2016.03.26

【NEW YORK ⇔TOKYO メール対談】世界で活躍するトップクリエイターふたりが、 影響を受けた作品は? Part1

実際にファッションの現場で働くクリエイターにインスピレーションを与える作品こそ、何かしらの本質を捉えているはず。東京とNYの間でふたりの鋭い意見が交わされた

From : NEW YORK
メイクアップアーティスト AYAKO
海外のファッション誌、広告キャンペーン、コレクションで活躍。2009年にクリエイティブ・ディレクターとしてADDICTIONを立ち上げる。

From : TOKYO
スタイリスト 広田 聡
米国LA生まれ。大学卒業後、伊藤忠商事勤務ののちスタイリストになることを決意。現在は雑誌、広告を中心に活動中。単純に美しいものが好き。

件名:スーパーエディターたちの3作品

From 広田 ▶︎ 『ファッションが教えてくれること』と『ダイアナ・ヴリーランド』の2本以上にインパクトのあった作品はありません。美を追求しつづけたダイアナ・ヴリーランド、ビジネス・マインドの強いアナ・ウィンター。時代が違ったこともあり、すごく対照的なふたりです。
ダイアナ・ヴリーランドの時代は、プレタポルテがなかった。 ファッション誌の影響力が強く、何のルールもなく美しいビジュアルを作ることができた時代です。特にヴリーランドは美に対する妄想を具現化させるために、予算など関係なし。
アナ・ウィンターの時代には、『VOGUE』という影響力のある媒体でも、ブランドとの力関係は無視できない時代に変化しています。アナ・ウィンターには若いエディターだった頃に作って、伝説的に残されたファッション・ページはありません。注目を浴びるようになったのは、編集長の地位に就いてから。彼女は自分のカリスマ性を高め、アメリカという大衆的なマーケットに合わせた戦略で、雑誌の軸であるファッション・ストーリーのクォリティを保ちつつ、実売及び、広告収入を上げていきます。ふたりとも中途半端でないところに素晴らしさを感じます。自分の決定に疑問がないのだと思います。今の時代、ヴリーランドのような編集長はいません。
いちばん近い存在としては、カリーヌ・ロワトフェルド。『マドモアゼルC』は、彼女が最も輝いていた仏『VOGUE』時代ではなく、その後を描いているので、彼女の大ファンの私としては悲しすぎました。

From AYAKO ▶ 欠点を自信にも変えてしまうパワー。圧倒されっぱなしのドキュメンタリー。そして、彼女のクリエイトしたカバーや、ファッション・ストーリーはフレームに入れて飾りたいくらい大好きなものばかり。『ダイアナ・ヴリーランド』は私が憧れていたファッションの世界をすべてと言っても過言ではないくらい、彼女がクリエイトしていたことに改めて気づいた貴重な作品です。
『ファッションが教えてくれること』を最初に見たときは「グレース・コディントンが愛すべき辛抱強い人で、アナ・ウィンターがお株をとられてしまったかも」と思いました。でも今再び見ると、それぞれが自分の役割を辛抱強く貫いて、信頼しあってそれで雑誌がしっかりと成り立っている。ふたりがイン・アンド・ヤン(陰陽)だということにも気づきました。
そしてつい先日、その右腕的存在のグレースが、その役職を離れるというニュースが。ひとつの時代の変化が起きていると感じました。

From 広田 ▶ グレースは人がまねできないような、夢のように美しいファッション・ページを作ることに生きがいを感じていたのだと思います。日本のように会社の年功序列的なシステムもなく、才能のある人が生き残り、仕事をするという土壌があるから、アナとグレースは長く『VOGUE』でのポジションを維持し、最高の仕事をすることができた。『ファッションが教えてくれること』は自分にとっての教本のようなものでもあります。


©Zeta Images
『ファッションが教えてくれること』(’08)
『VOGUE』2007年9 月号の制作過程に密着した名作。これでグレース・コディントンも一躍有名になり、自伝も出版された。


©amanaimages
『マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ』(’13)
カリーヌ・ロワトフェルドが自らの雑誌『CR』を立ち上げるまで。仕事でもプライベートでも、スタイルが貫かれている。


©Zeta Images
『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』(’11)
『Harper’s BAZAAR』から『VOGUE』へ移り、ファッションを通じて時代を動かした伝説の女性、そのあらゆる面に迫る。

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