ウクライナの女性は強いからベジャールの『ボレロ』を演目に
©瀬戸秀美 提供:光藍社(KORANSHA) 『ジゼル』の東京公演。寺田宜弘芸術監督(3列目中央付近)とウクライナ国立バレエ日本公演メンバー
「僕の生まれ育った街、京都は昔からウクライナのキーウと姉妹都市なんです。文化的な薫りがする古都というのも似ていますし、バレエを学ぶ環境としてもピッタリだったので、気づいたら11歳からキーウ国立バレエ学校へ、そしてウクライナ国立バレエに入団して、2012年にキーウ国立バレエ学校の芸術監督に就任しました」
こう語る寺田宜弘さん。その後も、京都国際観光大使なども務め、2021年にウクライナ国立歌劇場のバレエ副芸術監督に選ばれ、2022年12月には芸術監督に就任。ロシアによる侵略下という困難な時期にバレエ団運営、芸術面でもさらなるパワーアップと、世界からも評価される手腕を発揮している。そのいい例が、日本でも熱狂的なファンがいる振付家ジョン・ノイマイヤーさんに作品上演許可をもらったこと。このコラボレーションは、バレエ団のダンサーたちにも大いに刺激をもたらしたが、ほかに挑みたい振付家の作品はあるのだろうか。
「実は、モーリス・ベジャールの『ボレロ』をぜひ上演させてほしいんです」
思わず「うわぁ!」と声をあげてしまった。というのも、ベジャールの『ボレロ』は映画『愛と哀しみのボレロ』(’81 )の公開以来、日本を含めて爆発的な人気を博し、バレエ界だけではなく、古田新太さんや佐藤B作さんなど自分の芝居の中で真似して踊る役者もいたほど。かつ『ボレロ』のすごい点は、数十人の群舞(リズム)に囲まれて、赤い大きな円台の上でひとり踊る主役(メロディ)が男でも女でもいいところ。ゆえに映画版のジョルジュ・ドンをはじめ不世出の名花シルヴィ・ギエムと、たった15分程度の作品なのにいずれも名演ばかりなのだ。
「では寺田さんのメロディは男性? 女性?」と聞くと、寺田さんは即「女性ダンサーでいきたいです」と。
その理由に震えが来た。「ウクライナの女性って強い人です。戦時下にあっても決してへこたれないし、その姿が円台の上で踊る女神のような姿を思い起こさせると思って」
俄然、ウクライナ国立バレエ版『ボレロ』が見たくなった。ウクライナ国民だけでなく、世界中の女性たちを奮い立たせてくれるに違いない。
バレエ団のためにチャリティーも
©光藍社(KORANSHA)
劇場そのものが宝物といわれる、ウクライナ国立歌劇場。前身が誕生したのは1867年という歴史を持ち、キーウ市民の誇りだ。その音響効果の素晴らしさには、名だたる作曲家も絶賛したといい、戦時下の今でも公演が行われている。
ウクライナ国立バレエの懐事情も楽ではない。それでもはるばる日本までやってきて、舞台を披露するのは、「自分たちが創る芸術を一人でも多くの方に見ていただきたいから」だという。招聘の光藍社では、劇場のために〝トウシューズ基金〟というチャリティーを募っている。上演する劇場のロビーにはアンケート箱も置いてあって、バレエを習っているのであろうお団子ヘアの女の子が感想を入れている姿がなんともいじらしかった。
ダンサーたちも日本から多くの方が待っている、と
©瀬戸秀美 提供:光藍社(KORANSHA)
『ジゼル』はクラシック・バレエの人気演目。新しい舞台装置ともあいまって、美しい世界観をつくり上げている。2025年1月に予定されている来日公演でも上演予定だ。次回の公演の詳細と先行発売は、8月を予定している。
https://www.koransha.com
050-3776-6184
光藍社チケットセンター(12時~16時/定休日:土・日・祝日)
