映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの出演で知られるジョニー・デップは、1999年にハリウッド殿堂入りを果たす。長年のパートナー関係にあったヴァネッサ・パラディとの間に、長女リリー=ローズ・デップと長男ジョン・クリストファー・デップの父親でもある。米『ピープル』誌恒例の「最もセクシーな男」に二度選出された経歴を持つ、ジョニーの若かりし頃の写真も必見!
ジョニー・デップの注目ニュース
久々にジャック・スパロウ姿に扮した理由は?
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズでおなじみのジャック・スパロウ船長に扮して、オーストラリアの子ども病院をバーチャル訪問したジョニー。過去には実際にその病院を訪れており、今回はオンライン上で3人の子どもたちと会話を楽しんだそう。ジョニーがこの活動を始めたきっかけとは?
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ジョニー・デップのプロフィール
ジョニー・デップの生い立ち
家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、7歳のときにフロリダ州・ミラマーに移住。その後、1978年に両親は離婚している。子ども時代はストレスのために自傷行為を繰り返していたとか。12歳で酒を飲み始め、14歳の頃にはドラッグに手を染めた。そんなジョニーの人生を変えたきっかけは、親友との死別だったと言われている。
2022年4月、ジョニー・デップが元妻のアンバー・ハードを名誉毀損で訴えた裁判で、ジョニーの実の姉のクリスティ・デンブロウスキーが証人として出廷。ジョニーが母親から虐待を受けていたことを証言。愛情深く穏やかな父親と神経質で怒りっぽい母親の間で育てられたと言い、母親から怒鳴られたり殴られたりすることが日常茶飯事だったと告白した。
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ジョニー・デップのキャリア
ミュージシャンとしてのキャリア
ロックスターを夢見たジョニーは16歳で高校を中退し、ミュージシャンの道に進む。フロリダ州で「The Kids」を結成し、リードギタリストとして活動していたジョニー。イギー・ポップの前座を務めるなど、バンドは商業的に成功を収めた。その後はロサンゼルスに活動拠点を移し、バンド名を「Six Gun Method」と改名。しかし、俳優としての活動が軌道に乗ってきたジョニーは、21歳のときにバンドを解散した。
俳優として成功してからもジョニーはギタリストとして、「Oasis」や元パートナーのヴァネッサ・パラディ、親友のマリリン・マンソンのアルバムに参加したり、1990年代には「P」というバンドを結成し、アルバムをリリースしている。ジョニーは「The Kids」の元メンバーと現在も交流があり、2008年にはチャリティイベントの一環で同じステージに立って演奏したことも。2014年に再結成するのでは?と噂されたが、実現しなかった。その一方で、俳優が知名度を利用して音楽活動をする行為は嫌悪しており、本格的な音楽活動をすることはないと話している。
2015年には、アリス・クーパー、ジョー・ペリーとともにロックグループ「Hollywood Vampires(ハリウッド・ヴァンパイアーズ)」を結成。同年9月11日に、バンドと同名のスタジオアルバムをリリースした。
直近の出演作『夷狄を待ちながら』(2019)、『ミナマタ』(2020)の公開後は、音楽活動に専念することを発表していたジョニー。
2019年、4年ぶりとなる2枚目のアルバム『Rise』を発表。2022年5月には友人のジェフ・ベックのライブにサプライズで登場し、会場を沸かせた。ハリウッド・ヴァンパイアーズは2023年にツアーを開催。
俳優としてのキャリア
ミュージシャンとして活動していたジョニーに俳優業を勧めたのが、ニコラス・ケイジ。当初、俳優業には消極的なジョニーだったが、彼の才能を見込んでいたニコラスはエージェントにジョニーを紹介する。そのエージェントが提案したのが、ホラー映画『エルム街の悪夢』のオーディションへの参加だった。見事合格したジョニーは同作で主人公の恋人役に抜擢され、銀幕デビューを飾った。
