令和2年は『日本書紀』が編纂されてから1300年だそうで、もう一度国譲り神話について考える良いタイミングかもしれません。東京国立博物館 平成館で「日本書紀成立1300年 特別展『出雲と大和』」が開催されています。
調べると出雲と大和は以下のような特徴があるようです。
出雲
古代祭祀の源流
目に見えない「幽(ゆう)」の世界
銅鐸、銅矛、銅剣
大国主命を出雲の人の祖先の霊の集合体として信仰
龍神信仰
縄文人寄り
大和
王権誕生の地
現実的な「顕(けん)」の世界
前方後円墳(権力の象徴)
三輪山信仰
天照大神信仰
展示を見ながら、自分はどちら推しか、先祖のDNAの反応を確かめながら鑑賞するのも良さそうです。(個人的にはスピリチュアルな出雲のコーナーに惹かれました)
展示コーナーの第1章は、「出雲大社」がテーマ。「幽」の世界を司る格式高い神社で、大国主命が大和からの要望で国譲りに応じ、そのかわりに高さ48mもの本殿を建ててもらったという伝承が。10分の1サイズの模型が展示されていましたが、それだけでもかなりスケールが大きく、本殿への階段はそのまま天界に通じそうです。
2000年に直径1.3メートルもの極太の宇豆柱が出土し、この天空の本殿は実際にあったことがわかりました。ふと、出雲で信仰されていた龍神が、この長い階段に体を這わせている姿を幻視。
出雲の出土品で想像力をかきたてるのは、第2章コーナーにあった大量の青銅器です。荒神谷遺跡から出土した大量の銅鐸、銅剣、銅矛が展示。銅矛は刃こぼれしているのがちょっと怖いです。血なまぐさいことに使われていないと良いのですが……。
そして銅鐸は一体何のためにどうやって使われていたのか、いまだに謎めいています。鐘の音の波動で場を浄めたり、シャーマンを神がかりに導く道具だったのでしょうか。切手のイメージが大きい、一見地味な銅鐸ですが、じっくり見てみると鹿や波などかわいい模様が彫られていたり味わい深いです。時々穴が空いている銅鐸がありましたが、音の高さを変えるためなのでしょうか。
銅鐸ブームは弥生時代に入って終息してしまいます。出雲の出土品では勾玉や管玉の首飾りなども素敵でした。色合いがおしゃれすぎで、古代人のセンスに感服いたしました。
第3章の大和の出土品は、神獣鏡という鏡や、埴輪などが充実していました。この頃、前方後円墳が権力の象徴として作られていたようです。前方後円墳に納められていた神獣鏡には、中国の神仙世界が彫られていたり、新羅のスタイルの金の耳飾りが納められていたり、当時の大陸との交流が窺い知れます。大和王権の時代は船で大陸と行き来していたそうです。
動画コーナーで、出雲大社の代表者が天皇陛下を称える「神賀詞」を奏上する様子が流れていました。1300年くらい昔からある風習だそうです。独特の節回しで、「天皇命の大御世」を称えて、国家安寧や長寿などを祈願。国譲り後、出雲から大和への忠誠心を誓っているようですが、本心からなのかどこか言わされているのか……。暗いトーンの祝詞には、出雲の神様のプライドが抑圧されている感じがありました。それでも建前上は、低姿勢を貫いている出雲の神様は寛大です。
第4章は、出雲と大和にちなんだ仏像をそれぞれ展示。どこか荒削りで力強い、出雲系の仏像と、大きくて立派で権力を感じさせる大和系の仏像。大量の仏像の放つしめやかなエネルギーで、出雲VS大和の緊張感は和らいだようです。それぞれの仏像が、雄大なポージングで素晴らしくて、引き分けで終わった感がありました。この展示で出雲と大和の勢力が、お互い認め合って良い関係が続くことを祈ります。