DAVID BOWIE/デヴィッド・ボウイ

 卓越したビジュアルセンスと、常に新しい表現を追求する姿勢で、音楽界の進化するレジェンドとして時代に名を刻むシンガー・ソングライター。奇抜なメイクとコスチュームで、自ら生み出した架空のロックスター“ジギー・スターダスト”に扮し、一躍グラムロック界の寵児に。その後も、時代の先端を行く音楽やファッションを果敢に取り入れ、巧みに自己プロデュース。よりポップな路線にシフトした1980年代からは、ファン層を広げて俳優としても活躍した。プライベートでは、一度目の妻アンジーとの間に映画監督の息子ダンカン・ジョーンズ、再婚したモデルのイマンとの間に娘アレクサンドリア・ザーラ・ジョーンズを授かる。2016年1月10日に家族にみとられながら、自宅で逝去。死の直前に発表した『ブラックスター』の収録曲『Lazarus』が、自身初となる全米チャート1位を獲得。

出身:イギリス、ロンドン ブリクストン 生年月日:1947年1月8日 身長:178cm 髪の色:ブロンド 瞳の色:(右)ブルー、(左)ブラウン〜グリーン

配偶者&パートナー歴:

アンジー・ボウイ(モデル 1970〜1980)
イマン・アブドゥルマジド(モデル 1992〜)

代表作:〈アルバム〉『世界を売った男』(1971)、『レッツ・ダンス』(1983) 〈映画〉『地球に落ちて来た男』(1976)、『戦場のメリークリスマス』(1983)

 

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69歳の誕生日にニューアルバム『ブラックスター』のプロモーション用に撮影された一枚。スーツはトム・ブラウンを着用(2015)Photo By instagram@davidbowie/David Bowie
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2013年にアートワークや衣装を展示した大回顧展『 Dave Bowie is』を開催。翌年には、ベスト盤『NOTHING HAS CHANGED 』を発表するなど、キャリア50周年を記念するイベントが続いた(2014)©amanaimages
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MoMAで行われたシャネル主宰のイベントでは、誕生日ケーキのろうそくを吹き消すティルダ・スウィントンにやさしく拍手を送った 。大のボウイ・フリークとして知られるティルダとは、最後のアルバム『★』のMVでも夫婦役で共演している(2013)©amanaimages
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トライベッカ映画祭で、息子ダンカン・ジョーンズの初監督映画『月に囚われた男 』のプレミアに出席。息子の晴れ舞台に華を添えた(2009年)©amanaimages
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シンガーのアリシア・キーズと妻のイマンがホストを務める、子供のためのチャリティーイベントに登場。アリシアとステージに立ち『Changes』を披露した(2006年)Getty Images 
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実在のアーティストを描いた映画『バスキア』で、アンディー・ウォーホル役に。ウォーホルが実際に使用したカツラ、サングラス、ジャケットを身につけ、嬉々としてして演じていたという(1996)©amanaimages
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ロンドンで行われたフレディ・マーキュリーの追悼公演でアニー・レノックスと共演。かつてクイーンと共作した『アンダー・プレッシャー』を歌った(1992)Getty Images
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1990年にディナーパーティで出会ったモデルのイマン・アブドゥルマジドと2度目の結婚。晩年もデートを愉しむなど、仲睦まじい様子が報じられた(1992)Photo By instagram@davidbowie/David Bowie
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1998年に「もう過去の作品は歌わない」とボウイとしての音楽活動の封印を宣言。バンド『ティン・マシーン』を結成し、2枚のアルバムと2回のワールド・ツアーを行った(1991)©amanaimages
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後にカルト的な人気となった『ハンガー』(1984)で、カトリーヌ・ドヌーヴと共演。作品中では、吸血鬼役のカトリーヌに魅入られた人間のパートナー役を演じた。華やかな二人を捉えたワンショット(1986)Getty Images
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ニューヨークのアトランティックスタジオでの、レコーディング風景をとらえたひとこま。アーティスティックなカリスマから、よりポップな方向への転換を試みていた時期(1985)©amanaimages
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日本、英国、オーストラリア、ニュージーランドの合作映画『戦場のメリークリスマス』に、捕虜役で出演。その美貌とカリスマ性で強い印象を残す。リラックスした表情のボウイの背後には、白いスーツ大島渚監督が見える(1983)©amanaimages
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ナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えたアルバム『レッツ・ダンス』のヒットで、よりメジャーな存在に。同作品を引っさげたワールドツアー『シリアス・ムーンライトツアー』を成功させ、ファン層を広げた(1983)©amanaimages
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退廃的なまでの痩躯に白シャツとベストまとい、新しいキャラクター「シン・ホワイト・デューク」(痩せた青白き公爵)になりきっていた時代。時代ごとに様々な“ペルソナ”を演じたボウイの、最後の仮面となった(1976)©amanaimages
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アバンギャルドなビジュアルが印象的な初主演映画『地球に落ちてきた男』では、宇宙からやってきた主人公を、人間離れした妖しい美しさで演じた(1976)©amanaimages
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新しいペルソナになりきった、「シン・ホワイト・デュークツアー」でのひとこま。これまでのカラフルで奇抜な衣装から一転、モノクロの衣装に身を包んでイメージチェンジ。セーラー風の帽子がお似合い(1976)©amanaimages
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1970年にモデルのアンジーと結婚し、その後息子ダンカン・ジョーンズ(当時の愛称はゾウイ・ボウイ)を授かる。ふたりは10年後に離婚(1974)©amanaimages
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音楽はもちろん、ファッション、モード、アートなどジャンルを超えて多くの影響を与えた。襟足を長く残し、サイドを借り上げたマレットヘアは、1970年代に彼が流行に火をつけ、80年代まで支持された(1974)Getty Images
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アイパッチに、スカーフ、赤いタイトなオーバーオールという衣装でオランダのテレビ番組に出演。アルバム『ダイヤモンド・ドッグス』で新たに生み出した、ハロウィン・ジャックというペルソナに扮した(1974)©amanaimages
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自ら生み出したペルソナ「ジギー・スターダスト」に扮してのステージ。漢字で「出火吐暴威(デヴィッド・ボウイ)」と描かれたコスチュームは、山本寛斎の作品(1973)Getty Images
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一躍グラムロック界の寵児として名を馳せた、ジギー・スターダストツアーでのワンショット。白塗りにシェードを入れた、当時としては斬新なメイクにパンツ一丁のような衣装!(1973)@amanaimages
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舞台裏で、自らメイクを施し“ジギー・スターダスト”姿に変身中の姿を捉えた一枚。奇抜なメイクを施し、グラムロックのアイコンへと登り詰めた(1973)©amanaimages
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フラワープリントのサテンジャケットの前をはだけ、ハイウエストパンツに編み上げブーツでポーズ。『世界を売った男』のプロモーションにて(1972)@amanaimages
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世界がアポロ11号の月面着陸に沸いた年、『2001年宇宙の旅』をモチーフにしたアルバム『スペイス・オディティ』がヒット。ロンドンで行われた授賞式に出席した、ロングヘア時代の若きボウイ(1970)Getty Images
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おかっぱヘアをなびかせて、ディヴィー・ジョーンズを名乗っていたころの貴重な一枚。この2年後に芸名を改め、デビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』を発表した(1965)Getty Images
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