エマ・ワトソンのトップレス論争にみる、ネガティブギャップの恐ろしさ #深夜のこっそり話 #605

先週から一大センセーションを巻き起こしているのが、『ヴァニティ・フェア』誌に掲載されたエマ・ワトソンのトップレス写真。これまで極度の露出をほとんどしてこなかったエマが急にトップレスを披露したことで、写真は瞬く間に世に広まることに。普通の女優であれば「美しい!」の一言で済んでいたはず。しかし世間は、フェミニストとして活動するエマが“脱いだ”ことを受け入れられなかったよう。SNSではエマの思想と行動が“相容れない”という批判の声が続出。盛大に炎上してしまったのだ。
一連の騒動を眺めながら、フェミニズムに対する解釈の幅広さ、さらに世間の目の厳しさを再認識しつつ、思ったことがもうひとつ。“理想のグッドガール”が脱いだことが、よほどショックなんだなあ、ということ。
みなさん批判の際にやたらと“フェミニスト”という言葉を盾にしていますが、絶対その何割かは、「エマだけは清純でいてほしかった!」ってことが本心なんじゃないか、というのが私の持論。エマといえば『ハリー・ポッター』のハーマイオニー役が有名ですが、おなじみこの役は真面目な生徒会長タイプの女の子。そんな役で一躍スターとなったおかげで、グッドガールなイメージが定着。さらに名門ブラウン大学への入学、国連で女性を支援する「HeForShe」キャンペーンの立ち上げを行ったことから、勝手に優等生キャラが確立されてしまっているような。
国連での活動ではパンツスーツが定番、さらに地味な私服を見慣れていた人々は、エマのトップレスにかなりのギャップを感じたはず。それも、ネガティブなほうの。よく「ふと垣間見えたギャップにキュンとする」なんていう男性の声を聞きますが、それはあくまでポジティブなもの。「キャピキャピしているのに、実はすごく料理上手だった」とか「いつもはクールなのに、子どもを前にしてはしゃぐ姿がかわいかった」とか、ネガティブからポジティブに転換するギャップはよし。でもその反対、「家庭的なのに、じつは夜遊び好きだった」などは、まったく受け入れられない。これぞまさに、恋愛の落とし穴。私もどちらかと言えば、グッドガールタイプ。急いでキャラ転換せねばと焦っていると、友人から「何を勘違いしてるか知らないが、全くグッドガールなイメージはない」と指摘が。素直に安心していいものか…複雑な思いを胸に、眠りにつく夜です。(ライターA)

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