6月2日に公開予定の映画『ウーマン・トーキング私たちの選択』では、女性たちの話し合いを軸に未来の姿が描かれる。作品の表現を出発点に、私たちの生きる社会の希望について、考えてみよう
Part1.サラ・ポーリー監督が語る、本作の意義
作中でカギとなる言葉や、撮影の手法。細部まで考え抜かれた本作について、サラ・ポーリー監督に聞く
彼女たちの語り合いこそがこの世界でもっとも大事
「人に言葉で伝えられないことに、もっともリアルな恐怖が存在している」と語るのはサラ・ポーリー。『ウーマン・トーキング 私たちの選択』で監督・脚本を務め、見事に脚色賞でアカデミー賞を受賞したばかりだ。この映画は、2000年代に隔離されたコミュニティで起きた事実をもとに描かれた小説が原作。虐待を受けた女性たちが、徹底的な話し合いにより最悪な状況から未来を想像し、希望のあり方を目の前で見せてくれる鮮烈な作品だ。現在44歳の彼女が「語り合う」ことの重要性を訴えるのも、去年「沈黙する女性」(『Run Towards the Danger』に収録)というタイトルのエッセイで、16歳のときにレイプされたことを告白したからかもしれない。
「映画のナレーションは、16歳の自分に向けて書いたつもりでした。言いたかったのは、トラウマの克服には、それを分かち合える人やコミュニティを見つけたほうがいいということ。人と共有できたと思えることが大事だから。孤独でいること、隔離されていること、言葉にできないでいることこそが、私たちを崩壊に向かわせる。人と言葉を通して理解し合うことには力がある。よりよい未来を想像し、作っていきたいという力が得られるから」
緊迫した状況の中で、意見が相違する女性たちが論争を繰り広げる今作。研ぎ澄まされた彼女たちの言葉は、観る者の胸に何度も突き刺さる。そんなリアルな言葉を探すために、監督はプロデューサーも務めたフランシス・マクドーマンドなど豪華な俳優陣や、スタッフと話し合いながら脚本を書き上げていった。
「たとえば『"赦し"は時として"許可"と混同されるかも』というセリフがあります。それは家庭内暴力について体験を打ち明けているときに、誰かが放った言葉でした。パートナーを赦したことで、その人に許可を与えたと誤解されてしまったと。赦しはすごくデリケートで、だからこそ慎重に扱わなくちゃいけない」
ただ監督が意識していたのは、今作で女性が暴力を受けるシーンは絶対に描かないということ。
「性的暴力を見せるのは意味がありません。この映画は、むしろそれがどんな衝撃を残し、そこから彼女たちがいかにして前進するのかについて描いているから。ただ性的暴力が起きた直後のシーンを見せるのは重要だと思った。現代社会でも、トラウマが記憶を抹消し、女性たちが訴えようとするときの弊害になるから」
また彼女らしい才能が光るのは、言ってみれば、女性たちが話し合う"だけ"の作品を壮大なスケールで撮影したこと。
「繰り広げられる会話が、どれだけ重要なのかを容赦なく伝えたかったんです。顔のアップや屋内の映像が多いのですが、法廷劇のようにはしたくなかった。ここで女性たちが語り合うのは、コミュニティ全体についてであり、今の世界の何を破壊し、どんな世界を築き上げたいのかということ。何より真の民主主義を実行するのがいかに大事かについて。子どもの頃に観た戦争やフットボールの映画は、まるでそれが今世界で唯一起きていることかのように空撮されていて大嫌いでした(笑)。でもここではあえてその西部劇などの男性的なフォーマットで撮影したかったんです。なぜなら、彼女たちがここで語り合っていることこそ、今の世界でもっとも大事なことだから」
1979年、カナダ生まれ。4歳で映画にて俳優デビューし、TVシリーズ「アボンリーへの道」でスターに。『スウィート ヒアアフター』(’97)などに出演後、『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』(’06)で初監督以来、常に高評価を得ている。
Part2.クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、ベン・ウィショーに聞く。キャストは物語とどう対峙したか
