——IMALUさんをパーソナリティに迎え、性教育ラジオ番組『バイエルンから愛を込めて~わたしたちの眠れない夜に~』をスタートするに至った経緯を聞かせてください。
北原みのり(以下、北原) IMALUさんが性の話やフェムケアに関心を持って真面目に活動していることは共通の友人から聞いてましたし、それ以前にIMALUさんの記事を読んだり、『ハダカベヤ』を聞いていたりして、すごく面白い方だなと思っていました。フェムケアやフェムテックについて話すとなると、自分の体のパーソナルな部分について、本音でしゃべることになるんですよね。IMALUさんは司会的な立場で会話を回すのがすごく上手な方ですけど、IMALUさん自身の本音の言葉をもっと聞きたいと思わせる方だなと。
IMALU:嬉しいですね。みのりさんとの出会いは不思議なご縁なんです。仲良しのいとこがいるんですが、いとこの友人がセックス・カウンセラーをやっていて、みんなで飲みに行ったときに、「みのりさんをぜひ紹介したい!」という人とつながったんですよね。
北原:プレジャーグッズを扱う「ラブピースクラブ」のうちのスタッフが、『ハダカベヤ』に出演させていただいて、そこからお会いすることになったんですよね。昨年末、IMALUさんとトークショーでご一緒した時に、オランダ発のプレジャーテックブランド「biird.」が作ってるクリトリスのイアリングを見たIMALUさんが、「クリトリスおしゃれ」っておっしゃったんですよ。「クリトリス」と「おしゃれ」がくっ付いた!と思って。それがすごく嬉しくて。それを言えるというIMALUさんの偏見のなさに衝撃を受けました。
IMALU:クリトリスの形は、おしゃれなんですよね。イヤリングをいただいて、初めて知りました。クリトリスってこんな形なんだって。でもそれを知るって大事なことじゃないですか、自分の体の一部ですから。
北原:私がやってきた26年間で、やっとここに来たんだなという変化をIMALUさんが象徴していました。性の話をするということは決してポジティブな側面だけじゃないですし、IMALUさんが冒険しながらこの分野を切り開いてくれているということがすごく嬉しくて、ラジオをやるならどうしてもIMALUさんにお願いしたいと思っていたんです。
IMALU:それでみのりさんからこの番組のお話をいただき、「ぜひ!」と参加させていただくことになりました。そもそも、みのりさんは、90年代半ばから「ラブピースクラブ」を運営されてきて、時代の変化を身近に見てきた方ですよね。今でこそ「フェムテック」や「フェムケア」いう言葉がやっとじわじわと敏感な女性たちに伝わるようになっていますが、30年前となると、かなり男性中心の社会で活動し続けてきたと思うんです。そんな時代を過ごしてきたみのりさんに、女性としても、キャリアウーマンとしても、いろいろと学んでいきたいです。
北原:90年代はもちろん大変でしたが、IMALUさんの立場で、見えている世界で性について話すということも、相当大変なことだと思います。
IMALU:大変という意識は全くないんです。ただ、自分が30代で感じてきたことをなんとなく話した時に、共感してくれる声がすごく多かったので、発信することが大事なんだなというのは、本当にここ3年くらいで気づいたことで。共感してくれる人がいるから、発信する怖さもないですし、基本的に、自分はこう思うけど、みんなはどう?ぐらいのスタンスなので。でも、3年前の自分だったら「クリトリス!」とは人前で言えなかったと思う。みのりさんも含め、そういう話を恥ずかしいことじゃないって楽しく普通に話してる人と会っていくと、性教育はとても大事なことなのに、言いづらいなんて不思議だなと、だんだん怖くなくなってました。自分自身も変わってきてるんだと思います。
北原:番組のバナーのデザインをどうするかをIMALUさんに相談したときも、「クリトリスじゃないですか?」ってお返事もらって。バナーにクリトリスが隠れてるんですよ。
IMALU:わかる人はわかるっていう。
——女性向けプレジャーブランド「ウーマナイザー」がスポンサーでの企画が通るまで、時間がかかったそうですね。
北原:女性向けプレジャーブランドがラジオ番組を支援をするということ自体、前例がないことだったんですね。過去の事例を調べたところ、「TENGA」が大阪の放送局でスポンサーをしたことはあったようですが、それだけ。男性向けではなく、女性向けのプレジャーというと、なんて言うんでしょう、怖がる方がいるんですよね。
IMALU:わからない世界だからですよね。
北原:そうそう。だから、知りたくない、と閉じてしまう。今話題の女性向けのブレジャーブランド、ウーマナイザーの提供で、真面目な性教育番組を放送するという企画で進めながらも、例えば飲食系メーカーのスポンサーとは異なるハードルは当然ありました。公共の電波で性的な話をすると、不愉快な思いをする人々ももちろんいるので。それを踏まえて、プレジャーは卑猥なものではなく健康のためであり、人権の話なんですという普通のことを、わかりやすく、大きな声で淡々と説明していきました。そんな中、FM FUJIで企画を通してくれた方がいて、日曜の夜の時間帯で放送が実現しました。
