共鳴できる部分があれば、これ以上のよろこびはありません。
何か「意味」を見つけるために生きるのではなく、後から振り返って「あれはこういう意味だったんだな」と思えればいい。そんなふうに15人の方々から教わったような気がしています。もしかしたら10年後に、対話の中の言葉により深く共感できる瞬間が訪れるかもしれません。読んでくださった方の中で熟成されながら、細く長く、誰かのもとに届くことを願っています。

〈編集後記〉
誰しもが経験する、大切な人との別れ。人の死は、その瞬間に確かに訪れる。そして、時をかけてじわじわと本物になってゆく。内田さんが出会った15人のゲストは、人生観も死生観もひとりとして同じではない。だが不思議にも、根底にあるメッセージは共通している。それは、どんなに不確かな世の中でも、愛だけは必ずそこにあり続けるということ。どれも決してわかりやすい愛ではない。それでも、そこはかとなく慈愛とぬくもりを感じられる一冊に仕上がっている。ページをめくれば、心の引き出しの奥に仕舞われた大切な何かと、思いがけず出合えるかもしれない。心が空っぽになったとき、混沌としているとき、深い闇に沈んでしまったとき、この本をそっと開いてみてほしい。そこにひしめく、じんわりとあたたかな言葉の数々が、きっと背中を押してくれるはずだ。

内田也哉子さんプロフィール画像
内田也哉子さん

1976年東京生まれ。文筆家。エッセイや作詞のほか、音楽ユニット sighboatとしても活動。著書に『新装版 ペーパームービー』(朝日出版社)、『会見記』『BROOCH』(ともにリトル・モア)、樹木希林さんとの共著『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)、中野信子さんとの共著『なんで家族を続けるの?』(文春新書)など。絵本の翻訳『たいせつなこと』やテレビ番組『no art, no life』(Eテレ)のナレーションも手がける。

内田也哉子×小泉今日子トークイベント
“人生に訪れる喪失と、人と出会うことについて”

「週刊文春WOMAN」創刊5周年&『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』刊行記念イベント
アーカイブ配信で2024年2月22日まで視聴可能。
◎配信チケット料金:1,650円(税込)
◎配信チケット販売URL:https://kan-geki.com/live-streaming/ticket/1038
◎配信・販売:観劇三昧

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