出演した俳優陣、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、ベン・ウィショーがそれぞれの視点で捉えた作品の真髄とは
監督と俳優で一丸となり、みんなで答えを考えていく
「俳優としてラッキーだったのは、自分の役(サロメ)の視点から、この映画を体験できたこと。女性たちへの愛も、苦痛も、裏切りも。でも完成した映画を観たら、この作品が何を定義しているのかがわかって衝撃を受けました。彼女たちの会話が体現するのは希望であり、いかにして希望を持てるのか、希望がわれわれをどこへ連れていってくれるのかについて。それから、人間性への希望。悲しみ、喪失、苦痛を体験したあとの希望も描かれています。ベン・ウィショー演じるオーガストが可能性を象徴してくれていますしね(笑)」と語るのはクレア・フォイだ。「コミュニティの中で、最高の意味で怖いもの知らずの役」を演じている。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』が卓越した作品となった理由のひとつは、このフォイはじめ、フランシス・マクドーマンド、ルーニー・マーラ、ジェシー・バックリーに、男性の俳優として唯一登場したウィショーまで、今を代表する名優がひとりでなく「コミュニティ」レベルで集まっていることだ。サラ・ポーリー監督も実際「コミュニティ」を作るつもりでゆっくりキャスティングしたと語っていた。バックリーにとっても、その体験は唯一無二だったようだ。
「サラと仕事して、私の中の映画撮影の概念が変わってしまったくらいでした。彼女はこの作品で、これまで誰も提示しなかったような疑問を投げかけ、重要かつ危険ともいえるテーマに立ち向かっていった。しかも驚いたのは、彼女が出した答えを一方的に私たちに押しつけるのではなく、その答えは彼女にもわからないからみんなで一緒に見つけよう、みんなと一緒ならできる、と感じる環境を作ってくれたこと。だから、サラと彼女が集めた人々と一緒に、本当に語りたい物語を演じられて幸運だったと思います」
社会に求められる変化のあり方を提示している
監督は原作を読んだときに「唯一出てくる男性がいい人であることが好きだった」とも語っていたのだが、その役にウィショーが選ばれたことも完璧に思える。演技力がずば抜けているのは言わずもがなだが、彼の優しく思慮深いイメージにもぴったりだから。実際、唯一の男性としての重要な役割について慎重に言葉を選びながら語ってくれた。
「この作品の好きだった点は、男性も変化に関わるということ。だからこの映画を観て、男性はこれまで長い間抑圧者だったから、ここから先はその犠牲を払わなくてはいけないと思う必要はありません 。サラは、トキシック・マスキュリニティについてそんな単純な考え方をしていないから。僕がオーガストを好きだった理由のひとつは、彼が話を聞くためにいること。自分のためではなく、女性たちのためにいる。だから思いを寄せていたオーナ(ルーニー・マーラ)の決断について、彼個人の気持ちより大きなことをしようとしているのだと理解し、尊重しています。彼を思うと僕の心が張り裂けそうだったけれど。彼は彼女たちの立場になり、自分が意見を述べる前に、彼女たちの発言をしっかりと聞く。それって本当に美しいことだと思うんです。だって、現実世界の関係性はこれまで常に逆だったわけだから。男性は支配することのみでアイデンティティが確立されるかのごとく、自分の言いたいことばかりを主張し、女性は不運なことに、それを聞いていなくてはならなかった。でもこの映画ではそれを逆にしてみせた。しかも、聞くこと、静かでいること、優しいことを、強く、美しいものとして描いている。それは弱さではないんです」
この映画は観終わったあとも、長く余韻を残すが、それは出演した俳優にとっても同様だったようだ。バックリーが語った。
「私の役(マリチェ)は、長く続いてきた暴力と向き合っている。でも彼女はそれを忘れて、コミュニティを去り、ほかの地に行くことを想像してもいいんだと思えるようになった。しかも、生まれ変わってからではなくて、今の人生でね」
マリチェの経験する変化こそ、この映画が提示しているわれわれの社会に今必要なことなのかもしれない。バックリーが続ける。
