『燃ゆる女の肖像』(2020)のセリーヌ・シアマ監督の長編第二作、『トムボーイ』(2011)を見ました。そうだ、セリーヌ・シアマはアニメの名作『ぼくの名前はズッキーニ』(2016)の脚本家だったんだ、と思いだすような一作。子どもの心の揺れを繊細に、笑いと痛みをもって描ける人なんですよね。特にジェンダー・アイデンティティの揺らぎをこんなにみずみずしく映せるなんて。それでちょっと思い出したのが、最近見ていたアメリカのドラマ『レポーター・ガール』です。
ドラマの主人公は9歳のヒルデ(ブルックリン・プリンス)。彼女が小さな町で起きた昔の誘拐事件を追ううち、次々秘密が明らかになる……というストーリーです。ヒルデはネットで新聞を主宰するジャーナリスト。私が好きになったのはその仲間の一人、スプーン(デリック・マッケイブ)です。スプーンはおしゃれでファッション好きで、毎回何を着てくるか楽しみなキャラクター。スプーンはスカートも履くのですが、一度だけお母さんが「うちの息子が……」と言う場面がある。でもそれ以外では「He」とも「She」とも呼ばれず、スプーンはスプーンとしていつも可愛く登場するのです。
マッチョな上級生にからかわれて、地味で男の子っぽい服になる回もあるものの、すぐにヒルデたちに励まされ、スプーンは素敵なファッショニスタに戻ります。子ども時代は「自分」がまだ規定されていないのに、他の人間の言葉で決めつけられて、悩んだり、傷ついたりする時代。ジェンダー・アイデンティティにおいては特にそれがはっきりしている。世の中はほとんどバイナリだから。映画『トムボーイ』はそこにフォーカスします。
新しい町に引っ越してきた10歳の主人公は、家では「ロール」だけれど、男の子と思われたまま一緒に遊び始める仲間には「ミカエル」と名乗る。その二重生活が続くと、見ている側はハラハラしたり、笑ったり。でもやっぱり思ったのは、いま変わらないといけないのは大人なんだな、ということ。「トムボーイ」=おてんば、という言葉にしたって、元々女の子はおとなしいもの、みたいな決めつけがありますよね。毎日が可能性、みたいな子どもたちを男女で分けて、限定しているのは大人だと実感しました。「おてんば」だけじゃなく、「おしゃま」とか「わんぱく」みたいな言葉も考え直さないといけないかも。どちらも、子どもたちの感性に大人が教わるような作品です。
『トムボーイ』
監督・脚本/セリーヌ・シアマ
出演/ゾエ・エラン、マロン・レヴァナ、ジャンウ・ディソン
9月17日、新宿シネマカリテ他にてロードショー
『レポーター・ガール』
クリエイター/ダナ・フォックス、ダラ・レスニック
出演/ブルックリン・プリンス、ジム・スタージェス、デリック・マッケイブ
Apple TVにて独占配信中
本誌で映画のレビューを手がける。ライター、エディター、翻訳もこなす。趣味は散歩と、猫と遊ぶこと、フットボールを見ること。