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1990年公開の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、ヒューマンドラマ『ギルバート・グレイプ』(1993年)や伝記映画『エド・ウッド』(1994年)といった作品に立て続けに出演し、俳優としての実力を身につけていった。『シザーハンズ』でタッグを組んだティム・バートン監督は、のちに『スリーピー・ホロウ』(1999年)、『チャーリーとチョコレート工場』(2005年)、『ティム・バートンのコープスブライド』(アニメ映画・2005年)、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007年)、そして『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)シリーズなど、ジョニーが個性派俳優としての確固たる地位を築く上で欠かせない作品を手がけた。
1999年、36歳のときに、これまでの功績が認められたジョニーはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれ、ハリウッドスターの仲間入りを果たした。
その4年後の2003年、ジョニーの代表作となるディズニー映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』が公開される。海賊ジャック・スパロウを演じたジョニーが、このキャラクターをキース・リチャーズのイメージから創り上げたのは有名な話。第一作目の興行収入は、アメリカでは6.5億ドル(約706億円)、日本での興行収入は約68億円と言われている。同作は、続く『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年)、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(2007年)、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』(2011年)、そして『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』(2017年)と第5作まで製作された。
2016年からは主演作ではないものの、アガサ・クリスティの名作『オリエント急行の殺人』を題材にした『オリエント急行殺人事件』(2017年)や『ハリーポッター』シリーズのスピンオフ作品『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(2016年)などといった話題作に出演している。制作にも携わった映画『ミナマタ』(2020年)では、水俣病の惨事をカメラに収めたフォトジャーナリスト、ユージン・スミスを演じた。
出演映画一覧
公開年/タイトル/役名
1984/エルム街の悪夢/グレン・ランツ
1985/マイアミ・ホット・リゾート/ジャック・マーシャル
1986/プラトーン/ガーター・ラーナー
1986/殺しに熱きテキーラを/ドニー・フレイシャー(テレビ映画)
1990/クライ・ベイビー/ウェイド・“クライ・ベイビー”・ウォーカー
1990/シザーハンズ/エドワード・シザーハンズ
1991/エルム街の悪夢 ザ・ファイナルナイトメア/テレビの中の少年(カメオ出演)
1993/ギルバート・グレイプ/ギルバート・グレイプ
1993/妹の恋人/サム
1993/アリゾナ・ドリーム/アクセル・ブラックマー
1994/エド・ウッド/エド・ウッド
1995/ニック・オブ・タイム/ジーン・ワトソン
1995/デッドマン/ウィリアム・ブレイク
1995/ドンファン/ドン・ファン / ジョン・R・デ・マルコ
1996/ザ・カンヌ・プレイヤー/本人
1997/フェイク/ジョー・ピストーネ / ドニー・ブラスコ
1997/ブレイブ/ラファエル(兼監督・脚本)
1998/ラスベガスをやっつけろ/ラウル・デューク
1998/GO!GO!L.A./本人 / ウィリアム・ブレイク
1999/スリーピー・ホロウ/イカボッド・クレーン
1999/ノイズ/スペンサー・アマコスト
1999/ナインスゲート/ディーン・コルソ
2000/ショコラ/ルー
2000/夜になるまえに/ボンボン / ビクター中尉
2000/耳に残るは君の歌声/チェーザー
2001/フロム・ヘル/フレッド・アバーライン
2001/ブロウ/ジョージ・ユング
2003/レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード/シェルダン・ジェフリー・サンズ
2003/パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち/ジャック・スパロウ
2004/フレンチなしあわせのみつけ方/見知らぬ男(カメオ出演)
2004/ネバーランド/ジェームス・マシュー・バリ
2004/シークレット ウインドウ/モート・レイニー
2005/リバティーン/ロチェスター
2005/チャーリーとチョコレート工場/ウィリー・ウォンカ
