【 #キース・ヘリング 】のラディアントパワーで浄化 #95 #森アーツセンターギャラリー

POPで明るい作風に見えて、シュールさやダーク感も漂うキース・ヘリングの作品。1980年代に彗星のように駆け抜けた芸術家の作品、約150点が集結した展示「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」が森アーツセンターギャラリーで開幕しました。(その後、巡回予定)

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展示はまず、NYの地下鉄の雑踏から始まりました。第1章は「Art in Transit 公共のアート」と題し、ギャラリーを飛び出して公共空間でアートを展示したキース・ヘリングの軌跡を追います。NYの地下鉄の音やざわめきが流れる中、駅構内の広告板にドローイングするヘリングの写真が。普通に逮捕もされたそうですが、公共空間によく描いていた、光り輝く赤ちゃん、吠える犬、宇宙船などはその後もたびたび登場する重要なモチーフとなりました。


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「無題(サブウェイ・ドローイング)」(1981-1983)。NY地下鉄駅構内の広告板に貼られた黒い紙にチョークで書くスタイルです。有名になるにつれ紙がはがされて売買されるように……。

サブウェイ・ドローイングは注意されるまで、できるだけ早く描き終えて、強いインパクトを残さなければなりません。それであのような太いラインのラフなタッチが生まれたのでしょう。

サブウェイ・ドローイング作品は、猿が人々に崇められていたり、頭部が戦車の人が0ドル札を燃やしていたり、社会風刺的なものも多いです。バンクシーよりも早く、多くの人の目に触れるストリートアートの使命に気付いていたヘリング。UFOやピラミッドなどのモチーフが多いのも気になります。おそらく、その頃大ヒットしたSF映画、『未知との遭遇』(1977年)、『スター・ウォーズ エピソード4』(1977年)、『エイリアン』(1979年) 、『E.T.』(1982年)などの影響もありそうです。UFOがピラミッドに光線を浴びせたり、逃げ惑う人々を攻撃したり、緊張感漂う人類と宇宙人の関係が描かれています。

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「無数の小さな男性器の絵」(1979年)。目をこらせば……見えてくるかもしれません。
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「ピラミッド」(1989年)。よく見ると不思議な生命体がひしめきあっています。

ヘリングのプリミティブなタッチは、古代の洞窟壁画のような印象もあります。群衆が何かを崇める、という構図など、DNAに刻まれた先祖の姿を見ているようで、懐かしさが。第2章「Life and Labyrinth 生と迷路」の「ピラミッド」も、どこか古代文明を感じさせます。

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「フラワーズ」(1990年)は、エイズによる合併症で亡くなる直前に制作。儚く美しい花が描かれ、絵の具の滴りにも思いが込められているようです。

とはいえヘリングが住んでいるのは、近代的な大都会NY。ペンシルベニア州から出てきたヘリングにとっては刺激的で刹那的な街でした。1986年、ヘリングは「人生は儚い。それは生と死の間の細い線です。私はその細い線の上を歩いています。ニューヨークに住んで、飛行機で飛び回っているけれど、毎日死と向き合っているのです」という言葉を残しています。NYは当時治安が悪く、ドラッグや暴力が蔓延、さらにHIVも広まりつつあり、生と死が隣り合わせでした。そんな言葉とは裏腹に、人生の儚さなど感じさせない強い線とタッチで絵を描き、見る人や自分を鼓舞しているようです。

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「ドッグ」(1986年)は会場で若い人が次々写真を撮っていて、今の人にも人気のようでした。犬の気合いが入ったポーズがかわいいです。
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「無題」(1983年)。踊る妊婦と光り輝く赤ちゃんが描かれた作品は、母親への賛辞や生命の尊さを表現しているようです。
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「アンディ・マウス」(1986年)。ウォーホルは約30歳年上でアート界で絶対的な存在でしたが、そんな彼を躊躇せず自由に表現しています。「無題」(1983年)。踊る妊婦と光り輝く赤ちゃんが描かれた作品は、母親への賛辞や生命の尊さを表現しているようです。

