箱根の雄大な自然に囲まれたロケーション……森林浴とともに文化を吸収できるポーラ美術館で、空間を生かしたフィリップ・パレーノの個展「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空」が開催されています。
現代のフランスを代表するアーティストでありながら、内覧会のアーティストトークに登壇されたご本人は、その仕草や佇まいからシャイでチャーミングなお人柄が伺い知れます。あとでスタッフの方に聞いたら、今回の大がかりな個展で、各所に名前が大きく表記されているのに戸惑われて「Call me John.」などと冗談を言っていたそうです。
展示は、旧作と新作が入り交じっていますが、パレーノ氏いわく「ある意味全ての作品が新作と言えます。昔作った『マリリン』と『雪だまり』、『ヘリオトロープ』を同じ部屋に展示して、新しい見せ方ができました。作品は楽譜の中の音符のようなもので、どう並べるかでまた違った新しい曲になります。同じスペースで共鳴し合います」とのことで、毎回新鮮な視点で作品を楽しむことができます。
「私の作品は終わりがない。常に会話のように流動的に更新されていきます。特に今はいろいろなものがデジタル化しているので、テクノロジーの発展を取り入れることで、作品を更新することがやりやすくなっています」と、パレーノ氏談。
作品に触れることは、パレーノ氏と会話し、コミュニケーションするようなものなのかもしれません。また、それぞれサプライズ的な仕掛けがあるところに、パレーノ氏のサービス精神を感じます。
「私の部屋は金魚鉢」(2024年)は、魚のバルーンシリーズ最新作。美術館でグッズ化希望したいくらいのキュートな魚たちです。
最初の部屋には「私の部屋は金魚鉢」というインスタレーションが展示。タイトルの通り、足を踏み入れた瞬間から水槽の中に入ったような驚きが。ヘリウムガスで満たされた魚たちが空間を自由に泳いでいます。手が届かない上の方を泳ぐ魚もいれば、疲れたのか床近くに沈む魚もいて、あたかも生きているかのようです。魚たちは色合いも形も絶妙で、作家の手によって瞳が一つずつ丁寧に創作されていると聞くと、プレミア感が増して見えます。平和な観賞魚だけの世界にどんどん入ってくる人間の観客は、魚の生態系にどんな影響を与えるのでしょう。緑に囲まれた美術館だからこそ、自然との共生について考えさせられます。
「雪だまり」(2024年)は、雪の汚れ方などかなりリアルで、雪を観察し研究しつくされています。人工雪、ダイヤモンド・パウダー、粘土などで再現。
「マリリン」は、本人は映っていないながら、その気配や残留思念が濃厚に漂う作品。1955年、映画『七年目の浮気』のロケのためNYの高級ホテル、ウォルドーフ・アストリアのスイートルームに住んでいた当時のマリリンの息づかいが感じられます。
マリリンの孤独な魂が封じ込められているようで、美しくも切なく、どことなくホラーな予感も漂う映像です。花が飾られ、テーブルにはグラスや雑誌が置かれたラグジュアリーな室内で、何かに駆り立てられるようなマリリンの筆跡が映し出されます。電話が鳴っていますが誰も出ず、外からは救急車のサイレンが聞こえて不穏な雰囲気。ペンは、次第に意味をなさない図形を描きはじめ、人気絶頂のスターのメンタルの不安定さを表しているようです。そのあとのマリリンの最期を知っているからこそ、SOSサインを感じてしまう……。
「ヘリオトロープ」(2023/2024年) は、着色された鏡がモーターによって動き、太陽光を反射します。日当りが悪い家にあったら便利そうです。
「マリリン」の映像が終わったタイミングで後ろのロールスクリーンが開いて、室外の「ヘリオトロープ」が稼動。太陽光を反射しながら回転し、部屋にオレンジ色の光が差し込みました。不安からの希望の光に、人々は無言で窓の方に集まっていきました。新しい宗教的な儀式が生まれたような、厳かな展開でした。マリリンの孤独や苦しみも太陽光で浄化されたような、救いが感じられるコラボでした。
コウイカを主人公とする映像作品「どの時も、2024」(2024)。コウイカを飼育するパレーノによる、生命体へのリスペクトが感じられる映像です。
同じく神々しさを感じたのは、コウイカが主人公の映像作品「どの時も、2024」。コウイカを飼育しているパレーノは「地球外生命体に最も近いもの」と、語っているそうです。まるで宇宙空間のような漆黒の水中に泳ぐコウイカが美しく、パレーノのコウイカ愛が伝わってきます。ふわふわと泳ぎながらこちらを見つめる崇高な眼差しに、思わず手を合わせたくなります。この展示を観てしばらくはイカを食べられなくなりそうです。
2011年から2016年にわたって、作者の闘病中に描かれたドローイング作品「ホタル」シリーズ。ホタルを描くことは生きる力の源だったのでしょう。
パレーノのドローイング作品も神秘的でした。「ホタル」のシリーズは、ペンやインクで描き込まれた、明暗のコントラストが美しい作品。このドローイングにはパレーノの特別な思い入れがあり、闘病していた時にフランスの病院で描き続け、親しい人にプレゼントしていたそうです。暗闇で光を放つホタルに希望を託したのでしょうか。この世に生命の痕跡を残そうとするホタルの光を心で感じることができるドローイングです。
ドローイングの展示ケースは、壁がめまぐるしく透明になったり不透明になったりして、目に見える事象の儚さを表現しているようです。
「ふきだし(ブロンズ)」(2024年)は、これまでも様々な色で制作されています。声なき者たちの声を象徴。魚の作品よりヘリウムが多く充填されているようです。
光を放ち点滅する装置「マーキー」や、コウイカの映像の最後に現れる光の明滅、黄金のバルーンが天井で輝きを放つ「ふきだし(ブロンズ)」、そしてまぶしいくらいの光を反射する「ヘリオトロープ」と、今回の展覧会は、光を放つ作品が目立ちます。いつしか光に導かれ、「この場所」から「あの空」へ……。達観した芸術の境地、雲の上の世界に連れていってもらえそうな展覧会です。
「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空」 期間:~2024年12月1日(日) 時間:9:00~17:00 (入館は閉館30分前まで) 休:なし 会場:ポーラ美術館 展示室1、2、5、屋外 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20240608c01/