【エゴン・シーレ】の作品に渦巻く自己愛と自意識、そして才能に浸る展覧会 #84

28歳で早世した天才画家、エゴン・シーレの作品がまとまって観られる貴重な展覧会「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が東京都美術館で開催されています。最も優れたシーレのコレクションで知られる、レオポルド美術館所蔵の作品が来日。シーレが影響を受けたグスタフ・クリムトやコロマン・モーザーほか、同時代のウィーンの作家の作品も多数展示されていて、当時のウィーン・モダニズムの勢いが伝わってきます。

【エゴン・シーレ】の作品に渦巻く自己愛との画像_1
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有名な「ほおずきの実のある自画像」」(1912年)。鮮やかなほおずきの色彩と、唇の色が共鳴しています。

シーレというと、独特のタッチのクセが強い自画像が思い浮かびますが、今回の展示では代表的な「ほおずきの実のある自画像」も観ることができます。1912年に自分と向き合って描かれた作品で、自意識や芸術家としての自信、傲慢さと繊細さ、そしてどこか危ういメンタルが、表情にあらわれています。自分の性格の問題点まで深掘りしたような絵で、シーレの容赦ない自己探求に圧倒されます。

いっぽうで、ウィーンの名士「レオポルト・ツィハチェックの肖像」(1907年)や、作家の「アルトゥール・レスラーの肖像」(1914年)、ホテル経営者の「フランツ・ハウアーの肖像」(1914年)など、自分を支援してくれた有力者はちょっと美化されて描かれているような……。早くに父親を亡くしたシーレにとって、スポンサーは大事な存在だったのでしょう。

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「カール・グリュンヴァルトの肖像」は、パトロンがどこか男前に描かれているような……。
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グスタフ・クリムトの影響を感じさせるエゴン・シーレの「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」(1908年)。色彩のセンスが素晴らしいです。

精神的に父親のような存在だったのが、すでに地位を確立していたクリムトです。16歳で特別扱いでウィーン美術アカデミーに入学するも、保守的な授業と合わず、退学。「ぼくの粗野な教師たちはぼくにとって常に敵だった」そうです。でも17歳のときに出会ったクリムトはシーレの才能を認め、有名なコレクターにも紹介してくれました。クリムトの影響が感じられる作品が「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」(1908年)で、平面的なタッチの背景には金や銀の顔料が使われています。

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「裸体自画像」(1912年)は痩せて陰鬱な表情で……見る人を心配させます。

20歳の頃、独自の画風を確立したシーレは、自画像や挑発的な裸体像を描くように。ガリガリな体と強い目力の「裸体自画像」(1912年)や、身をかがめた戦闘体勢の「闘士」(1913年)など、緊張感が漂っています。見ていて心地よい裸体ではないですが、絵の前からしばらく動けなくなるような吸引力があります。中でも「叙情詩人(自画像)」(1911年)では、裸体に上着を羽織り、不自然に首を傾けたポーズを描いています。その表情には虚無感が漂っているような……。自己愛が極まると、ただ美化された自分の姿ではなく、悩みや不安定さをさらけ出した自画像で、見る人に心配されたくなるのかもしれません。かまってほしい系アーティストなのでしょうか。

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青ざめた顔で首を曲げた、どこか不穏な「叙情詩人(自画像)」(1911年)。自らの置かれた窮地を物語っているようです。

この頃、シーレはご近所トラブルなどに悩まされていたようです。母親の出身地、クルマウに移住しアトリエで創作活動をはじめたのですが、モデルの未成年の少女達が家に出入りしたり、野外で裸体を描いていたりした行為が問題視されます。3ヶ月で街を去り、ウィーン郊外へ引っ越しする羽目に。今でも炎上しそうな行状です。

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「しゃがむ裸の少女」(1914年)は、モデルの目力に射すくめられるような作品。

「裸体自画像」を描いた1912年は、シーレにとってはさらに厄年でした。未成年の少女の誘拐などの疑いで逮捕され、さらにわいせつ画の頒布を理由に禁固刑に処され、いくつかの作品が燃やされることに。シーレいわく、家出少女を泊めていただけ、だそうですが……。逮捕でシーレは落ち込み、作品に勢いがなくなってしまいました。「ぼくは、あらゆる肉体から発せられる光を描く。エロティックな芸術作品にも神聖さが宿っている」というのはシーレの発言ですが、警察にそう訴えても通じなさそうです。

しかし、シーレにとって重要なモチーフである、女性の裸体を描き続けることで、作風も勢いを取り戻したようです。「しゃがむ裸の少女」(1914年)は、少女の不敵さが漂うドローイング。「赤い靴下留めをして座る裸婦、後ろ姿」(1914年)も、女性の裸体を探求してきたシーレだからこそできた、独創的な構図です。背後からとらえた女性の背骨や背中の筋肉が、顔以上に何かを物語っています。

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未完の作品となった「しゃがむ二人の女」(1918年)は、シーレが計画していた霊廟を飾るフレスコ画の習作という説があります。

強い自己愛は自信にもつながります。自分の才能を疑うことなく、周りの風当たりが強くても、作品を発表し続けたシーレは、短くても芸術家として幸せだったことでしょう。未完の最後の作品「しゃがむ二人の女」(1918年)は、人間は裸で生まれて死んでいく、という現実に気付かされるとともに、ピュアな表情を浮かべた二人の裸体の女性が、シーレを天国に導く天使にも見えてきます。

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「横たわる女」(1917年) 体部分は妻のエーディト、顔は別の女性に変えたとされている作品。育ちの良い妻やその家族に配慮したのでしょうか…….。

芸術家として充実感が高まってきた1915年、4年の間、恋人でありモデルもつとめてくれたワリーに無情にも別れを告げたシーレは、裕福な中産階級の淑女、エーディトと結婚。20代後半なり、世間体を重視したのでしょうか……。妻に大胆なポーズをさせ、頭部を別の女性と差し替えた「横たわる女」(1917年)などを制作。このまま順調に画家としてステップアップしていくかと思われましたが、1918年にスペイン風邪に感染し、あっけなくも妻の3日後に亡くなってしまいます。しかしシーレが生前に「ぼくの絵は世界中の美術館に展示されるだろう」と語っていた言葉は現実に……。

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「吹き荒れる風の中の秋の木」(1912年)は、枯れ木がまるで人間のような存在感です。
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グスタフ・クリムトによる珍しい風景画「シェーンブルン庭園風景」(1916年)。点描タッチが新鮮です。

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

期間:~2023年4月9日(日)
時間:9:30~17:30(入室は閉室30分前まで。⾦曜は20:00まで)
休:月曜日

※開催日時などにつきましては、状況により変更の可能性もあるので、公式HPなどでチェックしてください。

会場:東京都美術館(東京・上野公園)
東京都台東区上野公園8-36
https://www.egonschiele2023.jp/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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