2005/ティム・バートンのコープスブライド/ビクター・ヴァン・ドート(声の出演)
2006/パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト/ジャック・スパロウ
2007/パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド/ジャック・スパロウ
2007/スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師/スウィーニー・トッド / ベンジャミン・バーカー
2009/パブリック・エネミーズ/ジョン・デリンジャー
2009/Dr.パルナサスの鏡/鏡の向こうのトニー#1
2010/アリス・イン・ワンダーランド/マッドハッター
2010/ツーリスト/フランク・トゥーペロ
2011/ランゴ/ランゴ(声の出演、兼製作)
2011/パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉/ジャック・スパロウ
2011/ジャックとジル/本人
2011/ラム・ダイアリー/ポール・ケンプ(兼製作)
2012/21ジャンプストリート/トム・ハンソン(カメオ出演)
2012/ダーク・シャドウ/バーナバス・コリンズ(兼製作)
2013/ローン・レンジャー/トント(兼製作総指揮)
2014/トランセンデンス/ウィル・キャスター
2014/Mr.タスク/ギー・ラポワンテ
2014/イントゥ・ザ・ウッズ/狼
2015/チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密/チャーリー・モルデカイ(兼製作)
2015/ブラック・スキャンダル/ジェームズ・“ホワイティ”・バルジャー
2016/コンビニ・ウォーズ~バイトJK VS ミニナチ軍団~/ギー・ラポワンテ
2016/アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅/マッドハッター(タラント・ハイトップ)
2016/ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅/ゲラート・グリンデルバルド
2017/パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊/ジャック・スパロウ
2017/オリエント急行殺人事件/エドワード・ラチェット
2018/ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生/ゲラート・グリンデルバルド
2019/夷狄を待ちながら/ジョル大佐
2020/ミナマタ/ユージン・スミス
2022/サヴェージ X フェンティ・ショー Vol.4/本人
画家としてのキャリア
長年アートコレクターとしても活動しており、2022年1月には自画像を含めたアート作品をデジタル資産のNFTとして販売し、その売り上げの一部をチャリティ団体に寄付したことも話題となったジョニー・デップ。2022年7月には、デビューアートコレクションを発表、ロンドンのキャッスル・ファイン・アート・ギャラリーを通し販売した。作品が数時間でソールドアウトし、売り上げの合計金額は約300万ポンド(約4億8700万円)になったという。
ジョニー・デップの恋愛遍歴
ロリ・アン・アリソン(1982~1985年)
ジョニーが音楽活動をしていた頃に付き合っていたのは、バンド「The Kids」のメンバーの姉でメイクアップアーティストのロリ・アン・アリソン。ジョニーが20歳、ロリが25歳のときに結婚したが、わずか2年で離婚してしまった。ロリはその後、ニコラス・ケイジと交際している。写真は1983年にフロリダ州で、友人と家族の前で行われた少人数の結婚式での一枚。
ウィノナ・ライダー(1989~1993年)
女優のジェニファー・グレイ、シェリリン・フェンたちとの交際を経て(このふたりとも、スピード婚約している)、次に交際した相手がウィノナ・ライダー。当時17歳だったウィノナにベタ惚れだったというジョニー(当時28歳)は、交際5カ月で婚約した。1991年に結婚するはずのふたりだったが、この頃からお互いに主演映画の撮影が相次ぎ、一緒に過ごすことが難しくなっていった。さらに共演者たちとの恋の噂もひっきりなしに立てられ、亀裂が生じていったという。ジョニーは1993年6月に「1カ月前に破局している」と公表した。また、タトゥー好きで知られるジョニーは二の腕に「WINONA FOREVER(ウィノナよ、永遠に)」と入れたが、破局後に「WINO FOREVER(アル中よ、永遠に)」と変えたのはあまりに有名。
ケイト・モス(1994~1998年)
