箱根の定番お出かけスポット、彫刻の森美術館。遠い昔の記憶だと、草原に林立する彫刻作品や、網状のアスレチック、そして奥に鎮座するピカソ館が思い浮かびます。1969年にオープンし、ピカソ館は1984年に開館。50周年の2019年にはそのピカソ館がリニューアル。内装も一新されたと聞いて(数十年ぶりなのでbeforeの内装の記憶がありませんが)、内覧会に伺いました。
ピカソ館に到達する前に、彫刻の森でヘンリー・ムーアやロダンなどの名作彫刻を鑑賞しつつ、足湯という魅力的なスポットを発見。おしゃれなカフェもいつの間にかできていて、網のアスレチックは年齢制限的に遊べませんでしたが、大人も楽しめる癒やしの設備も充実しています。
奥には「PICASSO」というロゴ入りの白い建物が佇んでいました。中に入ると木の床や椅子があって居心地が良い雰囲気。レセプションで司会の阿部知代さんが「とっても明るくなってスッキリした」とおっしゃっていましたが、リニューアルポイントは、床、壁、天井をすべて変えたという点と、陶芸作品の保護ケースには高透過ガラスを使用し、ガラスをほとんど感じさせないという点です。第1室にはピカソの紹介映像や絵画、写真などを展示してピカソという人物に興味を持たせ、第2室はセラミック陶芸作品、第3室には金・銀のオブジェ、版画が展示されていて、見やすい構成です。スペイン人らしき方が、スペインのピカソ博物館よりも良いとか話しているのが耳に入ってきました。
第1室では、まず目に入ったのが「猫のいる静物」。妻のジャクリーヌがブイヤベースを作ろうとしている時、庭から一匹の猫が魚やオマール海老を狙いにきたシーンを描いていて、空腹感みなぎる灰色の猫がかわいいです。ピカソ館開館から時を経て猫ブームの今にぴったりな作品。
またこの部屋では大きなタピスリー(織物)「ミノトーロマシー」が展示されていて、頭部が牛で首から下がマッチョ人間の怪物や、裸婦や暴れ馬が描かれたワイルドな作品でしたが、小学生くらいの少女が「私にも描けそう」とつぶやいていました。ピカソのフリーダムなタッチは子どものような純粋さがありますが、このような作風で描けるようになるまでにはピカソ的に試行錯誤があったようです。映像などで子ども時代の作品が紹介されていましたが、11歳で既に超絶的なデッサン力で、16歳で死を描き切った「科学と慈愛」という作品でコンクール入賞。「私は子どもらしい絵を描いたことがなかった」というピカソの言葉が紹介されていました。「子どもらしい絵を描くのに一生かかった」そうです。その発言がイヤミにならないのは圧倒的な才能の持ち主だから……。
第2室のセラミック(陶芸)作品は、原始的に粘土をこねることで、子どもに近付いたピカソの遊び心を感じさせます。高透過ガラスで作品が手を伸ばせば届きそうな存在感でした。動物や人間の顔のモチーフが多く、生き物が好きだったのだと拝察。そしてピカソは女好きでもありました。第3室には、ピカソの最後の妻を描いた「花嫁衣装のジャクリーヌ」シリーズなどが展示。原版に手を加えていった18段階の微妙な変化を一覧できます。少しずつ加筆してジャクリーヌの核心に迫ろうとするピカソ。愛妻家なことが伝わります。ジャクリーヌも妻冥利に尽きるのではないでしょうか。72歳のピカソと出会い91歳で亡くなるまで献身的に世話をしていた美女です。
実はピカソは恋愛遍歴が豊富で、「顔」という美女を描いたリトグラフ作品には「モデルは当時19歳のマリー=テレーズ・ワルテルであろう。妻オルガと不仲になったピカソにとって、彼の名前すら知らなかった無邪気な娘は心の安らぎとなり……」とさらっと解説文が。ピカソの愛人でもこうして絵のモデルとして後世に名を残せるのは幸せかもしれません。女として最高の承認欲求が満たされた感が。当時、ピカソが妻とマリーとカメラマンのドラとの四角関係に悩んでいた時に描いたのが有名な「泣く女」だったそうです。ピカソは2度結婚し、7人の女性と恋をし、恋人によって作風も変化しました。作風の幅広さがピカソの魅力ですが、その原動力は女性関係だったのでしょうか。頭髪がなくても、半裸でお腹が出た姿で制作しても、だいぶおじいさんでも、写真からはフェロモンと才能オーラが漂っていてモテるのも納得です。ピカソの本能やエネルギーが渦巻く館。自然に囲まれ、ピカソ作品に囲まれることで現代人は生命力をチャージできるのです。