世界を見渡せば、経済的・社会的な理由によってスポーツをする機会を奪われている人たちが大勢いる。1949年の創業以来、スポーツを通じて人びとの健康とより良い社会の実現に貢献することを使命としてきたアシックス は、スポーツにかかわる社会課題の解決を目指し、一般財団法人アシックスファウンデーション(ASICS Foundation)を設立した。設立に至った思いや今後の活動内容について、財団の理事長を務めるアシックス常務執行役員の甲田知子さんに話を聞いた。
(左から)元プロ卓球選手の石川佳純さん、財団理事長の甲田知子さん、アシックスのブランドアンバサダーであり競泳パラリンピアンの一ノ瀬メイさん一ノ瀬メイさん
これまでアプローチできなかった人たちに、スポーツの価値を伝えたい
「健全な身体に健全な精神があれかし」という創業哲学のもと、すべての人が心身ともに健康でいられる世界の実現を目指すアシックスは、創業以来さまざまな事業活動や助成活動を通じてスポーツへの参画を支援してきた。しかし、青少年や女性、障がいのある人など、社会的・経済的に困難な状況にあるがゆえにスポーツへのアクセスが限定されている人たちは、まだまだ世界中にたくさんいる。アシックスファウンデーションは、そういった人たちにスポーツの機会を提供する支援団体への助成活動を目的に、2025年4月に発足した。理事長の甲田さんは、スポーツにかかわる社会課題についてこう言及する。
「東南アジアの国では、特に郊外において顕著なのですが、スポーツ教育を受けていない子どもたちがたくさんいる現状があります。例えばカンボジアでは、運動することの意味をよくわかっていない子どもたちが多いと聞きます。また、ベトナムやインドネシアの都市部では、食生活の変化や運動不足によって肥満児が増加しているといわれています。一方、ジェンダーギャップが大きいインドでは、女性アスリートのロールモデルがまだまだ少なく、スポーツに参画しづらい女性たちが多い状況にあります。日本の女性のスポーツ参加率も決して高くはありません。特に30代・40代においては先進国の中でもかなり低い方で、どちらかというと女性の家事育児の負担が大きいなどといった理由もあり、スポーツをする時間が制限されているのが実情です」
©︎getty images
アシックスファウンデーションは、当面は日本をはじめ、アシックスの生産拠点がある東南アジア・南アジア地域の国(インド、インドネシア、カンボジア、ベトナム)での活動を予定している。これまでアプローチできなかった、社会的・経済的に弱い立場にある人たちに対して、スポーツの価値を伝えていく。それが同財団の役割だと甲田さんは意気込む。
「アシックスは、これまで多くのアスリートを支援し、スポーツムーブメントを醸成し、スポーツをするためのシューズやアパレルを展開してきました。しかし、そういった事業活動の枠組みだけでは取りこぼしている人たちがいます。今スポーツクラブでサッカーをしている子どもたちにスパイクを届けることはできても、経済的に靴を買えない子どもたちや、学校でスポーツ教育を受けていない子どもたちに届けることはできていません。アシックスの生産工場は東南アジアにあり、そこで製品を作ってもらっているにもかかわらず、その国の子どもたちには十分に届いていないという状況に対して、ずっと後ろめたい思いがありました。だからこそ、まずは生産拠点のある地域に還元していきたいと考えています」
株価の配当による継続的なファンディングスキームを確立
アシックスファウンデーションの助成活動は、アシックス株の配当金を原資に行われる。財団設立に反対する株主が多かった中で、アシックスは株主一人ひとりを説得し、実現に向けて奔走してきたという。
「企業の寄付金で財団を運用する場合、仮に会社の経営が傾き始めたり、経営者が変わったりすると、寄付が打ち切られてしまうことがあります。私たちは、財団を立ち上げる以上は責任をもって継続的に運営していきたいと、構想当初から強く思っていました。そのため、企業の配当金が続く限り、継続して資金がまわってくるスキームを作ることにしました。じつは今年の頭まで、反対派の株主が過半数だったんです。でも、短期的な利益だけを追い求めている企業ではないことをみなさんにご理解いただき、なんとか説得することができました。3月末の株主総会で無事に可決されたときは、よろこびもひとしおでした」