ウィノナと破局後、ジュリエット・ルイスやエレン・バーキンなどといった女優たちと恋に落ちたジョニー。その後は、ジョニーがひと目惚れをしたことがきっかけで、当時20歳だったモデルのケイト・モスと交際をスタート。これまでスピード婚約をしてきたジョニーだったが、ケイトとは交際2年を経て婚約した。ふたりは一度破局して復縁するも、交際から5年後の1998年に再び破局した。この破局でショックを受けたケイトは、精神的不安定やアルコール依存症になるほどジョニーを引きずったと言われており、のちのインタビューでは「何年も泣き続けた」と振り返っている。
ヴァネッサ・パラディ(1998~2012年)
ケイトと完全に破局しする前、すでに出会っていたのがヴァネッサ・パラディ。すぐに交際することはなかったというが、程なくしてヴァネッサに妊娠が発覚。1999年に長女のリリー=ローズ・デップを出産した。2002年には、長男のジョン・クリストファー・デップが誕生している。何度か結婚の噂も流れたが、2012年に破局を公表するまで事実婚という形で14年間をともに過ごした。
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アンバー・ハード(2012~2016年)
ヴァネッサとの破局原因とも言われているのが女優のアンバー・ハード。映画『ラム・ダイアリー』(2011年)の共演がきっかけで、ジョニーは23歳下のアンバーに猛アタックした。当時のアンバーは「バイセクシャルを公表している女優」として知られていた。2009年頃から交際が噂されていたふたりだが、揃って登場したのは2012年頃。それから約2年後の2014年に婚約、翌年に結婚した。しかし、2016年に「和解しがたい不一致」を理由に離婚を申請。その理由に、アンバーはジョニーからDV被害を受けたと告発。アンバーの顔にあざができている写真やジョニーが暴言を吐いている動画などが流出したが、ひとまずは示談で終結した。このときにジョニーがアンバーに支払った示談金は7億円と言われている。すると今度はジョニー側がDV被害を否定し、アンバーを名誉棄損で訴えるなどと前代未聞の泥沼離婚劇を繰り広げることに。
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ポリーナ・グレン(2019年4月~2019年11月)
元妻アンバーを名誉棄損で訴えた直後のジョニーに、新ロマンスが浮上。相手はジョニーよりも32歳年下のロシア人ダンサー、ポリーナ・グレン。ふたりはパーティで知り合ったそうで、ジョニーの自宅で同棲していたそう。しかし、ジョニーとの交際を「金が目当て」、「売名行為」などバッシングを受けてしまい、仕事先とジョニー宅を往復するだけの生活になってしまったポリーナ。2019年11月には、この生活に疲弊したポリーナがジョニーに別れを告げたと言われている。
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ジョエル・リッチ(2022年9月〜)
英ロンドンの弁護士事務所に所属しているジョエル・リッチ。2018年、ジョニーが英紙『The Sun』がアンバーへのDV疑惑を掲載したことを受け訴訟を起こしており、ジョエルはその英国で行われた裁判でジョニーの弁護を担当していた。ジョエルはその後米国で行われ、勝訴をおさめた裁判の弁護団には参加していなかったものの、法廷をたびたび訪れ裁判を傍聴。ジョニー側を支持する姿勢を示し、ジョニーと言葉をかわす姿も何度も目撃されていた。
『Us ウィークリー』が取材を行った関係者によると、「ジョエルは2018年にジョニーと出会った当時、結婚していたが現在は離婚を申請中。別居中の元夫との間にふたりの子供がいる」とも明かしており、離婚の原因はジョニーとの関係にあるのでは? との見方も。
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ジョニー・デップの子ども
リリー=ローズ・デップ
Photo:Getty Images
ジョニー・デップとヴァネッサ・パラディの”最強DNA”をしっかりと受け継ぎ、幼少期から”美少女”としてメディアを騒がせてきたリリー=ローズ・デップ。2014年の俳優デビューから、その唯一無二の美オーラとフレンチガールらしいファッションセンスで映画やランウェイ、広告に引っ張りだこ。2022年はザ・ウィークエンドが制作総指揮と主演を務めるHBOのドラマ『The Idol(原題)』でヒロインに抜擢され話題騒然。
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ジャック・ジョン・クリストファー
ジョニー・デップとヴァネッサ・パラディの息子で、ファミリーで唯一、芸能界入りしていないジャック。しかし、両親や姉の存在もあり、たびたびパパラッチの標的となってきた。2020年、ジャックが18歳の誕生日を迎えた際、リリーのインスタグラムに近影が投稿された。
