【レディー・ガガ】お嬢さまからストリッパー、奇抜キャラから上品路線、俳優へ変身。活動20年を経た原点回帰

これぞレディー・ガガ。日本でも話題になったコーチェラ・フェスティバルの大トリは「衝撃の女王」としてのスペクタクルに満ちあふれていた。全長270メートルの巨大ドレスでの登場、墓場でゾンビと舞踏、チェス盤上でもう一人の自分と戦い……。圧倒的な歌唱はもちろん、マイクトラブルで歌声が途絶えてしまったときすら見せ場にしてしまっていた。「少なくとも、これで生歌だってわかってもらえたでしょう」。

これぞレディー・ガガ。日本でも話題になったコーチェラ・フェスティバルの大トリは「衝撃の女王」としてのスペクタクルに満ちあふれていた。全長270メートルの巨大ドレスでの登場、墓場でゾンビと舞踏、チェス盤上でもう一人の自分と戦い……。圧倒的な歌唱はもちろん、マイクトラブルで歌声が途絶えてしまったときすら見せ場にしてしまっていた。「少なくとも、これで生歌だってわかってもらえたでしょう」。

レディ・ガガ コーチェラ2025  Lady Gaga
2025 Coachella Valley Music And Arts Festival - Weekend 1 - Day 1 photo:Getty Images

お嬢様からストリッパーへ

レディ・ガガ コーチェラ2025  Lady Gaga
2025 Coachella Valley Music And Arts Festival - Weekend 1 - Day 1 photo:Getty Images

活動20周年となる2025年は、激動のキャリアを歩んできたガガにとっての節目かもしれない。ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタとして1986年ニューヨークで生まれ、上流階級に育った彼女は、芸術家になるべくして生まれたような存在だ。耳にした音楽をそらでピアノ演奏できるようになったのは4歳のころ。ただし、学生のころは俳優を志して演劇学校に通い、大学では現代アートについても学んでいる。

歌手を目指すべく学校を中退すると、親元から離れ自立し、ニューヨークのアートコミュニティで実践を重ねた。10代にしてストリッパーとして働き、ドラァグクイーンやストリッパーと交流しながらバーレスクでポップロックオペラのショーを行って演劇的な作風を築いた。フレディ・マーキュリーのような歌声の持ち主として(クイーンの楽曲「Radio Ga Ga」にちなんだ)芸名も手に入れる。

「衝撃の女王」としてのショーマンシップもこの頃から。バーで演奏していた際、うるさくしていた男子学生を注目させるため、その場で服を脱いで下着だけで歌ってみせた逸話も存在している。

奇抜な社会派ポップスター

レディ・ガガ   Lady Gaga 生肉ドレス
2010 MTV Video Music Awards - Show photo:Getty Images

そんなガガは、2000年代の音楽ビジネスで「きわどすぎる」存在として契約を渋られる存在であった。しかし「Just Dance」(2008)でデビューするやいなやインターネットで人気が爆発していき「SNS時代最初のスーパースター」として頂点に立つ。

レディー・ガガ初期のイメージといえば、演劇的なダンスポップに加えて、仮装のような奇抜なファッション、そして大胆な政治声明。その代名詞である生肉ドレスにしても、当時の米軍の同性愛差別規則への反対を表明するものだった。オバマ政権期、社会正義やフェミニズムを掲げるアメリカのポップスターが増えていったが、その先頭こそガガと言える。日本においても、東日本大震災による原発事故への懸念によって海外スターの来日が取り消されていくなか、すぐに来日して「日本は安全だ」と発信し、風評被害の防止につとめた。

しかし、栄光の「衝撃の女王」時代はそう長くなかった。同じ作風を繰り返したくなかったアーティストの意志がまずあったが、奇抜さばかり求められるなか、心身にも限界がきていた。舞台上の「レディー・ガガ」と本人、二つの人格を別々に演じているような状態となり、精神的に破綻してしまっていたという。さらに、公演中に骨折したことで線維筋痛症となり、慢性的な痛みに苛まれるようになった。

レディ・ガガ LadyGaga  来日 東日本大震災
the MTV Video Music Aid Japan at Billboard LIVE on June 23, 2011 in Tokyo. photo:Getty Images

シックな転身

2010年代なかばには、派手なダンスポップから一転、ジャズやカントリー音楽に挑戦し、装いも落ちついていった。初期ほどの売上を記録しなくなったため「落ち目」と嘲笑する声もあったが、それも長くは続かなかったと言える。

結局のところ、奇抜な面ばかり注目されていたレディー・ガガには、強力な才能があった。このころのジャズ公演を通して高齢リスナーを惹きつけ、ファン層を一気に広げている。さらに、主演映画『アリー/ スター誕生』(2018)を大ヒットさせてアカデミー歌曲賞まで獲得したことで、ハリウッドスターへの仲間入りも果たした。

流行や売上に流されず芸術家としての信念を貫いたレディー・ガガは、前衛から古典、さらに演技までできる国民的スターの地位を固めた。最近では、ブルーノ・マーズとの古風なデュエット「Die with a Smile」(2024)をロングヒットさせ、2000年代から2020年代にかけた三世代で複数の全米ナンバーワンヒットを達成した唯一のアーティストとなった

「レディー・ガガ」への回帰と進化

プライベートでは実業家の婚約者マイケル・ポランスキーとの落ち着いた生活を手に入れたことで「退屈な人間であること」の幸福を享受している。身体の痛みも緩和していっているという。

「『レディー・ガガ』として、嘘をついたり、作られたキャラクターを演じたりしてたこともあったけど、あれもパフォーマンスの一部だったの。 今では、自分らしさと想像力が自然に溶け合ってる。 世の中って、どうしても二元論で動きがちでしょう? 本物か偽物か、深いか浅いか、みたいに。でも、私は、意匠を凝らして虚構で遊ぶのが好き。アートとして心から楽しんでるの。今も昔もね」

こうして「レディー・ガガ」への回帰の準備が整った。コーチェラでもフォーカスされた新アルバム『MAYHEM』(2025)は、初期のカオスな音楽を進化させたような力作になっている。健康や名声の問題に苛まれてきた苦しみがテーマになっているが、だからこそ人生を生き抜く力強さがほとばしっている。さまざまな才能を証明してきたガガだが、本作を聴けば、音楽こそ彼女の天命だと確信できるだろう。遊び心で圧倒するポップオペラ「Abracadabra」のテーマは、まさにレディー・ガガ。「死ぬか、踊るか」。

辰己JUNKプロフィール画像
辰己JUNK

セレブリティや音楽、映画、ドラマなど、アメリカのポップカルチャー情報をメディアに多数寄稿。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)

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