生き馬の目を抜くようなNYで、アンディ・ウォーホルと交友を持てたのは、心強かったに違いありません。第3章「Pop Art and Culture ポップアートとカルチャー」では、ヘリングとウォーホルの珍しいコラボ作品も展示。「アンディ・マウス年」(1986)シリーズは、ネズミと合体したウォーホルが担ぎ上げられたり、0ドル札の肖像になったり、0ドル札の山の中に立っていたりするユーモラスな場面が描かれています。作品の下には2人のサインが書かれています。しかし0ドル札にされるとは、価値がないと言っているようですが、アート界のカリスマをこんな風にいじって大丈夫でしょうか? 根底に信頼や尊敬があったからこそ描けた作品かもしれません。

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コカインの危険性を訴えたレコードジャケット「クラック・イズ・ワック」(1987年)。

極彩色で独創的な作風のヘリングなので、やはり当時の時代背景的にドラッグをやっているのでは? と疑いの目を向けてしまいます。パラダイス・ガラージというクラブにも通っていたので、これは確定では……と勝手に思っていたのですが、ヘリングがデザインしたアルバムを見て印象が変わりました。レコードのジャケットには太字で「LIFE IS FRESH! CRACK IS WACK!!」と描かれていたのです。訳すと「人生は新鮮だ! クラックはヤバい!!」……ヤバいの意味がどちらなのか素人として判断が難しいですが、おそらくコカインの危険性を訴えているのだと思います。絵には何かを吸引して目がイッている人が描かれていました。第4章「Art Activism アート・アクティビズム」の展示コーナーにも、「CRACK DOWN!」と書かれたポスターが(「クラック・ダウン!」/1986年)。足で吸引器具を踏みつける絵が描かれていました。日本風に言えば「コカイン、ダメ、ゼッタイ」なのでしょう。

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「沈黙は死」(1989年)は、社会の無関心に警鐘を鳴らすために制作されたそうです。今見ても心に刺さるメッセージです。
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「赤と青の物語」(1989年)は、子どもたちのために作られた20枚のシリーズで、ストーリーのない絵本のような作品。

第5章は「Art is for Everybody アートはみんなのために」。アートは富裕層だけのものではなく、もっと気軽に手に入れてもらいたいと考えたヘリングは、自身がデザインした商品を販売する「ポップショップ」をオープン。一時は日本にも出店していたようで、その時買った人は、商品にプレミアがついて値上がりしているかもしれません。

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「イコンズ」は亡くなる直前の1990年に制作された5枚組の版画作品。真ん中の「ラディアント・ ベイビー」に、希望を感じて癒されます。

「アートは不滅だ。人は死ぬ。ぼくだって死ぬ。でも本当に死ぬわけじゃない。だって僕のアートはみんなの中に生きているから」というヘリングの1987年の言葉通り、彼の作品はこうして今も世界中で観賞され、グッズも人気です。


社会に潜む不平等やエイズに対する偏見など、様々な問題と闘ってきたヘリング。人生は過酷で理不尽だけれど、彼が描いた「ラディアント・ベイビー(光り輝く赤ちゃん)」のように、全ての人は純粋な存在で、祝福されて生まれてきた、そんなポジティブなメッセージを感じます。亡くなった1990年にも「イコンズ」と題してラディアント・ベイビーを描いていますが、それは来世に生まれるヘリングの姿のようでした。

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ショップにも映えスポットが。80年代っぽいデザインが懐かしく、元気をもらえそうなアイテムです。

「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」

期間:~2024年2月25日(日)
時間:10:00~19:00  金・土曜日は20:00 (入室は閉室30分前まで)
年末年始(12月31日~1月3日)は11:00~18:00 
休:無休
会場:森アーツセンターギャラリー [六本木ヒルズ森タワー52階]
東京都港区六本木6丁目10−1 六本木ヒルズ森タワー
https://kh2023-25.exhibit.jp/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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