美と権力がうずまく【大奥】の絢爛豪華なアートに浸る #114

江戸時代、冨と権力、華やかさの象徴だった大奥は、庶民にとってあこがれの対象でした。ロイヤルファミリーとハリウッドセレブをかけあわせた以上の存在だったのではないかと推察します。その、大奥の世界を体感できる特別展「江戸☆大奥」が東京国立博物館 平成館で開催中。

江戸時代、冨と権力、華やかさの象徴だった大奥は、庶民にとってあこがれの対象でした。ロイヤルファミリーとハリウッドセレブをかけあわせた以上の存在だったのではないかと推察します。その、大奥の世界を体感できる特別展「江戸☆大奥」が東京国立博物館 平成館で開催中。

特別展「江戸 大奥」 御鈴廊下

御鈴廊下を再現したコーナー。ドラマのように両側で女中たちが平身低頭するスペースはなさそうです。

会場に足を踏み入れると、まず、NHKドラマ10「大奥」に登場した「御鈴廊下」を再現したセットが目に入ってきました。時折鈴の効果音が鳴り響き、華麗なる大奥の世界へ誘われます。中奥と大奥の間にもうけられた、将軍だけが歩くことができた通路で、中奥と大奥に鈴があって、将軍が出入りするときに鳴らされたそうです。将軍は一日数回行き来していたとか。広いのでそれだけでも良い運動になります。

特別展「江戸 大奥」

正室の女性たちのパネルが展示。篤姫、和宮など大河ドラマで見かけたお名前も……。

この展示室には、ドラマの衣装と、歴代の御台所(正室)たちのパネルが展示されていて、華やかな空気です。徳川家康の正室、西光院(築山殿)、秀忠の正室、崇源院(お江の方)、家光の正室、本理院(鷹司孝子)、家綱の正室、高嚴院(浅宮顕子)、綱吉の正室、浄光院(鷹司信子)など、美しいお姿が並んでいて圧巻です。大奥の最高位だった面々の絵から、威厳と品格が漂ってきます。皇室に連なる名字も何人か見受けられ、雲の上のセレブだったことが改めて実感されました。

特別展「江戸 大奥」 「千代田の大奥」

「千代田の大奥」より元旦の儀式後に女中たちが食事を御台所に届ける「元旦二度目の御飯」。

例えば「元旦二度目の御飯」は、元旦の儀式後に女中たちが食事を御台所に届ける図。着物もゴージャスですが、調度品がほぼ漆塗りで金色の模様が入っています。大奥の女中が将軍と御台所からお酌をいただく「お流れ」、女中たちの数少ない娯楽だった「かるた」など、華やかに見えても行事で忙しく、規律や制約が多かったことが推察されます。

「鏡餅曳(かがみもちひき)」という風習の絵もありました。男子禁制の大奥ですが、正月七日のこの行事だけは数十人の男衆が入ってきて、鏡餅を舟そりに乗せて練り歩いたそうですが、奥ゆかしい大奥の女中たちはあえて見物しなかったそうです。内心、仮装したパリピのような若いメンズに興味津々だったと想像します。

特別展「江戸 大奥」 「千代田の大奥」

お盆が素敵すぎです。「山里のお茶や」二の丸の吹上御庭には、茶屋や馬場などを設けた「山里」と呼ばれる庭園がありました。プチトリアノンのようです。

年男の「御留守居(おるすい)」(通行手形などを管理する係)が豆ばやしを披露する「節分」、桜よりも御台所と女中たちの絢爛豪華な着物が目立ちまくっている「御花見」などの風習も華やかに描かれていました。

さすがセレブだと感じたのは「雛拝見」の絵。御台所のお雛様の飾りは、大奥の中の計3カ所に飾られたそうです。「御能楽屋」という絵には、大名のたしなみだった能楽の準備が描かれ、「哥合(うたちあわせ)」の絵には宮中行事さながらに歌を詠む姿が描写されていました。茶の湯や舟遊びなど、雅な文化も息づいていたようです。

