「怒り」 #14

映画、原作読んで観る派? 観てから読む派?

「この前、チベットの僧侶が焼身自殺したってニュース見たんだ。死ぬほど嫌だって気持ちって、いったいどんな気持ちなんだろって思った。すげー悔しいとか、悲しいとか、情けないとか、そんな簡単なもんじゃないんだよな。俺は本気なんだって。本気で怒ってるんだって。でもさ、それを死なないで相手に伝えることってできないのかなって。……でも、無理なんだろうね。その本気っていうのを伝えるのが一番難しいんだよ、きっと。本気って目に見えないから……」

 

みなさんは原作ありの映画を観るとき、先に原作を読む派ですか? それとも観たあとで読む派? 私はどちらでもなくて、たまたま映画を観て面白かったから、と後追いして原作を読むこともあるし、映画化で話題になったのをきっかけに書店で見かけた原作を先に読んでしまうこともあります。

現在公開中の映画『怒り』については、「先に映画を観たほうがいいんじゃ……」「いやでもイメージが映像で固定される前に原作を読んだほうがいいのでは……」としばらく迷って、先に原作を読むことにしました。

世田谷一家殺害事件の影がよぎるような、不可解な夫婦殺害事件をきっかけに、複数の視点から物語が構成されていき、犯人はいったい誰なんだ? という部分にも引き込まれてぐいぐい読んでしまうのですが、読んで最初の感想は「えっ、これ、どうやって映画化してんの!?」です。小説という「映像が見えない」ものゆえの面白さがあると思うのですが、本当にいったいこれをどう……。原作を読んでしまったがゆえに映画を観なければ仕方ないパターンになってしまいました。

 と、映画ありきでつい語ってしまいましたが、上質かつ面白く、読み応えがあり、余韻をずっしり残してくる作品で、一流のものを読んだなぁという爽快感がありました。

生活の匂いまで漂ってきそうなディテール、描写はくどくないのに圧倒的なリアリティのある文章、それらの積み重ねの上に立ち現れてくる本物の感情。「犯人は誰なのか?」ということと同時に、それぞれの人物の中に生まれた「この感情はどこへ行くのか?」ということが大きな問題として存在しており、それは「人は人を、何をもって信頼することができるのか」とか、「どこまで行けばその人を本当に『知っている』と言うことができるのか」とか、そういう領域まで踏み込んでいく物語は、愛という領域まで踏み込まずにはいられず、ぞっとするほどスリリングです。

 小説は、読んでいる間、気持ちをその世界に持っていかれてしまうので、なかなか読むタイミングがなかったり、時間がなかったりというのは誰しもあると思うのですが、うまい水ならいくらでも飲めちゃうみたいな感じで、読み始めたらあっという間に読めてしまう本なので、「ここらへんでちょっと『あー、小説読んだな!』っていう読み応え欲しいな」とお思いの方には、映画化をきっかけに手に取ってほしいなと思いつつ、私は映画を観てくることにします。

「怒り」吉田修一(中公文庫)

“雨宮まみ”

雨宮まみ

ライター。『女子をこじらせて』(ポット出版)で書籍デビュー。以後、エッセ イを中心にカルチャー系の分野でも執筆。近著に『東京を生きる』(大和書 房)、『自信のない部屋へようこそ』(ワニブックス)がある。

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