IMALU:日曜の19時半ですから、夕食の時間ですよね。そこでコンドームの話をするような番組をやるって、今の時代として攻めていますよね。でも、少しずつ性の話をする場所がオープンになってきている証拠ですよね。
北原:今でもだめかもしれないですけど、以前、「なぜ、女性器の通称をそのまま言えないんですか?」と発言したら、名称を口にして編集されずに流れたので、そのラジオ番組が放送終了したことがあって(笑)。1980年代のテレビだったらダメかもしれないけど、2000年代だったからもう大丈夫かなと思ったらまだダメだったんです。
IMALU:わからなくはないですけどね。時間帯によってそういう反応が出てきてしまうのは。第1回目の放送は、「性教育ってどこまで受けた?」という話から始まりましたけど、私自身、そういうテーマで話をした記憶が全くなくて。生理の話は、小学校の高学年の頃に、女子だけ集まって聞いたのはなんとなく覚えていますが、セックスについて、どういうリスク、病気があるのかはまず教えてもらった記憶がないし、話せる場もなかったし、ラジオというメディアを通しても話す機会がなかったわけですもんね。
北原:これまでは、女性の身体の話をすると、大体エロに結びつけられてもらってきたけど、フェムテックという便利な言葉ができて、すごく楽になったなという思いはあるんです。テックがついた途端、エロという部分がスポンと外れる。でも、これからそれが自分のことだよという話をしながら中身をどう深めていくかが大事になってくる。IMALUさんって、教える人じゃなくて、こうやって一緒に考えてくれる、こういうことを口に出してもいいんだよとドアを開けてくれる人なんです。だから、IMALUさんの言葉を聞くのが、すごく楽しい時間になるんじゃないかなと思ってます。
IMALU:いろんなリスナーさんに届いてほしいし、たくさんいろんな意見を寄せてほしいですね。それをみんなで話していきたいなと。それと、みのりさんのコネを使って(笑)、プロフェッショナルな方の話も聞きたいですね。個人的に、産婦人科が怖くて行けない人なんですが、気になるトピックはたくさんがあるので、そういう医学的な話も聞きたいし。1回目の放送も、ドイツのウーマナイザー本社の方とつないで、ドイツと日本の性教育の違いを話したり、みのりさんにも参加していただいて、本当にあっという間の収録でした。
北原:面白かったですよね。中学生・高校生に避妊教育をされている方の話を聞いて、まだまだ知らないこと、学べることがあると思いました。私はオーガナイザー的立場なので、企画をサポートしたり、ときどき登場したりする予定です。
——特に、どんな層に届けたいですか?
北原:どんな層にも届くものになるとは思いつつ、たぶん、IMALUさんの世代、30代は迷っている方がすごく多いんじゃないかなと。人生にリミットがあるかのように選択を迫られる。ずっと厄年みたいな感じ。振り返ってみても、30代は自分もすごく辛かったので。だから、セクシャルウェルネスという観点から自分を捉え直すことは、すごく大事な新しい取り組みだと思うので、そういう人たちに届くといいですね。
IMALU:届いてほしいですね。でも、性教育って、女性のことだけでもないですし、男性のこともぜひ知りたいし、しかも、放送の時間が19時半ということは、子どもも聞いてる可能性がありますよね。こういう番組は、私の時代もそうですし、みのりさんの時代もなかったわけだから、しっかり性について学べる番組になったらいいなと勝手に思ってます。
北原:うん、中学生や高校生にももちろん、伝わってほしいですね。
——番組が届ける、“MY BODY MY CHOICE(私の体、私の選択)”というメッセージは、どのくらい浸透していると感じますか?
IMALU:海外では声を上げてる人たちがたくさんいて、そういう人たちからたくさん元気や勇気をもらってはいますが、日本はまだ女性としての生きづらさを感じやすい環境なんじゃないかとは感じていて、性教育が広がらないという問題にもつながっている気がします。“MY BODY MY CHOICE”は、当たり前のことなのに、まだ広がってはいない考えなんじゃないかなと。
北原:以前、IMALUさんが30代になったときの自身の戸惑いや、周りからいきなり結婚や子どものことをまるで人生にリミットがあるかのように聞かれる居心地の悪さについて話されていましたが、それも自分の選択なのに、誰かに色々決められるような嫌さがあって、それは恐怖にも近いものがあるかもしれない。「私の選択は私のもの」ということが大前提で、基本なんですよね。そこから、性教育の話をしようということ、意味があるんじゃないかな、と考えています。