「最近よく考えているのは、私たちが先祖から受け継いだ物語は何だったのか、ここからいったいどんなオリジンストーリーを語っていけるのか? ということ。そしてこの映画こそが、変化や希望のあり方について、私たちが描き始めた物語だと思ったんです。つまり今立っている場所が原点であり、変わっていく瞬間なんだと。この映画は、きっと前進するきっかけになる。そしてここから生まれた会話は、私たちの新たな物語の第一章なのだと思います」
1980年、英国生まれ。「007」シリーズに出演。「英国スキャンダル〜セックスと陰謀のソープ事件」でエミー賞受賞。
1989年、アイルランド生まれ。「戦争と平和」で脚光を浴び『ロスト・ドーター』(’21)ではアカデミー賞にもノミネート。
1984年、英国生まれ。BBC「ウルフ・ホール」、『ファースト・マン』(’18)出演のほか、Netflix「ザ・クラウン」でエミー賞受賞。
Part3.物語を通して考える、対話の未来
ストーリーの主軸となっているのは、追い詰められた女性たちの"話し合い"。女性が交わす対話や発言に焦点を当て、海外文学の翻訳者ふたりがその捉え方、価値を語る
やまさき まどか●著書に『真似のできない女たち——21人の最低で最高の人生』(ちくま文庫)など。訳書にサリー・ルーニー『ノーマル・ピープル』(早川書房)など多数。本誌でもコラムを好評連載中。
こうのす ゆきこ●東京生まれ。著書に『文学は予言する』(新潮選書)など。マーガレット・アトウッド『誓願』(早川書房)、アマンダ・ゴーマン『わたしたちの登る丘』(文春文庫)、トマス・H・クック『緋色の記憶』(ハヤカワ・ミステリ文庫)など訳書多数。
© 五十嵐美弥
安全確保後に状況を変えるというゴールが見える
鴻巣 監督・脚本を務めたサラ・ポーリーは、今年のアカデミー賞脚色賞に輝いただけあって、原作のアダプテーションの方法が非常に巧み。原作となるミリアム・トウズの小説では、オーガストという男性の語りだったのを女性側の対話に置き換えていて、大胆だなと思いました。
山崎 対話に注目してみると、それまで物事を考えないように仕向けられてきた女性たちの話し合いにしては、割と理路整然としています。本来なら自分たちの言葉を獲得したのちに対話が行われるはず。その過程が省かれているのは、男たちが戻ってくるまでに大急ぎで多くのことを決めなくてはいけないタイムリスクがあるから。物語を成立させるためにそこは省略したんでしょう。
鴻巣 彼女たちは、命の危険が迫っているから、とりあえずどこかに行かなくてはいけないと繰り返し言っていますよね。早く身を移して安全を確保する必要があります。
山崎 そうですね。みんな整理された言葉で語っていますが、真っ向から議論しているわけではない。なぜなら、それぞれ意見は異なる点があるけれど、まず身を守り今の状況を変えなくてはいけないというゴールが決まっている。基本的には同じ方向性を保っての話し合いです。
鴻巣 ①何もしない、つまり男たちを赦す、②残って闘う、③出て行くという選択肢が挙げられ、②と③について話し合います。その後、彼女たちは一つの結論を出します。
山崎 結論はほとんど最初から決まっているけれど、そこに気持ちをどう合わせていくのか、という話し合いになっているのは、とても注目すべき点だと思いました。
鴻巣 長老のグレタが馬のたとえ話をする場面が印象に残っています。
山崎 "馬車がコントロールできないときは遠くを見るとうまくいく"ですね。自分の言語体系で状況をまとめようとしているのが面白かった。
今はまだ自分たちなりの対話の方法を模索している
鴻巣 映画ではリテラシーについても描いています。このコミュニティの女性はみんな読み書きができない。その状況は、マーガレット・アトウッドの小説『侍女の物語』の世界そのままで、独裁的な管理社会はまず言葉や文字を奪います。彼女たちは意思を絵でしか表現できないというかたちで、抑圧の場が描かれていました。声を封圧し読み書きを禁じるのは、効果的な支配の方法。人間の尊厳を踏みにじり、従わせてしまう。