アシックスファウンデーションの支援先団体は現在募集中で、募集期間は2025年6月12日まで。書類選考と現地視察、プレゼンテーションを経て、合計8団体が財団の理事によって選出され、10月から助成が開始される。助成期間は3ヵ月の試行の後、2026年1月から原則1年間。同一プログラムへの助成は最長3年間までとされ、1団体あたり年間最大500万円が助成される。
当面は各地域特有の課題や背景を考慮し、インド、インドネシア、カンボジア、ベトナムでは青少年を、インドでは女性を、日本では障がいのある人を受益者の対象とし、それぞれの課題を解決するためのスポーツ活動に取り組む団体を支援していく。
助成を通じた具体的な支援内容としては、青少年のためのスポーツ大会やイベントの開催、指導者の育成、ジェンダーインクルーシブなスポーツ活動やコンテンツ開発、障がい者と健常者が一緒にスポーツをする環境づくりなどといったソフト面のインフラのほか、スポーツ用品の提供などハード面のインフラ整備にも取り組んでいくという。
一ノ瀬メイさんにインタビュー。「スポーツは、自分を偏見から守る武器になった」
一ノ瀬メイさん
アシックスファウンデーションの理事には、元プロ卓球選手の石川佳純さんや、アシックスのブランドアンバサダーであり競泳パラリンピアンの一ノ瀬メイさんが名を連ねている。「石川さんは全国をまわり、子どもたちに向けて『47都道府県サンクスツアー』という卓球普及活動をされていますし、一ノ瀬さんは現役引退後もアクティビストとして活躍されています。財団の活動に興味があるだけではなく、普段からスポーツにかかわる社会課題の解決を目指して活動している方々を選ばせていただきました」と甲田さん。
同財団の理事就任を受けて、SPURでは一ノ瀬さんにオンライン取材を行った。生まれつき片腕が短い一ノ瀬さんは、昔から周りの人に「できない」と決めつけられることが多く、悔しい思いをしてきたという。
幼少期の一ノ瀬さん(一ノ瀬さん提供)
「私が水泳を始めたのは1歳半のとき。障がい者スポーツセンターで4泳法を教わったのですが、そこでパラリンピックのことを知り、目指すようになりました。小学校低学年のときに選手育成コースのある地元のスイミングスクールに申し込んだのですが、障がいがあることを理由に入会を断られました。泳ぎだけでも見てほしいと頼んだのですが取り合ってもらえず、ほかのスクールもいくつかまわりましたが、なかなか受け入れてもらえるところが見つかりませんでした。その後、9歳のときに1年間イギリスにいたのですが、現地のスイミングスクールでは障がいの有無で判断されず、すんなり入れてもらえたんです。日本で味わった絶望が、希望の光に変わった瞬間でした」
帰国後、一ノ瀬さんを受け入れてくれるスクールが1校だけ見つかった。人と違う身体でも速く泳げることを証明した彼女は、パラリピックの舞台に立つという夢に向かって歩みを進めていった。
「泳ぎには自信があったのに、周りの思い込みによって制限されたことが悔しくて、子どもながらに社会に対する怒りを感じていました。そういった感情を水泳にぶつけてきたし、それが選手としての原動力になっていました。スポーツは、自分自身を偏見から守る武器になりました」
スポーツを通じて深まった「つながり」
小学校時代の一ノ瀬さん(一ノ瀬さん提供)
一ノ瀬さんが感じているスポーツの価値は、「つながり」を生むこと。他者や社会とのつながりだけでなく、自分自身とのつながりも深めることができたと話す。
「水泳を通して、自分の強みや弱みと日々向き合ってきました。水泳に打ち込むことで、自分自身の知らなかった部分を知ることができたり、目標を達成して自信がついたり、そうやって自分との確固たるつながりを持つことができました。そこから障がいのある人たちのコミュニティと関わりを持つ中で、仲間とのつながりが生まれました。パラアスリートとして自分の特性を理解し、それを強みにして前向きに生きている人たちに出会えたことは、自分にとって財産だと思っています」
スポーツの力を改めて実感したのは、2021年に現役を引退した後だった。
「パラスポーツのコミュニティから離れて社会に出ると、周りの人はみんな両腕と両脚があって、自分の片腕が短いことを気にするようになった時期が少しありました。電車に乗っていても、街を歩いていても、腕を見られていることが気になってしまって、外出するのも億劫に感じました。引退して初めて、自分がいかにコミュニティに守られていたかを痛感して、再び自分の身体を受け入れ直すという経験をしました。不安になったり、ネガティブな気持ちが湧き出てきたりするたびに、この身体で良かったこと、この身体じゃないとできなかったことをノートに書き出していきました。そうすることで、やっぱりこれで良かったんだと腑に落ちたんです。それまで常に前向きに生きてきた自分にとっては、珍しい体験でした」
