聞こえない・聞こえにくいアスリートのための国際スポーツ大会「デフリンピック」が、2025年11月に日本で初めて東京で開催される。4年に1度の大舞台に挑むのが、女子棒高跳び選手でデフ世界記録保持者の末吉凪さんだ。生まれつき聞こえにくく、不安や苦しみから自分を責めた時期もあった。「中学で陸上を始めたけれど、なかなか好きになれなかった」。そんな彼女を変えたのは、高校で出合った棒高跳びと、支えてくれる人たちだった。
デフリンピックのデフ(Deaf)とは、英語で「耳が聞こえない」という意味。1924年のフランスでの初開催以降、原則4年に1度、夏季大会と冬季大会がそれぞれ開かれている。25回目となる今年の東京大会では、70〜80の国と地域から約3,000人のアスリートが参加し、合計21競技が実施される。
ルールはオリンピックとほぼ同じだが、公平性を保つべく競技場内での補聴器などの使用は認められていない。そのため、「見て」わかるさまざまな工夫がされている。トラック競技や水泳では、選手の視線にスタートランプやフライング伝達ランプを設置。サッカーやバスケットボールのレフェリーは、フラッグを使って試合をコントロールする。柔道の審判は選手に指示するとき、声ではなく肩を叩いて知らせる。このように、視覚を使うアスリートたちのために情報保障がなされているのが同大会の特徴だ。
末吉さんは、ブラジルで開催されたカシアス・ド・スル2022デフリンピックの銅メダリストで、昨年11月の日本デフ陸上競技選手権大会では3m60cmの世界新記録を打ち出した。今、デフリンピックの金メダルに最も近い選手だ。東京開催まで1年を切り、何を思うのか。これまでの道のりと今の心境を聞いた。
2歳のときに感音性難聴と診断された末吉さんは、物心つく頃から両耳に補聴器をつけて暮らしている。入浴時と就寝時以外は補聴器をつけたままで、外せば周りの音はほとんど聞こえない。
「朝はアラームのバイブレーションだけで起きられるし、部屋が明るくなっただけで目が覚めることも。聞こえにくい分、聴覚以外の感覚は鋭いと思います。それでも、うっかり寝坊することはあるんですけどね」。太陽のようにまぶしい笑顔を見せる末吉さんだが、過去には周囲とうまくコミュニケーションがとれず、笑えない時期もあった。
京都のろう学校の幼稚部に3年間通った後、地元の公立小学校へ入学。特別支援学級と通常学級を行き来しながら学校生活を送った。感音性難聴の特徴は、音に歪みが生じること。音としては認識できても、言葉として聞き取れないことがある。そのため、低学年の頃はクラスの会話に入れず、授業にもついていけず、教室でひとりで過ごすことが多かったという。クラスメートにからかわれたり、嫌がらせを受けたりすることもあり、「自分なんかいない方がいい」とさえ思った。
乗馬の練習に励む末吉さん(末吉さん提供)。
心を開くきっかけになったのが、ホースセラピーとの出合いだった。馬との触れ合いを通じて、末吉さんは少しずつ明るさと自信を取り戻していく。そして中学を卒業する頃には馬が大好きになっていた。
進路に悩んでいたとき、中学の校長先生が教えてくれたのが京都府立北桑田高校だった。乗馬の授業があり、学校の近くの牧場で馬の世話もできる。地元の小中学校と違い、自分の過去を知らない人たちの中でなら変われるかもしれない。そう思って、迷わず門戸を叩いた。
高校で寮生活を選んだ末吉さんは、馬の世話に携わりながら、入寮の条件である部活動も同時に始めた。北桑田高校には馬術部がなかったため、陸上をしていた中学生活の延長で走り高跳びを選択。当時はコロナ禍で試合が少なかったこともあり、最初の1年間は陸上よりも馬の世話に没頭した。
