香りを表現の一つとしてよく目にする、「パウダリー」や「パウダリック」という言葉。お粉、白粉を意味するパウダーから派生した香りとはどういうものなのか? わかっているようで今ひとつ掴みきれないパウダリーな香りの正体とは? 香りにまつわる歴史への造詣が深く、その膨大な嗅覚リファレンスでセミナーやトレンド分析、カウンセリングなど香り分野で活躍するフレグランスアドバイザーMAHOさんに話を伺った。
パウダリーを作る香料の代表、スミレやアイリス
タイラ パウダリーとはよく聞く表現ですが、具体的にはどんな香料が使われた香りを指すのでしょうか。
MAHO そもそもパウダリーな香りがなぜあるか? というところからお話させてください。身体を清潔にするという、トイレタリーの概念はそれこそ紀元前からあったわけです。そのための石けんや香油は、油脂をベースに作られていました。けれど当時ですから、それは動物から採った油だったんですね。動物性だからどうしても獣臭がしてくるでしょうし。さらに、酸化するともっと臭うわけです。
タイラ たしかに。当時は酸化防止剤なんてないでしょうから。
MAHO そんな不快なニオイをマスキングするために香りづけとして選ばれていたのが、スミレやアイリスの根っこでした。石けんのベースとも相性がよく、持続性もあるんです。なのでその残り香は、石けんを使った後のような清潔感あるイメージと重なります。
タイラ そういえば、16世紀の作家シェイクスピアはスミレの花が好きで、作品にもよく登場させていたとか。
MAHO そうですね。一方で、スミレはサイレントフラワーとも呼ばれ、とても香り高いのに、香料としてはほんの少ししか採取できないものでした。しかし18-19世紀にかけての産業革命も追い風となり、スミレの香りを表す核となるような香料も誕生しました。産業革命と科学の進歩と言えば、1828年創業の、【ゲラン】が浮かびます。
タイラ 創設者は調香師であり、化学者でもありましたよね。
MAHO ゲランには、スミレやアイリスを取り入れた、穏やかな甘さのパウダリックな名香が数多く存在しています。例えば、【アンソレンス】など。
タイラ シルベーン・ドラクルトとモーリス・ルーセルが創作し、2006年にオーデトワレ、2008年にオーデパルファンが出ていますね。セルジュ・マンソーがデザインした大中小の半円が3つ重なる駒のようなボトルが印象的でしたが、今はゲランを象徴する逆さハートのキャップのついたボトルなんですね。
MAHO 時を少し戻すと、マリー・アントワネットの時代はまだまだ動物性香料が主流でした。彼女は毎日、浴槽に入り、植物の優しい香りをまとうことを習慣にしていました。だから、プチ・トリアノンでバラやスミレなど芳香のよい花を栽培していたんですよ。
タイラ 可憐な香りが好きだったんですね。
MAHO そうですね。世の中がどうなろうとも、ツバの広いお帽子を被って肌には白粉をはたいて、おリボンのついたドレスをまとって、スミレの香水をつける。それが上流階級のたしなみとてしての香水使いだったのです。
タイラ わー、まさに『ベルサイユのばら』の世界だ!
MAHO 【ディオール】のラ コレクオン プリヴェの「ディオラムール」が、そんなお嬢様風のロマンティックなフローラルムスキーノートなんです。こちらはもうひとつのパウダリーを作るお花であるアイリスにジャスミンを合わせ、仕上げはムスクによるパウダリーな香りに包まれます。
MAHO もうひとつアイリスが使われているパウダリーな香りとして紹介したいのが、【フエギア1833】の「バジェ デ ラ ルナ」です。スペイン語で”月の谷“という香水名で、月の表面の冴え冴えとした白さを感じるアイリスを中心としたマットな香りです。
タイラ フエギア1833はアルゼンチン発のフレグランスメゾン。南米の自然や文化にオマージュを捧げる香りづくりで有名ですね。
MAHO 月の谷はアルゼンチンのサン・フアン州にある観光名所。神秘的なクレーターと砂丘が点在する、紫色を帯びた幻想的な砂漠を指しているそう。この砂漠のドライな感じや、そこに輝く幻想的な月のひんやりとした感じが伝わってくるような香りですね。
バニラやトンカ、ムスクもパウダリーノートを作る香料
タイラ パウダリーというと、ムスクのような印象なのですが。
MAHO はい、その通り! ムスクもパウダリーノートを構成する香料ですね。他にバニラやトンカといった甘い粉の香りはまさにパウダリーですね。
タイラ ムスクの香り(「ムスク」ってどんな香り?」参照)は、透明なベールになって肌となじんでその人の匂いと調和するとここで習いました。ボディパウダー代わりに香りをまとうのも素敵ですよね。
MAHO まさに暑い日のシャワー後に、ボディパウダーをはたくようなイメージ。そんなパウダリックなムスキーノートが【ジバンシイ】の「イレジスティブル ヌード ベルベット」です。
タイラ 肌の温もりと一体化するような、さらさらとした香り。
MAHO ベルベットなマット感がよく表現されていますよね。アーモンドの香りも効いています。
タイラ アーモンドはバニラやトンカとよく合わせて使われる香料。甘さの中にアーモンドの香ばしさが加わることで、コクみたいなものが感じられます。
MAHO バニラといえば、昨年の6月に日本に上陸した【マティエール プルミエール】に、その名も「バニラ パウダー」という今回にぴったりのフレグランスがあります。
タイラ 高級なバニラはマダガスカル産。バニラの鞘は黒いものほど高級と聞きます。
MAHO この「バニラ パウダー」は、ダークで濃厚なバニラに真っ白いココナッツパウダーをブレンドしているそう。
タイラ 高品質の原料とブランド名が語っているように、高級感ある洗練されたバニラの香りですね。パウダリーな香りってともすると温もりあるようなイメージでしたが、花でいういとスミレやアイリスなどブルー系のお花で涼し気だし、バニラやトンカ、ムスクもマットでさらさらとしたイメージ。そう考えると、むしろ汗をかく今の時期にこそぴったりな気がしてきました。
MAHO はい、本当にそうなんですよ。もちろん、組合わせる香料にもよりますけれど。パウダリーな香りで「汗っぽさとは無縁ですの、オホホ……」と、上品にこの暑さをやり過ごせるといいですね。
夏の肌にパウダーをはたくのは、汗によるくずれを防ぎ、美肌を保つため。日本には白塗りという文化もあるように、そこには端正な上品さが宿る。そんなメイクアップやボディケアにならって、浴衣や単衣の着物を着るときに、ほんのりとパウダリーな香りのフレグランスをまとうのはいかが? 涼し気なパウダリーノートによる粋な演出、試してみては。

幼少から香水の世界に魅了され、フレグランス企業や調香師に師事した経験を基に、香りの豊かさや楽しみ方をセミナーやイベントで発信。またブランドに属さない中立的な目線で行う、個々の魅力や可能性を引き立てる香り選びのアドバイスも人気。日本調香技術普及協会理事や日本フレグランス協会常任講師として、国内の香水文化の普及と発展に尽力。

取材歴30年。SPURのフレグランス企画の連載担当ライターとして活躍。この連載を機にフレグランスの世界に魅せられ、現在は資格取得を目指してフレグランスの歴史やトレンドを学び直し中。