仙人と呼ばれた画家、熊谷守一。身近な生き物や風景、女体などを素朴で力強いタッチで描いた画家です。新潮文庫の志賀直哉の小説の表紙などでサブリミナル的に見たことのある方も多そうです。このたび東京国立近代美術館で「熊谷守一 生きるよろこび」展が開催されています。五月に公開される、熊谷守一を描いた映画「モリのいる場所」に出演する山崎努氏と樹木希林氏が音声ガイドをつとめています。
赤い輪郭線とシンプルな形態が特徴的な熊谷守一の作品ですが、東京美術学校(藝大)時代の絵は、光と影のコントラストがドラマティックで、全体的に暗いトーンです。
そんな中、彼の心に強い印象を残したのは「轢死」。美術学校時代、近くの日暮里付近で女性の飛び込み自殺がありました。月明かりの下、横たわる女性の遺体。そして集まった人々の情景に衝撃を受けて、絵のモチーフにしました。タイトルもそのまま「轢死」ですが、油絵の具の劣化で今ではただ黒っぽい画面としか見えませんが、その中にうごめく死の気配が不気味です。死のシーンに遭遇したことが、作品に影響を受けた芸術家といえばジャコメッティもそうでした。守一は「死のあとの頭がきれいだった」と後に述懐。また、死者を描いた横位置の作品を縦にしたら、生き返った感じがする、などとも語っていたそうです。描写された女性の魂も成仏できたかもしれません。「轢死」以降も、「夜の裸」など闇に横たわる女性の裸体の絵を度々描いています。
どんな陰キャラかと思ったら、20代の時の自画像を見たら、美大男子にこういう顔いる、というヒゲで瞳に才能がきらめくおしゃれ系のルックスでした。モテそうですが、父と母が相次いで亡くなり、生活のため材木運搬の仕事をしなければならず、一時は創作から遠のき、東京に戻ってきたのは35歳の時。でも、山の中で働いたことで動植物に詳しくなり、水の出るところを探し当てて山小屋を建てるなどのサバイバルで逞しくなったようです。守一の作品のモチーフは風景や動植物が多く、自然愛にあふれています。
東京のアート界に戻ってきて、絵のモデルとして知り合った地主の娘、大江秀子と結婚した守一。5人のお子さんをもうけますが、戦争をはさんで3人のお子さんが亡くなってしまいます。亡くなった息子さんや、病床の娘さん、火葬場帰りに骨壺を持つ家族を描いた作品には胸が打たれます。彼を支えていたのは創作活動だったことと思います。自然の風景を多く描き、赤い輪郭線という作風を確立。動物や山や女体を描きまくります。赤い線には生命力を感じます。
ヒゲが伸び、見た目は仙人っぽくなっていった守一の発言が印象的でした。
「景色を見てるでしょう、そうするとそれが裸体になって見えるのです。つまり、景色を見ていると裸体が描けるんです。同じように、また裸体を見ていて景色が描けるのです」
何が「つまり」なのかわかりませんが、熊谷仙人は、かなりの境地に達していたようです。そう言われると、雲や山の絵が女体に見えてきます。
でもちゃんと仙人っぽい発言もしています。
「石ころひとつとでも充分暮らせます。石ころをじっと眺めているだけで何日も何ヶ月も暮らせます」
70代半ばで体を壊し、自然観察できなくなってからは、もっぱら豊島区の自宅の庭の植物や虫、庭にやってくる猫を観察し、絵を描いていました。その素朴で優しいタッチに癒されます。庭は、クリエイティビティの源泉。ネットを見ている場合じゃないと思わされました。
「人生の夕暮れ」に立っていた老年期、守一は太陽をモチーフにして絵を描いています。キャンバスの中の白い同心円が神秘的で神々しいです。丸が乱れず描かれているのに、守一の人徳や円熟ぶりを感じました。97歳で亡くなるまで、創作を続けた守一。芸術家の人生の走馬灯を疑似体験できる展示でした。そしていつか庭付きの家を……という目標を植え付けられたようです。
「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」期間:~2018年3 月21日(水・祝)
時間:10:00~17:00(金曜日、土曜日は20:00まで。入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(2/12は開館)2月13日(火)
場所:東京国立近代美術館
東京都千代田区北の丸公園3-1
漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。