先日、「本はインテリアになったのか?」というテーマについて語り合うトークイベントに参加してきました。カフェの併設はもはや当たり前、ビールが飲めたり、コンシェルジュがいたりと書店が多様化する一方、電子書籍の台頭により読み手側にとっても本の接し方が変わりつつあります。私自身はというと、裸を見られるより本棚を見られる方が恥ずかしいと思う派で、本はあくまで読むもので見せるものではありません。でも、蔦谷書店やMUJI BOOKSに立ち寄るのは楽しいし刺激も受ける。“ジャケ買い”もしてしまう。本はファッションのように所有者のアティチュードを表現する有形でありながら、インナーマッスルというか内なる自分を形成する無形のものでもある、その陰陽が魅力なのだなと改めて気付かされた夜でした。
思えば、引っ越しをした際、「引き算のインテリア」をテーマに掲げ、本は物置部屋にまとめたのですがリビングに本や本棚がないとなんとなくさみしい印象に。そこで、雑誌や写真集、ハードカバーを数冊おいたところ、しっくりきました。また、その際に本の断捨離をしたのですが、現在SPURで展開中のプロジェクト「ナショナル・ファッションストーリー」にあるエピソード同様、思い出が宿った本は捨てることができません。それはもう、読むためのものでもなく、飾るためのものでもなく、思い出として昇華している大事な宝物。自分の分身のようなこの感覚は本というプロダクトのなせる技だな、と。そんな思い入れのある本しか残っていないから、さらに人には見せることができず、いきなりの来訪に備えて隠し本棚を作ろうか迷っています。(エディターR)
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