障がいがあってもなくても、みんなが一緒に競技できる環境づくりを
(一ノ瀬さん提供)
障がいの有無にかかわらず、誰もがスポーツに参加できる環境を整えるためにも、障がい者と健常者の垣根をなくしていく必要があると一ノ瀬さんは訴える。
「日本の水泳競技では、同じアスリートでも障がい者と健常者で試合が分けられてしまうのが課題です。選手はジュニア時代からお互いを知る機会がとても少ないですし、障がいのある子と接したことのないコーチは、どうやって指導したらいいかわからないというのが本音だと思います。障がいのある子は特別なコースに入った方がケアしてあげられるんじゃないかという配慮が、結果的に排除につながってしまっているように感じています。現役時代の最後の3年間、オーストラリアを拠点にしていたのですが、オーストラリアでは障がいがある人もない人も、みんな一緒に競技をしていました。ジュニアのときからパラアスリートが同じ試合にいることが当たり前の環境なので、オリンピックを目指している子がパラ選手に憧れることもあれば、逆のパターンもある。お互いに相乗効果が生まれているのはすごくいいことだし、心地よかったです。日本でも少しずつそういった動きが出てきているので、もっと融合していけばいいなと思っています」
(一ノ瀬さん提供)
選手個人の強みを引き出してくれる指導者との出会いは、アスリートにとっては人生を分けるほど重大なことだ。一ノ瀬さんは、指導者がパラアスリートへの理解を深めることの重要性についても言及する。
「大学に進学するときにスポーツ推薦をもらえるところを探していたのですが、当時はパラアスリートの推薦枠のないところがほとんどでした。いくら世界ランキング20位以内であっても、日本記録を持っていてもダメでした。そんな中で推薦入学を認めてくれたのが近畿大学でした。水泳部の山本貴司監督は、アテネ五輪の銀メダリスト。現役時代にカナダで練習をされていた時期に、パラアスリートと一緒にトレーニングをしていたそうです。そんな経験から、私にも一緒に表彰台を目指そうと言ってくださいました。私がパラリンピックに出場できたのは、近畿大学で練習をさせてもらえたから。山本監督と出会えたことは本当にラッキーでした。出会う指導者がどんな経験をして、どんなふうに世界を見てきたかは、選手にとってすごく大きな影響を与えると思います」
社会で生きづらさを感じている人や、障がいがある人への偏見や差別をなくしたい。その思いで泳ぎ続けてきた一ノ瀬さんは、引退後も社会をポジティブに変えていくために発信し続けている。そんな彼女に、アシックスファウンデーションの理事としての意気込みを語ってもらった。
「障がいというのは、本人が抱えているものや、乗り越えなければならないものではなく、社会が作り出しているものだと考えています。人のマインドセットや社会のシステムが変わっていけば、障がいはなくしていける。そう思って引退後も活動を続けてきました。今回、アシックスさんが大切に生み出された財団の一員として声をかけていただけたことを、とても光栄に思っています。これまでプロダクトやサービスでは届かなかった人たちをサポートするということで、どんな人たちに支援が届けられるのか、期待をもって参加しています。いろんな国や地域の方々とかかわり、それぞれの文化や背景を学びながら、スポーツをするうえで直面するさまざまな『壁』を取り払っていけたらいいなと思っています」
終戦直後の荒廃した神戸の街で非行に走る少年少女たちに、生きる希望を与えたい。創業者、鬼塚喜八郎氏の情熱を受け継ぎ、75年以上の歴史を経て新たな一歩を踏み出したアシックス。スポーツを通じた支援活動がどんな広がりを生み出していくのか、今後の展開に注目したい。
1997年京都府生まれ。1歳半から水泳を始め、史上最年少13歳でアジア大会に出場。近畿大学に進学後、リオデジャネイロパラリンピックで8種目に出場。2021年10月に現役引退後は、「Wellbeing for all being(すべての人に幸福を)」をテーマに、モデルやパブリックスピーカーなどとして幅広く活動している。
一ノ瀬メイさんの公式HP