永遠のファッションアイコン、ジェーン・バーキンがパリで逝去。生前は日本赤十字社への支援など慈善活動にも尽力

エルメスの有名なバッグ『バーキン』の名前の由来になったことでも知られる、俳優で歌手のジェーン・バーキン(享年76)が逝去。エルメスは「彼女の才能と偉大な人間性に敬意を表します」と追悼コメントを発表した。

俳優で歌手のジェーン・バーキン(享年76)が亡くなったことが分かった。

ジェーン・バーキン
2019年2月、仏パリで開催されたイベントに出席した際のジェーン・バーキン Photo : Getty Images

地元メディアの発表によると、2023年7月16日(現地時間)、仏パリにあるジェーンの自宅を訪れた介護スタッフが亡くなっているのを発見したという。

1990年代後半に白血病の治療を受けており、2021年9月には脳卒中で倒れたことを報じられていたジェーン。現時点で死因は公表されていないものの、その後は健康上の懸念が続いていたそうで、2022年上半期に予定されていたコンサートも延期が発表されていた。

ジェーン・バーキン
1997年に撮影されたジェーン Photo : Getty Images

1964年、当時18歳で俳優デビューを果たしたジェーンは、1966年に公開された出演映画『欲望』がカンヌ国際映画祭における最高賞、パルム・ドールを受賞したことで一躍有名に。

その後は生涯を通して60本以上の映画に出演し、仏のアカデミー賞と言われるセザール賞に3度ノミネート。2007年にはカンヌ国際映画祭で自身の監督作品『Boxes(原題)』がプレミア上映されるなど、長年にわたって仏映画界の第一線で活躍した。

ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブール
1976年に撮影されたジェーンとセルジュ・ゲンスブール Photo : Getty Images

さらに、歌手としては1969年に発表した『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』が大ヒット。当時のパートナーでアーティストとして活躍していたセルジュ・ゲンスブール(享年62)とのデュエット曲で、性交中の男女の会話を歌った内容の楽曲は、その官能的な歌詞が物議を醸したものの、「性の解放と自由のシンボル」として仏を中心にセンセーションを起こした。

そんな長年の功績が認められ、ジェーンは2001年に出身地の英国から「大英帝国勲章」を受章。亡くなったことが報じられた16日には、在仏英国大使のメナ・ローリングス(55)が自身のツイッターを更新し、「最もフランス的な英国人アーティスト」とジェーンを評した。

また、ジェーンはその個性的なスタイルで時代を代表するファッションアイコンとして支持を集めていたことでも知られており、仏高級品メーカー、エルメスの有名バッグ『バーキン』の名前の由来になっている。

1984年、仏パリから英ロンドンへ向かう飛行機内でエルメスの当時の最高経営責任者だったジャン・ルイ・デュマ(享年72)と偶然出会ったというジェーンが、「若い母親として自分のニーズに合ったバッグを見つけるのに苦労している」と話したことから『バーキン』が誕生したというのは、有名な話だ。

ジェーン・バーキン
2004年7月、仏パリで開催された「パリ・ファッションウィーク」の会場に『バーキン』を持って登場した際のジェーン Photo : Getty Images

その後、世界で最も有名なバッグの一つになった『バーキン』だが、ジェーンはエルメスから譲り受ける『バーキン』をオークションに出品し続け、日本赤十字社を含む世界中の慈善団体へ寄付してきた。

そのことについてジェーンは2011年に応じたインタビューで、「これからも毎年一定の金額が私のチャリティーに寄付されることになっていて、それは私の死後も続く。だから、あのちょっと些細な重いバッグが世界でたくさんの良いことをしているのよ」とコメントした。

ジェーン・バーキン
2021年7月、仏カンヌで開催された「第74回カンヌ国際映画祭」に出席した際のジェーン Photo : Getty Images

ジェーンの訃報を受け、エルメスはメディアを通じて「ジェーン・バーキンの逝去を知り、深い悲しみの中にいます。私たちの思いは彼女の娘たち、孫たち、そして彼女の愛する人たちとともにあります」と声明を発表。以下のようにジェーンの功績を称えた。

「ジェーン・バーキンの柔らかなエレガントさからは、彼女自身が芸術家であり、献身的で、オープンマインドで、世界と他者に対する自然な好奇心を持っていることが分かります。私たちは彼女の才能に敬意を表し、そして何よりも彼女の偉大な人柄に敬意を表します」

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