観たあとじわっと幸せになる、「オシャレな」ボクサー映画。『オリ・マキの人生で最も幸せな日』

©2016 Aamu Film Company Ltd
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2019年のキーワードのひとつに、「Toxic masculinity(有害な男らしさ)」がありました。男性社会で同調圧力として働く「男の価値」、例えば暴力的であること、何を犠牲にしても競争に勝つこと、女性蔑視などを見直そう、という傾向です。ハリウッドでも、ブラッド・ピットが主演作『アド・アストラ』を語るときに使ったりして話題になりました。でもそのテーマをもっと素朴に、ストレートに見せる映画が『オリ・マキの人生で最も幸せな日』です。

しかもこれは60年代フィンランドに実在したボクサーの物語。周りの期待を一身に集める若手ボクサー、オリ・マキはアメリカ人世界チャンピオンとの試合を控え、トレーニングと減量に励んでいます。でも、そんなときに彼はふと友人のライヤと恋に落ちる。そのことをオリが率直に伝えたときのマネージャーの驚きとあきれ顔は、半世紀以上前の価値観からすると当たり前かもしれない。

でも、オリにとっては突然の恋のほうがよっぽど重大なんですよね。新たな感情に向き合うと同時に、彼には周りから押し付けられることへの疑問が湧いてきます。減量しているのにスポンサーとの食事会に連れ出されたり(ひどい!)、記者会見で闘志むきだしのリアクションを求められたり。ライヤもそんなオリに付き添っていることがよくわからなくなってくる。試合への経緯は二の次、むしろ小さくても大きな人生の瞬間が、ヌーヴェルバーグのような美しいモノクロ映像で積み重ねられます。私はオリが遊園地で見かける女性のエピソードが心に残りました。

そして、いよいよ試合当日。オリの行動はむしろ淡々と描かれます。このラストを見てテニス選手、アンディ・マレーの最近の発言も思い出しました。現役引退の可能性もあった股関節の手術後、彼が言ったのは「これからは結果より健康と幸せを優先する」という言葉。結果がすべてと言われるアスリートの世界でも、メンタル・ヘルスが見直され、価値観が多様になっています。オリ・マキが感じていたのも、きっと彼自身の心の変化。そのことがシンプルに、新鮮に伝わってくる良作です。

『オリ・マキの人生で最も幸せな日』
監督・脚本/ユホ・クオスマネン
出演/ヤルコ・ラハティ、オーナ・アイロラ
1月17日、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

映画ライター 萩原麻理プロフィール画像
映画ライター 萩原麻理

本誌で映画のレビューを手がける。ライター、エディター、翻訳もこなす。趣味は散歩と、猫と遊ぶこと、フットボールを見ること。