データを共有することで豊かさや価値を生み出す
ペンケースのようなポケットなどプレイフルな仕掛けのあるベストを、ジャケットの上にレイヤード。
「ギミックの入ったものやデコラティブな服はよく着ます。独創的なアイテムを身につけるのはファッションの醍醐味です」。
ベスト¥138,600/ウィリー(クラス) ジャケット¥63,800/エンケル(ヨーク) シャツ¥36,300/Skool(マービン ポンティアック) タイ¥22,000/TOMORROWLAND(ジュープ バイ ジャッキー)
NHK報道番組「クローズアップ現代+」でエッジィなスタイルで出演し、冷静に意見を述べる宮田裕章教授。データサイエンティストとして政策研究も行う現在、あらゆる場面でデータ活用は不可欠であるとして、その重要性を説いている。私たちの生活をよりよくするためのデジタル変革(DX)が急がれる今、データのプロである教授は引っ張りだこの状況だ。
「データを使うことで何が変わるかというと、社会の仕組みです。データを共有財産としてシェアすれば、人間が幸福に生きられる新しい社会をつくることができます」と教授は語る。
たとえばコロナ禍において、日本では特別定額給付金を一律にしか配れなかった。しかしイギリスでは国民一人ひとりの収入額がデータ化され、収入が減った人たちに対して、必要なタイミングで必要なサービスを届けることができている。つまり、データを使えば、個々人の多様な状況に合わせながらサポートでき、誰も取り残さない社会政策を目指せるのだ。
「大事なのは、データは共有できるということです。大きな例を出すと、資本主義社会では所有することが目的で、石油や石炭などの消費財だった富は、使うとなくなるので競争で取り合ってしまう。今まではそれが経済だと考えられてきました。でもデータはそこに一人の情報を加えるとその人自身もより豊かになり、たくさん集まるほど運用の幅が広がって価値が高まる。しかも使ってもなくならない。社会でデータを共有しながら新しい豊かさや価値を生み出すことができるんです」
今は政治も経済も社会もこれまでの前提が崩れ、変化の時代といわれている。皆が同じことをして社会全体で成長するモデルはもう成り立たない。データを共有して価値を高め、新しい社会をつくっていくためには、もっと一人ひとりの多様性に目を向け認め合うという、ダイバーシティ&インクルージョンがより必要になってくる。
「先ほどのイギリスの例のように、今のデータの力は皆が同じである必要はなくて、多様なものを多様なものとして扱えます。しかし難しいのは、ただ多様なだけだと格差を助長してしまうので、多様でありながらつながっている状況をつくらなくてはならないことです。『つながりながらの多様性』というのが今必要なキーワード。僕はドレスコードが好きなんですが、ドレスコードはある意味個性を殺すもの。ユニフォームもそうですが、当初は工業規格品として個性を出さないものがレギュレーションとして求められていたわけです。でもドレスコードがあったとしても、その中でその人らしさを表現することが、これからは大事になるだろうと思います。つながりながら一人ひとりの個性を尊重する多様性社会、ダイバーシティ&インクルージョンを、データを活用することで実現できるのではないかと考えています」
しかしデータ共有のためには、国や企業、人の間に信頼がなければならない。個人情報を無断で使われるなどの不安があると、有効なデータが集まらず十分に活用できないからだ。
「データは使ってもなくならないし、富を無尽蔵に生むものではあるけれど、間違った使い方をすると、今度は使わせないということになり根こそぎ枯れ果てる。そうならないために必要なのは信頼です。お互いにつながる社会で信頼を結ぶためには対話、コミュニケーションが不可欠。共有とは、他者が大事にするものを一緒に大事にすることと同義なのです」
刹那の美が有する普遍性を『枕草子』から読み取る
宮田教授は、データの有効活用を呼びかける気鋭のサイエンティストの顔を持つ一方で、モードへの関心が高く、レディスの服も難なく着こなすファッションアディクトでもある。
「祖母が呉服店を営んでいたので、子どもの頃からファッションは身近なものであり、早くから自己表現の一つだという意識はありました。たとえこだわりがなくても、何かを着ている姿を他者にさらけ出さなくてはならない。それがファッションです。何を着るかは、その時々のシチュエーションや目的によって変わります。今日はその場に沿うような言葉を言う日なのか、あるいはイノベーション重視でより強いメッセージを発する日なのかなど、バランスを考えて選ぶことが多いです」
好んで身につけるのはスターリング・ルビーやラフ・シモンズの服。最近ならデムナ・ヴァザリアのバレンシアガ。エディ・スリマンの服もよく着る。
「研究者はどうしても普遍的なものを追い求めます。でも移ろいゆくものをいかに捉えるかも大事。ファッションは諸行無常の美があるものですが、刹那の中に感じられる美しさにこそ普遍性が潜んでいることもある。その象徴的な存在は『枕草子』です。清少納言は鋭い感性で身の回りのものの美しさを言葉に置き換えていきました。春はあけぼの、冬はつとめて。咲いている花や、くもの糸の上で輝くしずくの光とか、感性で捉えた瞬間の美は、実は千年たっても変わらず、時代を超えるんです。ファッションにはまさにそういう瞬間の中に宿る普遍性のようなものがあると思っています」
今は社会の仕組みが変わる転換期。私たちはデジタルとどのように向き合えば、この激動の「Dの時代」を幸せに生きていけるのだろう。
「日本はあらゆる面でデジタル化に乗り遅れました。昨年学校の授業がオンラインに切り替わる前に、遠隔教育を日常的に行なっていたかについて調査されたところ、OECD37カ国中、なんと最下位でした。日本は昭和のシステムにフィットしすぎていたんだと思います。でもまさに今、ダイバーシティ&インクルージョンのためにテクノロジーを使える時代が来たので、国や企業がそれをしっかり活用できれば、まだ可能性はあるかもしれない」
このコロナ禍で、ヨーロッパでは連帯が強まり、アメリカでは分断が進んだ。日本ではデジタル化の遅れが可視化されたことで、逆にその重要性を最も理解したといわれている。
「デジタルを単なる冷たいテクノロジーだと遠ざけるのではなく、デジタルだからこそ温かみがあり、人に寄り添うことができ、人を切り捨てない。多くの人がデジタルに対してそう認識する社会ができれば、個々がその人らしく輝けるように、日本も変わっていけるのではないかと思っています」