「末吉、棒高跳びやってみるか?」。担任で陸上部顧問の藤川義之さんのひと言で、末吉さんの陸上人生に転機が訪れる。棒高跳びの素質を見抜いた藤川さんから、デフリンピックに挑戦してみないかと勧められた。「デフリンピックのことは知っていたけれど、自分に出場資格があるとは思っていなかった」。身体障害者手帳を取得していない末吉さんにとっては、思いもよらない話だった。
日本の聴覚障害認定は、両耳の平均聴力レベルが70デシベル以上であることが基準となっている(デシベルは音の大きさを表し、数字が大きいほど音が大きい。70デシベルは掃除機の音と同程度)。この基準値よりも小さな音が聞こえる末吉さんは、障害者手帳の交付の対象にはならない。
一方、国際ろう者スポーツ委員会が定めるデフリンピックの出場資格は「聞こえが良い方の耳の聴力レベルが55デシベル以上」とされているため、日本で障害認定を受けていない末吉さんも出場することができる。できないと思っていたことが「できる」とわかった瞬間、末吉さんの心のスイッチが切り替わった。
藤川義之さん(下段中央)の定年退職時の送別会の写真。棒高跳びの突っ込みのポーズをとる末吉さん(上段右)と教え子のみなさん(末吉さん提供)。
仲間に恵まれたことも、棒高跳びを好きになれた理由のひとつだった。末吉さんはこれまで、補聴器をつけて一般の試合に出場し、聞こえる選手たちと競い合ってきた。しかし、補聴器は周囲の音をすべて拾うため、屋外の騒がしい場所で必要な音だけを聞き取ることが難しい。緊張が重なると、さらに聞こえにくくなることもある。
かつては競技場内のアナウンスを聞き取れず、試合会場で孤独を感じることもあった末吉さんだが、高校で棒高跳びを始めてからは、部活の仲間たちが助けてくれた。「呼び出しに気づかなくてもみんなが教えてくれる。仲間の存在に救われました」。共に練習し、試合に出る楽しみを知り、いつしか競技場が「笑顔でいられる場所」になっていた。
カシアス・ド・スル2022デフリンピックで末吉さんが獲得した銅メダル。開催地の名産品であるブドウのモチーフが施されている(末吉さん提供)。
先生や仲間に背中を押され、デフリンピックを目指して本格的に棒高跳びの練習を始めると、みるみる力をつけていった。高校1年生で2m20cmだった記録は、2年生の11月には3mをマーク。そして3年生の春には、カシアス・ド・スル2022デフリンピックの日本代表選手に最年少で選ばれ、初出場で自己ベスト(3m5cm)を記録し、銅メダルを獲得した。
初めてのデフリンピックで結果を出せた一方、世界のレベルの高さに圧倒もされた。当時のトップとの差は20cm以上。「世界のレベルを知って、まだまだだと痛感させられました」。もっと記録を伸ばしたい。悔しさをさらなる飛躍につなげると誓った。
デフ世界新記録、そしてその先へ
明治国際医療大学内のピットで練習する末吉さん。
現在、明治国際医療大学2年生の末吉さんは、鍼灸学を専攻しながら競技を続けている。高校時代に足首を痛めて走れなくなったとき、同大学の附属病院で治療を受けたことがきっかけで進学を決めた。「自分の経験を活かし、怪我をして復帰を目指す選手のよき理解者になりたい」。来年に控える鍼灸師の国家試験の勉強に励みながら、大学のピットで棒高跳びの練習もこなす。
恩師の藤川さんは定年を迎えた後、2024年春に同大学の陸上コーチに就任。現在はほぼマンツーマンで指導を受けている。助走の歩数は14歩。同じ動きを何度も繰り返しながらフォームを整え、跳躍の感覚を身体に染み込ませていく。
「先生とは高校のときから二人三脚でやってきました。先生に言われたことをやれば結果が出ると身をもって経験してきたので、指導には絶対従うと決めています。大学には棒高跳びのピットがふたつあるので、風向きに合わせて移動しながら練習できるし、体を痛めたら学内の鍼灸センターで治してもらえる。恵まれた環境に感謝しています」