「正直に言うと何もかも足りないです、バレエ団の健全な運営には。でもウクライナ国民みんなが困窮に耐えているわけですからね。日本の方の思いは本当にありがたいし、決して無駄にしてはいけないと思います。日本からの義援金のおかげで今回は『ジセル』の舞台装置を新しくして、制作を行うことができました。『ジゼル』は、第2幕の幕切れ、死んでウィリー(妖精)になったジゼルとウィリーたちのバレエ・ブラン(女性ダンサー全員が白いチュチュをまとい、群舞するバレエのこと)。そこに自らの罪を悔いてやってきたアルブレヒトとジゼルが再び出会い、ウィリーの掟によって命を奪われそうになるアルブレヒトを逃して永遠の別れをする、というのが本来のストーリーです。だけど、新しい装置になったこともあって二人を結ばせたいと考えて(笑)」
たとえば『白鳥の湖』にしても白鳥に姿を変えられたオデット姫が身を挺して自分を救いに来たジークフリート王子と結ばれるバージョンもあれば、悪魔ロットバルトに打ち負かされ地上での愛は成就しないバージョンもある。
「ウクライナ国立バレエの『ジゼル』には、以前の演出版もあるから両方上演するのも面白いかもしれませんね」
フットワークの軽い寺田さんのことだ、いつか本当に二つのバージョンを上演してしまうのかもしれない。
寺田さんは2023年8月発売の『ニューズウィーク日本版』の〝世界が尊敬する日本人100〟の一人にも選出されている。故郷京都だけでなく、その活動に影響を受けている若い世代もきっと少なくないだろう。
「自分としてはやりたいことにまっすぐに向き合っているだけで、バレエ団も今いるメンバーだけでなく、新しく参加したいと思ってくれる人を、どう迎え入れるか。一つひとつ解決していくしかないんですけどね」
それでも年々応援団が増えているのは明らかだ。たとえば日本の政界にも、一人でフラッと劇場にやってきて、幕が下りると誰にも気づかれないようにサッと席を立って帰るようなバレエ好きの元総理大臣もいた。こういう人々に参加してもらったり、あるいはメディア媒体で何かできないか。ダンサーたちの協力をあおいで〝大人のためのバレエ教室〟などというのも楽しいかもしれない。バレエダンサーたちの立ち姿を間近で見るだけでこちらの背すじもスッと伸びるはずだから。
戦禍を越えて歩み続ける
©光藍社(KORANSHA)
2022年、日本からウクライナ国立歌劇場への義援金が集められた。現在は、ウクライナ国立バレエへの支援を続けるためトウシューズ基金が設けられ、光藍社公式オンラインショップから寄付が可能。
https://koransha.stores.jp
「僕たちバレエ団はウクライナの国を代表する存在だから、ロシアの作曲家、たとえばチャイコフスキーやムソルグスキーの音楽は今、使えない。でもそれ以外にもいい音楽はいっぱいありますから心配していません」。これもまた戦争がもたらした現実だろう。
「実は次の日本公演の演目も考えているんです。まだ発表できませんが(笑)。これまでのレパートリーに今回の『雪の女王』のように日本ではまだ上演していなかった作品や新作も。僕もスタッフももちろんダンサーたちもますます忙しくなりますが、爆撃にさらされて踊れなかった日々を思えば、このほうがずっといい。『ウクライナの女性は強い』と先ほど言いましたが、『女性だけでなくウクライナ人は強い』と言い直したいですね」
冒頭で触れたように、強くて、優雅で、美しい。まさに心身ともにしなやかという表現が似合うウクライナ国立バレエのダンサーたちに、その魅力のヒントを教わりたい。彼らの活動を支える周囲の人々を含め、美しさはきっと伝播するはずだから。
「バレエ団のメンバーたちも、日本の人々、文化などから多くのものを得ていると言っています。食べ物ももちろんだけど(笑)、日本に行っていろんな方々と接するうちになんとも言えない心の平安というかバランスのとれた感覚になれるんだと。僕自身、日本人ではありますが、確かにそういう再発見があるかもしれません。だから、次回日本に行くときはもっともっと豊かで楽しい交流を果たしたいですね。新しく知り合う方々とも」