ジェーン・バーキンが1日だけのコンサートのために、次女のシャルロット・ゲンズブールと共に来日。いくつかのメディアの取材に応じていたが「長女ケイト・バリーの死後は1年くらい外に出られなかった」という告白に胸がつまった。ジェーンは、名パートナー、セルジュ・ゲンズブールを亡くした時も時間を置かずパリでコンサートを行い、私のようなメッセージ・カードを贈っただけのジャーナリストにも返事をくれるほどの気づかいを。でも70歳となった今は、身近な人の死、それも最愛の娘という逆縁は本当にキツかったのだろう。「もう40歳になるのかと思うと、震えが来るわ(笑)」と初めてのインタビューでおどけてみせたジェーン。彼女の山あり谷あり人生を知ると、「美しく老いるとは」なんて簡単に語ることはできない。
カメラマンとして活躍していた先述のケイトとは面識がないけれど、シャルロットと三女ルーとは何度か会っていて、同じ姉妹でもこんなに違うんだ!と驚かされた。まず末っ子ルー。ある意味で母ジェーンと一番似ていて、28年前の来日時に「昭和天皇の御大喪の礼を見られる機会なんてないわ」と。極寒のみぞれの中、道路脇でパレードを待っていた。一方シャルロットは子供の頃から内気で、ジェーンが見せてくれた小学校時代の工作の「家」は、口型のビルの内側だけに窓がついているという、??のデザイン。そんなシャルロットが、今では母親のボディーガードを立派につとめているかと思うと感慨深いものがある。
ジェーンは、イギリスの舞台女優である母ジュディさんを来日公演に連れて来たことがある。「母が昔、LIFE誌の表紙で目にしたという温泉に入る日本の猿をどうしても見たいと言うのよ(笑)。知り合いに聞いてもわからないと言われ、でも、アッと思いついて、セルジュが生きていた頃、プロモーターをやっていた人に聞いてみたら、ちゃんと教えてくれて、無事に見に行くことができたわ(笑)」
いかにも英国婦人というエレガントな雰囲気のお母さんだったが、好奇心のありようは娘、孫娘にバトンタッチされている?ちなみに、ルーもシャルロットも、物凄く美しいクィーンズ・イングリッシュを喋り、英国生まれ・育ちのジェーンの英語が一番心もとないかも。
自分の半生を反映させたような映画『Boxes』('07)を監督したり、映画制作にも意欲を見せるジェーン。「『恋するシャンソン』('97)のアラン・レネ監督とか『欲望』('67)のアントニオーニ監督とか、巨匠と呼ばれる人たちとも仕事をしてきたけど、映画作りで最も大きく影響を受けたのは、ジャック(・ドワイヨン監督。三女ルーの父親)だったわ!」ちなみに「サンミッシェルの小さな映画館に映画を見に行くことが多い」と言う映画好きのジェーン。シャルロットが、何かと物議をかもすラース・フォン・トリアー監督の作品に出演して、ヌードを始めとする刺激的なシーンをこなした時は「シャルロットがうらやましいわ!私がやりたかったくらい」とコメント。考えてみれば、『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』('76)でどよめきを起こしたジェーンだもの。そんなの当たり前か。
映画や舞台、ダンスに造詣が深く、独自の視点で鋭く切り込むインタビューに定評が。ジョニー・デップから指名されることも多々。