よかれと思って悪気なくかけた言葉で、誰かを傷つけたりモヤモヤさせないためには?言葉の事故を防ぐために覚えておきたい、要注意ワードとは? 森山至貴さんが解説
森山至貴さん
早稲田大学文学学術院准教授。作曲家、ピアニスト。専門は、社会学とクィア・スタディーズ。著書に『10代から知っておきたいあなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)。
見た目の話をする前に一時停止。言葉の危険運転に要注意!
見た目について何か言いたくなったら、信頼関係はあるか、よかれと思って価値観を押しつけていないか、否定的なニュアンスが隠れてないか、自分では変えられない属性に触れていないかをチェック。心配なときは容姿に触れるのはやめましょう。たとえば「痩せた?」という言葉ひとつとっても、普段からダイエットを頑張っている友達に言うのなら問題なくても、学校や職場ではハラスメントに当たることも。信頼関係もないのに無闇に容姿に言及するのは避けるべきですし、「痩せてるほうがいい」という価値観を強要するのも問題です。逆に、「太った?」という言葉は、「太っている=健康に悪い」という偏ったスティグマを心配の形をとって押しつけがち。「顔色悪いね」「疲れて見えるね」も、否定と気遣いが合わさった典型例。「休憩とってないみたいだけど大丈夫?」など、見た目に絡ませない言い方を模索してみて。「可愛くなったね」「若返ったね」などは、肯定的な言葉の後ろに、そうじゃなかったら否定する、かつてはそうじゃなかった、といったニュアンスが隠れているので注意したいですね。
「女子力高い」「秋田美人」など、その人が自分の努力で変えられない"属性"に絡めて褒めるのは、差別や偏見に当たることも。「あなたらしくて素敵だね」の外側に出そうになったら踏み止まりましょう。見た目について無闇に言及しないよう気をつけることは、誰もが安心して歩行したり運転したりするための交通ルールと似ています。悪気がなくても信号無視はよくないし、窮屈だから好きに話したいというのは飲酒運転と一緒。危険運転や煽りはやめて、人に見えない傷を負わせないよう心がけましょう。
こんな言葉に気をつけよう!
「痩せた?」
「太ってると体に悪いよ、あなたを思って言ってるの」
「顔色悪いね」
「疲れて見えるね」
「美人は得だよね」
「可愛くなったね」
「女子力高いね」
「さすが秋田美人」
そもそも容姿差別とは? ルッキズムのない社会を目指して
容姿に対する心無い言葉は、実は社会問題だった! 見た目に対する差別は、心や社会にどんな悪影響を与えているのか、どう対抗すればいいのかを、西倉実季さんに聞いた
西倉実季さん
和歌山大学教育学部准教授。社会学やライフストーリー研究の見地から、ルッキズムや美と労働の関係について研究。著書に『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』(生活書院)。
外見差別は、自己責任ではなく社会全体で取り組むべき問題
ルッキズムは、ある特定の外見を持っているか否かによって序列化される差別のこと。容姿によって、社会的な地位や他者からの承認が得られるかどうかに差が生まれる現象です。学校での成績評価や就職など、本来は能力で判断されるべき場面で公正さが揺らぎ、多くの人のやる気を削いでしまいます。外見のあり方は個人の尊厳に深く関わっているので、「こういうルックスじゃないと損する」という社会的なコントロールのもと、個人の自己表現を制限する側面もあります。
ルッキズムは、人種・性・年齢・障害に基づく差別と結びつき、より強固に。特に、ルッキズムと性差別の関わりは深く、歴史的には長らく女性の美しさと男性の経済力が取り引きされ、「女性は美しくなければならない」と刷り込まれてきました。「こうしないときれいに見えない」という圧力が強いと、女性ばかりが不平等にお金や時間などのコストをかけざるを得ず、精神的なダメージにつながることも。たとえば、マネキン体型しか認められない社会では、エクササイズやダイエットに励むうちに摂食障害に悩まされる人が出てくるわけです。ルッキズムに加担せず、ファッションやビューティを楽しめる社会を築くためには、既存の「こうあらねば」の枠を広げ、オルタナティブな美やおしゃれの文化を育む必要があります。日本のメディアを見渡すと、ボディポジティブを謳う一方でダイエットを推奨するなどの矛盾も。ダイバーシティや多様性を形ばかりのものにしないためには、強固なルッキズムへの反省や検証が必要です。
外見にまつわる差別は、個人の選択や自由の領域の問題と見なされ、被害が矮小化されがち。でも、個人が社会的な規範とか圧力から何も影響を受けずに生きていくのは難しい。外見差別は、個人の力だけでどうにかできる問題ではなく、社会全体で解決すべき問題なのです。海外には外見差別を禁止する法律がある都市もあり、企業の外見規定が外見差別だと訴えられるケースも。日本で同じような法律を作るのはまだ難しいかもしれませんが、企業や学校などで外見規定が差別的ではないかを見直すことは、今すぐにでも取り組めますよね。容姿について心無い言葉をかけられて傷ついたとき、自分が悪いのではなく世の中のほうに原因がある社会問題だと考えると、悩みの見え方が変わってくるはずです。