ときに調香師という人々は、香水を調合しているのではなくストーリーを綴っているのだと納得させられることがあります。エルメスの「鼻」であるクリスティーヌ・ナジェルもそのひとり。2016年に専属調香師に就任後、初めて単独で手掛けた「ギャロップ」で彼女が披露したのは、馬の背に乗って駆け抜けるバラというファンタジックな光景でした。優れた「ネ」は、香りを手に取った側に、見たことのない絵を見せる達人なのです。
「ギャロップ」でレザーとローズという不思議なマリアージュを奏でたクリスティーヌが放つ〈エルメッセンス〉の最新作は、ニオイスミレが主人公。慎み深い南仏産のスミレの相棒に選ばれたのは、オータクロアやプリュム、一部のボリードに用いられているヴォリンカレザーというから、やっぱり彼女は「確信犯」ですね。実にタフで、マスキュリンな印象のタイプのレザーを、繊細で可憐なスミレとクラッシュさせ、美しく無垢なフレグランスを誕生させました。
春の野を彩るスミレ。頭を垂れた静謐な佇まいと鮮やかな紫色が印象的な花です。新しい季節を迎える高揚感が、香りとともにフラッシュバックする人も多いはず。くすぐったい甘酸っぱさを力強く下支えするのが、ヴォリンカレザーのもつ、なめし革ならではの重厚なトーン。春風が駆け抜ける野原で、スミレとレザーが右から左から順番に優しく囁いてくる、そんな風景と一体になれるのが、このオードトワレなんです。対照的な香りとの邂逅でニオイスミレの魅力がより際立った、それこそがこの香りの勝因。私のように「ギャロップ」が好きな人なら抵抗なく愛せるはず。ニオイスミレのパウダリーな香り立ちのおかげで、よりイノセントなレザー・フローラルに仕上がりました。
ミリカミューズ オーデパルファムがいざなうのは、食前酒とともに過ごす甘い夕暮れ時。インスピレーションの軸は、ずばり赤いベリーが主役のアペリティフ。トップにはミリカと苺、タンジェリンが弾けます。ヤマモモ科の真っ赤な果実がバターのような甘さを奏でる一方で、ピンクペッパーがスパイスを、パチョリとバラがムスキーフローラルな輪郭を描いていく。最後に、レユニオン島のラムと樹脂系のベンゾインが、温かでグラマラスな余韻をトッピング。
ここで特筆すべきが、ローズとパチョリがアップサイクル香料だという点。天然由来の植物原料を積極的に採用するヴィーガン志向であることに加え、より環境保全に即したフォーミュラを追究する姿勢は、将来を見据えたサステイナブルな視座があってのもの。
週末の西陽のもと、バッグに入れたままだった小説と、一杯のご褒美が置かれたテーブル。マットな朱色のボトルを手にすると、そんな情景が目の前に広がります。
独特のひねり技のあるフローラル。単なる花々の香りではなく、折衷主義を活かしたクセありの魅力がありました。改めて、香水は妄想力の筋トレにもなることを実感。「なりたい自分」「見てみたい風景」に想いを馳せながら、フレグランス選びをしてみるのも、素敵です。