昨年11月に発売されてから2カ月足らずで世界で約1,500万枚を売り、驚異的ヒットを博しているアルバムといえば、アデルの『25』。彼女の快進撃は、アルバムは売れないという昨今の音楽界の常識を覆すだけでなく、さまざまな意味で流れに逆行している。テクノロジーとエレクトロニックな音に支配されたシーンで、もっとも勢いがあるジャンルはEDM。シンガーの声など好きなだけ加工できるし、“ボカロ”でなくてもどこまでが本物か判別不能だ。
次に“来る”とされているバブルガム・ベースも、フェイクネスの極み。そこがまた面白くもあるのだが、そんな中で、言わば対極にあるアデルのハスキーボイスに人々が惹かれるのは当然なのかもしれない。エイミー・ワインハウスもしかりで、亡くなって4年を経て、ドキュメンタリー映画『AMY』の公開を機に改めて脚光を浴びている彼女の声もやはり、波瀾の人生が重なって聴こえるディープなハスキーボイスだった。ふたりを筆頭に、生身の人間にしか出せない声で歌う、ブルースやゴスペルやジャズの影響を強く受けた女性たちは、不完全さの美しさを教えてくれる。リアルネスの象徴なのだと思う。
というのも、ハスキーボイスには医学的な理由がある。人によっては発声する際に声帯が閉じきらないため、そこに生じた隙間から呼気が多く通過するのだとか。この不思議なメカニズムが声をざらつかせ、多様なトーンを醸し出す。まずは切なさ。ハスキーボイスは本質的に切なくて、哀しみ、憤り、悔悟の歌が似合う。かと思えばたくましくて豪快だったり、ミステリアスでデンジャラスに響くこともある。だから聴き手を癒やし、挑発し、深く考えさせたりもする。いろんな形で心を引っ搔くあの感覚は何物にも替え難いのだ。
文/新谷洋子
【PROFILE】ファッション雑誌の編集者を経て音楽ライターに。おもに海外アーティストを幅広く取材し、アルバム解説や歌詞対訳を手がけている。
SPUR2016年4月号掲載
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▼1990-2000年代の歌姫の肖像