山崎 たとえばサリー・ルーニーの『ノーマル・ピープル』など会話の多い小説の仕事で注意しているのは、大勢がその場で会話をしていても一人ひとりが考えしゃべっているのがわかるように訳すこと。訳者はそれぞれのボイスを理解する必要があります。だからこの映画でも"女性"とひと塊で捉えるのではなく、さまざまな女性の話だということは忘れてはいけない。現実の対話でもおのおの違うバックボーンや考え方があるとわかった上で話す。SNSで罵り合いを目にしたときによく思うことです。
鴻巣 バイデン大統領就任式で詩人アマンダ・ゴーマンが朗誦した「わたしたちの登る丘」という詩では、これまでアメリカは憲法の序文にある「モア・パーフェクト・ユニオン」を目指すと言ってきたのが、パーフェクトは求めない、バラバラでいい、多様性を認めよう、それが私たちの目指す国だと宣言しています。つまり、同じ方向を向いていない人たちと共存していくには、対話が大事であることを、あの詩は表現している。でも確かにネット空間では、炎上していると白黒はっきりしろと迫られたり、対立した人とは二度と交わらなかったりしますね。
山崎 それは完璧を目指すことが私たちに染みついているからでしょうね。理想社会が一つだけだと思い込むのは性別問わず危険です。歴史は一方向に向かって進んでいるのではないと理解することは大事。
鴻巣 何でもリニアに捉えがちですよね。意見が多様化、細分化されている中でも、お互いに言葉を重ねて未来を切り開いていく。グレタのたとえ話のように遠くを見て進む、その歩み方も人それぞれでいいんです。
山崎 既存のルールが壊れ始めている時代だから、今はまだ女性がもっと幸せになる社会を作るため、安全な場所で自由に発言できることを目指しながら、話し合っている最中なのかなと。ただ、この映画を観ても言えることですが、女性が対話に十分に慣れていない面もあります。まったく立場の違う人と話してわかり合う方法をまだ持っていない。それは、これまでそういう現場からは遠ざけられてきたからで、今は私たちなりの対話の仕方を見つけようとしている段階だと感じています。
鴻巣 女性が議論に向いていないという先入観を持つ人もいますが、単純に違う世界の人との出会いが比較的少なかっただけですよね。むしろ、肩書きや立場を超えた対話は女性のほうが得意なのでは、と思います。
山崎 人が何を言うかは予期せぬもの。だから相手の話をしっかり聞いてキャッチボールすることが重要です。対談やトークイベントでも思うことですが、事前に話すことを用意しても、その場にならないとわからない。話し合いも同じですね。
鴻巣 誰かがしゃべっているときに突っ込んで論破したとか、お互いが言いたいことを言っているのは議論ではありません。相手の話を遮らずに聞くことから対話が始まるんですよね。
Part4.私たちが対話を実践していくには
価値観が多様化する時代、日常においても他者との対話は不可欠だ。3人の女性がそれぞれの立場や個人的な体験から対話をどう実践してきたかを話す
おおた りな●2001年、雑誌『nicola』でデビュー。その後も雑誌、映画、ドラマなどで活躍。「来世ではちゃんとします」ほかに出演。13歳の娘を育てる母。
いい ゆりこ●文化服装学院卒業。雑誌や広告、俳優のスタイリングなど幅広く手がける。ファッションを通して社会問題に取り組む「+IPPO PROJECT」の活動も。
しみず あきこ●専門はフェミニズム/クィア理論。駒場キャンパスSaferSpace運営委員。著書『フェミニズムってなんですか?』(文春新書)ほか。
わかり合えないからこそ必要な対話のかたち
井伊 映画で描かれていたのは、共通の敵に向き合う女性たちの間でも考え方はそれぞれ違うということ。話し合いの中で、小さな衝突はありつつも、一つの答えを導き出した。限られた時間でもそれを可能にしたのは丁寧な対話だと思いました。
清水 私はとてもユートピア的な作品だと思って鑑賞しました。現実では異なる意見を交わしながら一つの答えを導き出すのはとても難しい。実際には、女性たちの間にも複雑な違いがあるからです。でも、本来は可能なはずだという希望も感じました。
太田 女性の間には「赦す」「闘う」という意見のほかに「立ち去る」という意見もあって、それは一見消極的な選択に思いがちですが、私は問題の対象に正面からぶつからず、時には離れることも勇気ある行動だと感じました。
