2026.03.11

東日本大震災から15年。刺し子を通じて復興のその先を目指す【サシコギャルズ】の挑戦

東日本大震災の発生から15年。当時大きな被害が出た岩手県大槌(おおつち)町で始まった刺し子の復興プロジェクトが、「サシコギャルズ」として世界的に注目されている。復興支援のその先を目指す活動には、どんな思いが込められているのか。立ち上げから現在に至るまでの道のりをたどる。

被災した女性たちに、もう一度生きる喜びを

岩手県大槌町の風景

震災で大きな被害が出た岩手県大槌町

2011年3月11日、岩手県の三陸沿岸に位置する大槌町は甚大な被害に見舞われ、9,000人以上が避難生活を余儀なくされた。地域産業が壊滅し、多くの避難者は職を失った。中でも非正規雇用率の高い女性たちは、深刻な雇用不安に直面していた。

被災した女性たちに、もう一度生きる喜びや希望を見つけてほしい。同年6月、数名のボランティアによって立ち上げられたのが、「大槌刺し子」プロジェクトだった。避難所で暮らす女性たちに、伝統手芸の刺し子の技術を習得する機会を提供し、職人として育成する。彼女たちが手がけた作品の販売を通じて、つくり手の生きがいを育み、地域に貢献する取り組みだ。

談笑しながら作業をする大槌刺し子の職人たち

大槌刺し子のメンバーは、40代~80代の地元の女性たち。「これをやっているときは無心になれて、嫌なことを忘れられる」という人も多く、作業そのものが震災の傷を癒すことにもつながった。スタートから10年間で200人以上がプロジェクトに参加し、これまでにふるさと納税の返礼品の制作や、大槌の素材を用いた商品開発、企業とのコラボレーションなどに取り組んできた。実績と信頼を積み重ね、“日本屈指の刺し子職人集団”と呼ばれるまでになった。

ファッションで社会課題を解決するブランド、KUONとのパートナーシップ

ファッションブランド、KUON(クオン)の創業者の藤原新さんが大槌刺し子と出合ったのは、震災が起きた2011年だった。もともと法律関係の仕事をしていた藤原さんは、大好きなファッションを通じて社会課題を解決したいという志のもと、KUONの前身となるブランド1sin(現在は休止)をローンチ。大槌刺し子にシャツの縫製や刺しゅうを依頼していた。当時から藤原さんは大槌町に何度も運び、刺し子職人たちと交流を重ねながら関係性を築き上げてきた。

デザイナーの石橋真一郎さんと大槌の刺し子さんたち

その後、デザイナーの石橋真一郎さんとの出会いをきっかけに、2016年春夏シーズンよりKUONをスタート。大槌刺し子はブランドパートナーとして、設立当初から刺し子を施した生地を提供してきた。「大槌刺し子は、被災した方々の自立を後押ししたいという思いから始まった復興応援プロジェクトでしたが、今は『支援』だとは思っていません。刺し子さんたちは対等なパートナーであり、KUONのクリエーションに欠かせない存在です」と藤原さんは言う。

KUONのVINTAGE BORO Blazer

KUONの「BOROジャケット」¥1,100,000

KUONを象徴するプロダクトのひとつに「BOROジャケット」がある。江戸時代以前から東北・北陸地方で防寒具として使われてきた「襤褸(ぼろ)」と呼ばれる古い布を、大槌刺し子がパッチワークで補修し、石橋さんのデザインによってテーラードジャケットへアップサイクルしたものだ。

KUONのSashiko All Over Cap

全面に刺し子を施したKUONのキャップ各¥23,100

ジャケットのほかにもTシャツやキャップなど幅広いアイテムを展開しているBOROシリーズは、国内のみならず海外でも高く評価され、藤原さんは確かな手応えを感じていた。

2018年には、世界を舞台に活躍する可能性を秘めた東京のブランドを選出する「TOKYO FASHION AWARD」を受賞し、東京ファッションウィークでブランド初のランウェイショーを開催。2020年からはNYファッションウィークの公式スケジュール内でコレクションを発表するなど、着実に成果をあげてきた。

2024年、「サシコギャルズ」始動

東日本大震災から15年。刺し子を通じて復の画像_6

サシコギャルズのメンバーと代表の藤原新さん

一方、大槌刺し子の仕事は年々減少し、存続の危機にあった。年月が経つとともに復興支援の文脈での発注は減り、そこにコロナ禍が追い討ちをかけた。企業からの依頼も全盛期と比べると激減。KUONの仕事は続いていたものの、それだけでは大槌刺し子の事業は成り立たなくなっていた。職人の高齢化や、若い世代が町を離れたことによる後継者不足も深刻だった。

