イメージするのは白い木肌、青々とした葉っぱとそれを揺らす風の流れ。三重県産ヒノキオイルを用い、サンダルウッド、フランキンセンスのベースに、サイプレスやミント、ゼラニウムが爽やかに香る。
(100㎖)¥22,000/KITOWA ドレス¥31,900/アダム エ ロペ(ミッシングユーオールレディ)
ヒノキの香りで癒やされるかと問われると、考え込んでしまう。決して嫌いではないのだが、安らぐというよりも気が引き締まる思いがするからだ。この奇妙な感覚のズレが自分でも不思議だったのだが、ある香水との出合いを機に、それが幼い頃の体験に根ざしていることに気づいた。
小学校に入ってすぐ、近所のそろばん塾に通い始めた。手前味噌だがその塾内では優秀なほうで、三年生の夏には他校と合同の合宿メンバーに選ばれ、最年少で参加することになった。山の家に数日間こもり、見知らぬ高学年生や中学生たちとともに過ごす。まるで飛び級と転校が、同時にやってきたような気分だった。
合宿場は木造の新しい施設で、どこにいても清潔な木の匂いがした。「これはヒノキねぇ」引率のソバージュヘアの先生が呑気に深呼吸していたのが、やけに疎ましかった。萎縮した心が、もっとおじけづく。私にとって、それが初めてのヒノキの香りだった。
合宿はつらく厳しかった。涙を隠すために練習場から逃げ出したりもしたが、ソバージュヘアの先生が何も言わずそっと背中をなでてくれた。ヒノキの香りが立ち込める中、先生の手のぬくもりが心にしみた。
遠い過去の痛みをふと思い出したのは、キトワのオードパルファム「ヒノキ」に出合ったときだった。トップの爽快なサイプレスに身をひそめるように、ヒノキの知的な香りが凛々しく漂う。そこに、サンダルウッドが思いがけないまろやかさを添え、背中のあたりがじんわり温かくなる。
放たれた芳香にのせて、時間が巻き戻されてゆく。夏の山のすがすがしい空気、合宿場のヒノキの匂い、そろばんがいっせいに弾ける音、ソバージュ先生のやさしい手。移りゆくノートに呼応するように、それらがくっきりと頭に浮かんできた。
つけると心の片隅がヒリヒリして、緊張感がぞくりと背すじに走る。でもそれが心地よく、愛おしい。昔のほろ苦い記憶を美しく思い起こさせる魔力のある、キトワの香水なのである。