——まず、自らフレグランスブランドを手がけることになった経緯を教えてください。
「はい。実は、自分自身で香りのブランドを作りたいという気持ちは10代の頃からあったんです。というのも、私は温泉地として知られるラ・ロッシュ=ポゼで育ち、父は薬学に明るく化粧品に関わる仕事をしていました。週末には自然の中で過ごすことの多い家族だったので、幼い頃からコスメティックと自然はとても身近な存在だったんです」(ティボー、以下同)
——そういう背景から、香水業界で働くことを選んだんですね。
「そうです。企業に入社してから10年の間に、主にアジアにある香料やスパイスの産地や市場をいろいろ見て回りました。ビジネスに関しても素材についても知識が広がる経験をたくさん得ることができました。この10年間は、自分にとってとても有意義な学びの時間だったといえます」
——そして、2018年に「メゾン クリヴェリ」を設立。自身のブランドを作るにあたり、どういったヴィジョンを描いていましたか?
「第一に、自ら何かをやるならば、新しいものを取り入れたいと思っていました。それで、フレグランスへのアプローチに目を向けたんです。香りを通して、何かを発見するという体験を人々にもたらすことができれば。そんなアイデアが浮かんだんです。ブランドに協力してくれる調香師たちとの対話も大きなヒントになりましたね。やりとりを重ねるうちに、自分と彼らの香りへのアプローチが異なることに気がつきました。持っている知識も違う。この気づきから、ブランドをどう描いていくか俯瞰してとらえることができたのだと思います」
パーソナルな記憶に紐づく香りのインスピレーション
——体験をもたらす香りとは、具体的にどういったことですか?
「私はいわゆる共感覚というものを持っていて、ひとつの香りを嗅ぐことで、さまざまなイメージが湧いてくるということがあるんです。五感いっぱいに何かを感じると言いましょうか。こうした感覚の中で出合う驚きを、香りに代えて伝えることができればと考えました。驚きというのは、ブランドのキーワードのひとつです」
——実際の体験を香りに置き換えるという作業は、どのように進むのですか?
「ブランドの原点でもある『ローズ サルティフォリア』を例にあげましょう。バラの花が基調のこの香りは、私が双子の姉と海辺を散歩していた時の体験がもとになっています。あの日、空には太陽が美しく輝き、潮風が吹いている中を私たちは歩いていました。引き潮の時間だったので、辺りには海の香りが漂っていて、フラミンゴたちがいて。また、歩いているそばにはバラ園があり、ちょうど花が咲き始めたという頃で……。フラミンゴの色とバラの花びらの色が見事にマッチした風景でした。この時の景色や匂いが、『ローズ サルティフォリア』の調香のインスピレーションとなりました」
——塩との組み合わせというのがとても斬新です。塩の香りはどう表現しているのですか?
「天然の海藻から抽出したアブソリュートで、フレッシュな海の塩の香りを表しました。これをフランスのグラース地方で採れるローズ・サンティフォリアというバラのアブソリュートと組み合わせているんです。ネーミングに使用した“サルティフォリア”は、このセンティフォリアにちなんだ造語なんです」
——ローズといえばフェミニンなイメージが強いですが、「ローズ サルティフォリア」はユニセックスな印象ですね。
「ローズはもはや言うまでもなく、香水における定番中の定番。世の中にさまざまなローズの香りが存在していますよね。だからこそ、サプライズのあるものを作りたかった。太陽の輝きやきらめきも加えたくて、ブラッドオレンジやピンクペッパーもプラスしています。完成した香りは、王道のローズとは一線を画すもの。誇らしいなんて言ってしまうとおこがましいのですが、この香りは私にとって自信作で、とても気に入っているんです」
——ティボーさんが訪れたその美しい海辺がどこなのかも気になりますが。
「実際の場所や具体的な情報は、明かさないようにしているんです。それはなぜなら、手にとってくださる方々の感性を限定したくないから」
嗅覚が引き寄せるストーリーに思いを馳せて
——ティボーさんの物語ではなく、ひとりひとりが思い描いた景色を楽しむということですね。
「そうです。香りによって引き出されたイマジネーションを生かしてほしいですね。興味深いことに、香りを嗅いで思い浮かべる景色は人によってまったく違うんです。店頭にいらした方に実際に説明した時にも、皆さんそれぞれがいろんな場所を挙げてくれました」
——感覚に訴えるフレグランスならではの作用ですね。
「そうですね。香りを嗅いで、色を思い浮かべる人もいれば、テクスチャーの人もいます。あるいは音楽、丸みやトゲトゲしているなんていう形、誰かと会っている光景……というように、本当にいろいろで面白いですね」
——コレクションの中に、1点だけ赤みを帯びたオレンジ色のボトルがありますね。これはどういった香りなのですか?
「『イビスキュス マハジャ』ですね。インスピレーションとなったのは、私が以前に宝石の市場を訪れ、そこでハイビスカスティーを飲んだ時のことでした。トルコ産のダマスクローズのアブソリュートに、ミントやカシスでまばゆい雰囲気を加えています。あとは温もりのあるヴァニラにレザー、シナモンも。この『イビスキュス マハジャ』は唯一、賦香率が高い香りなんです。だからきっと、センセーショナルな香りの体験を味わってもらえるはず」
国や文化を超えて広がる、メゾンのスピリット
——ティボーさんはフランス人ですが、日本とフランスでは文化も違えば気候も異なります。異なる文化圏でブランドを展開するにあたり、何か気を配っていることなどはありますか?
「もともとインターナショナルなブランドにしたかったので、そうした心配や不安はありません。香りの構成もそうですが、パッケージもまた世界のさまざまな国の人々に親しんでいただけるようにと考えました」
——確かに、ボトルや箱の無駄を削ぎ落としたコンテンポラリーなデザインが印象的です。
「それに、こと日本について言うならば、私はこの国の文化にとても共感するところがあるんです。今回の滞在でも日光や京都に足を運び、その思いはますます確かなものになりました。伝統的に自然を重んじることや、何かを理解するのに時間をかけて丁寧に接していく精神、それから一期一会の精神……。ディテールへの細やかな配慮や自然への愛着は、私自身の中にも根づいている感覚です」
——最後に、メゾン クリヴェリの香りの楽しみ方についてアドヴァイスを!
「自分にとって特別な香りを探してみてください。嗅いだ瞬間に懐かしい記憶が呼び戻されたり、一瞬にしてどこかへ誘われたりというように、パーソナルで意味があると感じる香りを。五感を研ぎ澄ませて、そうした香りの出合いを楽しんでいただけたら嬉しいですね」