そんな状況とは裏腹に、刺し子に可能性を感じていた藤原さんは、やり方を変えれば需要は増えると確信していた。刺し子の技術を途絶えさせないためにも、藤原さんは大槌刺し子の運営に携わることを決意する。震災から13年目の2024年3月11日、大槌刺し子から「サシコギャルズ」へと名を改め、再スタートを切った。

ネーミングの由来について、藤原さんはこう話す。「職人のみなさんが事務所に集まると、持ち寄ったお菓子を食べながら世間話で盛り上がるんです。明るく賑やかな様子が放課後の女子高生みたいだなと思ったので、『ギャルズ』と命名しました。また、刺し子は大槌だけのものではないので、応援の幅を広げるためにも地域を限定しない名前に変えました。大槌以外の人もサシコギャルズに参加できるように、全国各地での展開を視野に入れています」

伝統を進化させる、刺し子のカスタムサービス

サシコギャルズによる刺し子でカスタムしたスニーカー

これまでの発注者と請負の関係ではなく、サシコギャルズはKUONの刺しゅう職人として制作に取り組むようになった。そして、サシコギャルズの名前を世界に知らしめるきっかけとなったのが、新たに始めたスニーカーのカスタムサービスだ。

顧客から預かった私物のスニーカーに古布をあて、アッパーからソールにまで職人の自由な感性で刺し子を施し、何十時間もかけて一点ものに仕上げていく。熟練の技術とセンスを誇る刺し子スニーカーは、瞬く間に世界中から反響を呼び、歌手のジャスティン・ティンバーレイクさんからオーダーが舞い込むまでになった。

サシコギャルズとシーピーカンパニーのコラボレーションによるジャケット

シーピーカンパニーとのコラボレーションによる刺し子のジャケット(完売)

刺し子のカスタムサービスを通じて、さまざまなブランドとのコラボレーションも積極的に行っている。ザ・コンランショップの日本上陸30周年を記念したプロジェクトでは、サシコギャルズが刺し子を加えた名作ソファやチェアが販売された。ほかにも、ザ・ノース・フェイスやシーピーカンパニー、ニューバランスなど、人気ブランドからの協業オファーが絶えない。どれも高単価ながら、出せば即完売するほどの人気ぶりだ。直近では、ニューエラとのコラボレーションキャップの発売を3月20日に控えている。

東日本大震災から15年。刺し子を通じて復の画像_9

「伝統的な刺し子は藍色の布に白い糸で刺しゅうするものですが、サシコギャルズは何色もの糸を使ったカラフルでポップなデザインが特徴です。従来の刺し子にはない挑戦をすることで、400年以上前から続く伝統を進化させていきたい」と藤原さんは意気込む。

地方創生を目指し、若手の人材育成も

刺し子の技術指導を受ける岩手県立釜石商工高等学校の生徒たち

岩手県立釜石商工高等学校での刺し子の技術指導の様子

スタート当初、サシコギャルズのメンバーは大槌町に暮らす15名だったが、2年目となる現在は東京や大阪にも広がり、約30名に倍増した。利益も黒字見込みで、ビジネスとして順調に成長している。しかし、ほぼすべての工程を手作業で時間をかけて行うため、需要にまったく追いつけていない状態だという。

「刺し子の文化をより多くの人に伝えていくためには、担い手の育成が最重要課題です。サシコギャルズでは、岩手県の釜石商工高校で刺し子の技術指導を行ってきました。地元の若者たちが将来的に職人として活躍できるような経験を提供し、刺し子による雇用を生むことで、地域に産業を根付かせたいと考えています。そのためにも、今年からは人材育成プログラムに本格的に取り組んでいくつもりです」

サシコギャルズの職人たち

サシコギャルズが目指すのは、刺し子の可能性を広げること。彼らが見据えているのは、復興のその先を示すことだ。「刺し子は針と糸があればどこでもできるので、全国各地で地場産業にできる可能性を秘めています。この先どこかで災害が起きたとき、職を失った人たちに対して付加価値の高い仕事を提供できる好事例になるんじゃないかと考えています。サシコギャルズを通じて、多くの方々に刺し子の魅力を知っていただき、刺し子の文化を伝えていきたいと思っています」

15年前、震災で住む場所も仕事も奪われた人たちが再び前を向いて歩いていくきっかけとなった大槌刺し子は、存続の危機を乗り越え、サシコギャルズとして世界的に評価される存在となった。日本が誇る刺し子の技術をこの先も継承しながら、世界のサシコとして進化させていく。ギャルズのひと針ひと針には、手仕事のぬくもりと未来への希望が込められている。