清水 そうですね。映画では対話を重ねて一つの答えにたどり着いたけれど、こうすれば必ずうまくいくという法則はないと思います。相手の意見をきちんと聞くとか、悪意として受け取らないということは基本で、そこからさらに踏み込んで話をする場合、目の前の人が何に傷つき、悩んでいるのか、自分はどこまで主張してよくて、どこからが踏み込みすぎなのかは変わりますから。映画の中で一つ参考になるなと感じたのは、未婚のオーナと、夫と子どもを持つマリチェとの対話です。この地に留まって夫と闘おうとするマリチェに対してオーナは「これまで立ち向かうことができなかったあなたに今さらそんなことできない」と言う。するとマリチェは「結婚したこともないあなたに何がわかるの!」と怒ってしまう。するとオーナはマリチェに謝るんですね。ただ、主張それ自体を変えるわけではない。すでに苦しんできたマリチェをさらに傷つけたことに対する謝罪です。その後、マリチェはオーナの意見に耳を傾けるようになる。
井伊 相手の尊厳を傷つけていないかと自省して謝罪できるか。対話する上で忘れてはならないことですね。
太田 私が日常で一番話をするのは娘ですが、生活を共にする相手だからこそ、ストレートな物言いになって対話が難しくなるときがあります。ただ、私は言いすぎたと思ったらすぐに謝るようにしていて、直接口にするのが難しいときはノートに「ごめん」と書くことも。作中でも母と娘の対話がありますが、母が娘に与える影響は大きい。何げない言葉が相手を傷つけ、トラウマになることもある。私自身、言葉を交わすことで娘をコントロールしてしまうのではないかという恐れも感じています。
井伊 たしかに。距離が近しい相手ほど自分の考えを理解してほしいと思ってしまいますよね。いつの間にか理解させるのに必死になり、言葉が強くなることも。ただ、私は立場も経験も考え方も同じ人はいないから、わかってもらえなくて当然と思うようになりました。
太田 私は対話で必要なのは、自分を理解することだと思っています。自分でさえ感情や考え方の根源をつかめていないのに、相手が把握することはできないし、きっと相手のことも理解できない。立場の違いや考えをきちんと把握するのは時間がかかります。あとは感情的になりすぎず、冷静になる時間も大事。
井伊 私は仕事柄、現場での話し合いも多いのですが、感覚的なんです。正論があるわけではないので「明らかに間違ってる!」と攻撃的にならないというか、意見が合わなくても「信頼するあなたがいいと思うのならそうしましょう」と歩み寄れる。それはただ恵まれた環境にいるだけなのかもしれませんが。
清水 私たち研究者は井伊さんとは逆で感覚や感情は抜きにして、正論でやりとりをしようと試みます。一方で私は教育者、フェミニストでもあり、そちらは正論だけを交わしても成立しない世界。感情がある人間同士の話なので、互いの立場や背景を想像したり、関係性も踏まえることが必要なんですね。つまり、相手を見下したり、聞く価値もないと思っていれば成立しない。それは相手に敬意を持つということ。映画の中でも相手の存在を肯定することから会話が始まる場面がありました。
太田 そうですね。そして私たちは発言すること、話を聞く練習がもっと必要なんだと思いました。日本でははっきり意見を言う人が「言い方がキツい」とか「わがままだ」と非難され、とまどうことがあります。
井伊 私もフェミニズムについて男性と話すとき「もっと優しく話して」と言われたことが。個人攻撃ではないのに責められていると感じてしまうのかな。いびつな構造を変えるには男性の声も必要なのにどうしたらいいのかと思います。
清水 一番頑ななところからぶつからなくてもいいと思いますよ。性差別的な社会で生きづらさを感じる男性もいますから、その辺から「互いの経験を共有して、変えられるところから変えていこう」と話を進めてもいいのです。女性には、相手の様子に合わせて対話することのできる人が多いと思います。女性は多くの場合そう育てられるので。その能力を、自分たちが生きやすい世界を実現するために使ってもいいのでは。
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