3m60cmの世界新記録を打ち出した、日本デフ陸上競技選手権にて(末吉さん提供)。
2024年11月に東京で開催された日本デフ陸上競技選手権では、従来の世界記録を15cm上回る3m60cmの跳躍に成功した。練習でも出したことのない記録だった。「すごく緊張しましたが、逆にそれが良い刺激になって楽しさに変わったんです」と末吉さん。
東京2025デフリンピックで目指すのは、もちろん金メダル。そしてその先に彼女が見据えるのは、聞こえる学生たちが競う全日本学生選手権大会(全カレ)だ。「全カレに出場するためには、3m75cm以上跳ばないといけない。デフの世界では3m60cmで世界記録だけれど、全カレでは標準記録にも満たないんです。周りからは気にしなくていいと言われますが、自分の中ではどうしてもその差が引っかかってしまう。だから記録を伸ばすしかないんです」
目標は、デフアスリートとしても一般のアスリートとしてもトップになること。尊敬するデフアスリートで、円盤投げの元日本記録保持者の湯上剛輝さんと交わした約束がある。「湯上さんにお会いしたとき『日本選手権で待ってるよ』と言ってくださいました。その約束を果たすためにも、4mを跳びたい」。あと40cm、夢は決して遠くない。
支えてくれる人たちに、記録で恩返し
170cmの長身に、インパクトのあるヘアスタイル。クールなルックスとは裏腹に「ヘンテコな絵柄の靴下が好き」という大学生らしい一面もうかがえる。補聴器のブルーは、幼い頃からずっと好きな色だ。「透明で目立ちにくいものもあるけれど、面白くないじゃないですか」そう言って満面の笑みを浮かべる。
「今使っているのはシグニアというブランドのもの。軽量でスタイリッシュなデザインが気に入っています。自転車に乗っていたら、イヤホンと間違えられて注意されたことも。見た目だけでなく性能も良くて、以前は電話口のこもったような音しか聞いたことがなかったのですが、この補聴器に変えてからはクリアに聞こえるようになりました。ぽちゃんという水滴の音がわかるようになったし、自分の声が意外と低いこともわかりました」
大学卒業後は、競技を続けながら大学院での研究の道も考えている。「聞こえない・聞こえにくいことによって、自信がなくなったり生きづらさを感じたりなど、二次的障害に苦しむ人たちがいます。大学院では心のケアとしての鍼灸の可能性を追求したいと思っています」。かつて自分自身が同じ思いをしたからこそ、苦しんでいる人に寄り添いたいという気持ちが強い。
2025年1月の成人式で振袖姿を披露した末吉さん(末吉さん提供)。
今年の1月に成人式を迎えた末吉さん。笑うことの少なかった少女が、今では棒高跳びを通じて誰かに希望を与える存在になった。初の自国開催のデフリンピックで注目度が高まる中、プレッシャーや期待も感じているはずだが、本人の口から出てくる言葉はいたって前向きだ。「小さなことで悩んでいても、楽しくありませんから」
取材の最後に語ってくれたのは、支えてくれる人たちへの感謝の気持ちだった。「私のやりたいことを理解し、応援してくれる両親、いつもそばで見守ってくれている先生、手を差し伸べてくれる仲間たち、みんなのおかげで今の自分があります。私にできるのは、記録で恩返しすること。11月のデフリンピックに全力で臨みます」
誰よりも高いバーを越えるために、末吉さんは今日も跳ぶ。ポールをしならせて、大好きな青色の空へと向かって。
京都府出身。2歳のときに感音性難聴と診断。高校から棒高跳びを始める。3年生のときにカシアス・ド・スル2022デフリンピックの日本代表選手に最年少で選ばれ、銅メダルを獲得。2024年11月の日本デフ陸上競技選手権では、3m60cmの世界新記録を打ち出した。現在は明治国際医療大学で鍼灸学を学びながら、11月に開かれるデフリンピック東京大会への出場を目指す。