2021.11.29

物欲が高次元レベルに昇華される民藝の力 #70

ステイホームで居住空間を快適にすることに人々の意識が向いている今、「民藝」が再注目されているようです。東京国立近代美術館で開催されている「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」に伺いました。

 
「民藝」とは1925年に、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎によって作られた概念で、「民衆的工藝」を略した言葉だそうです。民衆的と言われても、今見ると格調と敷居が高そうな品々のイメージ。やはり美意識の高い方々が全国各地から厳選したものは、漂う品格が違います。「大衆」ではなく「民衆」というところにも、丁寧に質素に生きている善良な人々を連想させられます。作っている人が徳が高そう、というのも「民藝」の要素かもしれません。

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バーナード・リーチによる「楽焼筒描ペリカン文皿」はイギリスのスリップウェアの専門書にインスパイアされました。

柳宗悦は、武者小路実篤や志賀直哉など学習院出身者によって創刊された文芸誌「白樺」の最年少メンバーでした(高校時代)。東京帝国大学哲学科を卒業し、結婚。同人仲間が住む我孫子に移住し、バーナード・リーチも窯を持ったりして、志の高い芸術家村が発生しました。「北の鎌倉」と呼ばれた地だそうで、浦和出身者として浦和も「北の鎌倉」という説があったと申し上げたいところですが、この豪華な住人を見ると我孫子に軍配が上がりそうです。我孫子のコロニーから人脈の輪が広がり、芸術品も集まってくるようになります。「白樺」メンバーがフランスの彫刻家オーギュスト・ロダンと文通して交流し、「ロダン」特集を発行。喜んだロダンから小さいブロンズ像が届いたといううれしいできごとも。展示会場には「ある小さき影」と題されたロダンの作品も展示されていました。

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朝鮮半島の17世紀後半の壺。1916年以降柳宗悦は頻繁に渡朝し、朝鮮の工芸に惹かれていきました。

バーナード・リーチが1918年頃に描いた我孫子の書斎に佇む柳宗悦の絵を見ると、壺やランプなどいかにも趣味の良い調度品に囲まれた素敵な紳士の姿が。柳宗悦が愛用した富本憲吉の、素朴で温かみのある急須や壺も展示されていました。陶磁器の美を見出した柳宗悦。続いて、朝鮮陶磁器の魅力にも開眼し「李朝陶磁器展覧会」を開催。芸術品を集めて自分で愛でるだけでなく、「美術館」「出版」「流通」という三本柱でアウトプットしていく手法が当時としてはかなりやり手です。ひとり代理店のような才能を感じます。

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1925年頃、木喰仏を求める旅に出た柳宗悦。山梨県甲府市の旧家でこの仏像に出会いました。

続いて彼がハマったのは、江戸時代の僧・木喰上人が掘った木喰仏。高尚なマイブームが次々訪れます。関東大震災後に京都に転居した柳は陶芸作家の河井寛次郎と親しくなり、濱田庄司と3人で木喰仏を訪ねる旅へ。その道中で「民藝」という新語を作ったそうです。木喰仏のほほえみに見守られ、志の高い3人の「民藝運動」は注目を集めていきます。「民藝運動」の推進力の源は旅にありました。

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イギリスで柳宗悦と濱田庄司が大量に買い付けた19世紀のウィンザーチェア。当時、銀座の鳩居堂で展示販売されたそうです。

濱田庄司とバーナード・リーチはイギリスに渡り、窯を築いて創作活動に励みます。濱田はイギリスから大量の「スリップウェア」という皿を持ち帰ってきます。大判の皿に、ワイルドに波のような文様が描かれた皿の数々。また、ハーバード大学に招かれた柳宗悦は、途中のイギリスで大量のウィンザーチェアを買い付け。日本に送るのにもかなりの輸送費がかかりそうですが、お金に糸目を付けません。貧乏性オーラを全く感じさせないのが「民藝」のブランド感かもしれないと感じました。でも「日本現在民藝品展」(1941年)のために各地を旅したメンバーは、会計の支出をしっかり記録していて「アイスクリーム代」などの表記も残っています。浮世離れしながらも、現実的な一面も。やはり輸送費がかさんでいたようですが……。

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日本の郷土人形にも着目していた柳宗悦。左は福島県の三春人形で、右は埼玉県の鴻巣人形。ともに江戸時代のものです。
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創設メンバーが発行していた「民藝」は造本やデザインにもこだわりぬき、集めるとこんな素敵な箱に収まります。
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柳宗悦がデザインした本立と砂糖挟みの霊妙なデザイン。再発売してほしいです。
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柳宗悦が書斎で愛用していた椅子と机。獅子の顔がついたアメリカ製の肘掛けがかわいいです。「拭漆机」は黒田辰秋のもの。

「歩く民藝」として民藝男子のファッションも注目されました。透かし彫りの入った鼈甲のメガネ、作務衣にニットベストのレイヤード、ツイードのスーツ、台湾麻袋の巾着といったファッションで諸国を旅していたそうです。そのため、柳宗悦、バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、水谷良一が一緒に旅行中、警官の職質を受けたという記録も残っています。当時のカルチャー系女子の憧れの的だったのかもしれません……。全国を旅した彼らは、琉球やアイヌなど、遠方の地の優れた民藝品の価値も世の中に知らしめました。また、時代を超越し、縄文土器も日本民藝館のコレクションに加わっていきます。

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全長13メートルを超える力作「日本民藝地図」。地図上に絵記号で、和紙や竹細工、民窯、染織などの産地が記されています。

さらに、丸みのある「民藝フォント」のデザインが生まれたり、柳宗悦も戦後、インダストリアルデザインの仕事をしたりと、「民藝」ブランドが発展していきます。柳宗悦が金工職人、金田勝造と恊働制作した「砂糖挟み」や「本立」は妥協をゆるさない曲線が崇高で、完成度が高いです。数々の民藝品をインプットしてきたからこそできるデザイン。どこか天上界の美のようなセンスですが、柳宗悦自身も魂のレベルが高まっていったようです。

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縄文時代の「岩偶」と「深鉢」。「民藝」と通じるプリミティブな魅力が。

1946年、阿弥陀如来「大無量壽経」を読み直すうちに「 無有好醜の願」に啓示を受けます。「仏の国においては美と醜との二がないのである」と悟った柳宗悦は、二元論を超えた美学に到達。しかしその意識に至る前から、柳宗悦は真理に気付いていたように思います。民藝品の外見だけにとらわれず、作者の思いや、心を込めた手仕事に引き寄せられて集めていたのかもしれません。消費とは別のベクトルの購入行動です。今は高価なイメージのある民藝の品々も、作り手の思いを受け取って大切に使い続けることで、減価償却……と申しては何ですが、プライスレスな価値を後世に伝えることでしょう。

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1959年、柳宗悦がデザインした色合いが素敵な丸皿。土瓶は柳宗悦の長男、柳宗理が原型をデザイン。センス的に最強の遺伝子を感じます。

柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年

期間:〜2022年2月13日(日)
時間:10:00~17:00 ※毎週金曜・土曜20:00まで(いずれも入室は閉室の30分前まで)
休:月曜 ※ただし2022年1月10日は開館、年末年始[12月28日(火)~ 2022年1月1日(土)]、1月11日(火)

※開催日時などにつきましては、新型コロナウイルス感染症の状況により変更の可能性もあるので、公式HPなどでチェックしてください。

会場:東京国立近代美術館
東京都千代田区北の丸公園3-1
https://mingei100.jp/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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