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ジョニー・デップのエピソード
メガネと帽子のコレクターである
ジョニーのファッションに欠かせないのが、メガネと帽子の数々。いずれもヴィンテージを好むと言われている。愛用のメガネブランドは、1950年代に創業されたタート・オプティカルのヴィンテージ(現在は廃業)。同ブランドのアーネルというモデルのフレームは、2004年公開の映画『シークレット ウインドウ』でジョニーがかけていたもので、彼の私物と言われている。また、ランドルフも愛用ブランドのひとつ。ブルーレンズを入れたヴィンテージモデルは、イベントやステージなどでかけていることが多い。
帽子はステットソン、ボルサリーノなどのブランドを愛用。いずれも1950~60年代に作られたヴィンテージを集めているそうで、すべて合わせると数百個以上も持っているとか。かつてヴァネッサと暮らしていたパリのアパートの2部屋分はジョニーの帽子が占めていたそうで、彼女から断捨離するようにと言われたことがあったとか。ジョニーはホームレスから帽子を買ったこともある。
子どもが大好き
ヴァネッサとの間に、長女のリリー=ローズと長男のジョンが誕生し、二児の父親でもあるジョニーは子ども好きでも知られている。そのひとつに、ジョニーが映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのオファーを受けた理由は、「リリー=ローズとジャックジョンに見せたいから」と言われている。
ロンドンやパリにある子ども病院をジャック・スパロウ姿で訪問してきたジョニー。2015年に英トーク番組『The Graham Norton Show』に出演した際、2007年に愛娘リリー・ローズ・デップが腎不全で入院したことが、子ども病院へのサポートを重視するきっかけになったと語っている。2008年にリリー=ローズが腎臓病で入院した英グレート・オーモンド・ストリート病院をひそかに訪れ、「娘の命を救ってくれたお礼」として100万ポンド(約1億4,000万円)を寄付。
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2017年には破産説が浮上した
大ヒット作に次々と出演したジョニーは、2011年に米経済誌『フォーブス』が発表した「最も稼いだハリウッド俳優」ランキングで、5,000万ドル(約54億円)の2位にランクインするも、2017年に破産説が浮上。理由は、金遣いが荒いジョニーの浪費癖によるものと言われている。同時期にマネージャーを解雇したことも報道されたが、ジョニーは「マネージャーに違反行為があった」と主張し、訴訟騒動を起こした。
ジョニー・デップとアンバー・ハードの泥沼裁判
事の始まりは、2018年12月にアンバーがジョニーにDV(家庭内暴力)を受けたという内容の書簡が米紙『ワシントン・ポスト』に掲載されたこと。それを受け、ジョニーは名誉毀損であるとし、5,000万ドル(約63億円)の損害賠償を求めて提訴した。ジョニーは告発により『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを降板させられた。
2022年4月の裁判でジョニー側はDV疑惑を否定。アンバーがジョニーの悪い印象を世間に与えるために事実を捏造していると主張。対するアンバー側は、結婚していた間にジョニーから暴力を受けたことを繰り返し主張し、ジョニーを非難。双方の主張は激しく食い違う展開となった。
2022年5月には、約4年間ジョニーと交際していたケイト・モスが、ジョニーの名誉毀損裁判に証人としてリモート出廷。ケイトは「暴行されたことは一度もない」とジョニーに有利な証言をした。
6週間にわたって行われていた裁判は、2022年6月1日、ジョニーの勝訴という結果で幕を閉じた。
主な争点は、①その書簡が名誉毀損にあたるか、②虚偽であるか、③悪意があるものか、の3点だったが、結果的に陪審員はジョニー側の訴えをほぼ全て認め、損害賠償として1,000万ドル(約13億円)を支払うようアンバーに命令。ジョニーの完全勝訴で幕を閉じたかに思われた。しかし、アンバーと弁護人は裁判を担当した陪審員の1人が別人に入れ替わっていたとし、判決が不当なものであると主張。裁判のやり直しを求める意見書を提出。
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>>ジョニー・デップに敗訴したアンバー・ハード、「陪審員の不当な入れ替わり」を理由に裁判のやり直しを求める
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