後半の展示にもありましたが、大奥内では女性の役者による歌舞伎も上演されていました。なかなか外の世界に行けないかわりに、大奥内でさまざまにカルチャーを体験できたようです。

辛酸なめ子 特別展「江戸 大奥」 「千代田の大奥」

大奥の構造についてのコーナーには、江戸城や大奥の図面も展示されていました。「江戸城本丸大奥総地図」「江戸城奥向長局絵図」などを見ると、部屋数が数えきれません。引くくらいの部屋数ですが、一説によると大奥の面積は全体で約6000坪、部屋数は約600あったと言われています。600LDK!! 

そのうち「長局向(ながつぼねむき)」という空間に400人もの大奥女中が暮らしていたようです。大奥に入って女中として出世し、将軍の側室になる、というのが当時の玉の輿ルートだそうですが、これだけ人数がいたら一人くらい勝手に入り込んで住んでもバレないのでは? と思えてきます。

特別展「江戸 大奥」 双六

「奥奉公出世双六」は万亭応賀作、歌川国貞(三代豊国)筆。奥仕えの身分や役職についても学べます。

大奥内で出世する人生ゲーム的な「奥奉公出世双六」も展示されていました。女中の中でも最高の地位にあり、影響力も大きかったのが「御年寄」でしたが、結婚せず、情報が漏れないよう生涯を江戸城で過ごす役目だったそうです。そこにいたるまでは、雑用係の「御末」、掃除係の「御三之間」、裁縫係「呉服之間」、記録係「御右筆」、交渉係「御表使」、将軍や御台所の世話役「御中﨟」、一切を采配する「御年寄」、御台所付きの女中「上臈御年寄(じょうろうおとしより)」と、厳格に序列が決まっています。大奥の制度や序列を整備したのは春日局だったと言われています。キャリア志向のあるやり手の女性はステップアップできたのかもしれません。器量や才覚、品格を武器に、女性たちの駆け引きが日々繰り広げられていたのでしょう。正室や側室も、お世継ぎを生まなければならないというプレッシャーを背負っていました。

特別展「江戸 大奥」 竹姫 阿弥陀如来像(祐天寺蔵)

竹姫が奉納した阿弥陀如来坐像(祐天寺蔵)。ふだんは祐天寺でお参りすることができる仏様です。

華やかさの裏には陰があり、栄華と孤独が入り交じる大奥の世界。時には仏様に救いを求めたい思いにかられることもありました。綱吉の養女である竹姫が奉納した「阿弥陀如来坐像」も展示されていました。婚約者と二度も死別するという不幸に見舞われた竹姫は、自身の髪の毛や鏡も奉納したそうです。袈裟には「南無阿弥陀仏」と記されています。竹姫が婚約者の成仏を祈って刻印させたのかもしれません。

特別展「江戸 大奥」 「刺繍掛袱紗」 徳川綱吉

瑞春院(お伝の方)所用の「刺繡掛袱紗」。徳川綱吉からの贈り物が包まれていました。綱吉のイメージがアップしそうです。

いっぽうで、愛されて幸せだった女性もいました。徳川綱吉は、側室である瑞春院(お伝の方)に年始や歳末、季節の変わり目に美しい掛袱紗に包んだ贈り物を届けていました。その、吉祥モチーフの刺繍入りの「刺掛袱紗」は重要文化財に指定。松竹梅や季節の草花、「寿」や「福貴」「万歳」「宝寿」といった文字や、打ち出の小槌、酒器、七宝、熨斗などおめでたいモチーフが刺繍されて、ポジティブヴァイブスを放っています。このセンスと情の深さ、さすが「生類憐みの令」を発令しただけあります。

辛酸なめ子 江戸大奥
大奥 天璋院(篤姫) 婚礼道具

「葵牡丹紋散蒔絵櫛台」は天璋院(篤姫)が婚礼道具として持ち込まれた、髪を結う時の道具や化粧品一式を収める小箪笥。美意識が高すぎます。
 

贅を尽くした婚礼調度や、華やかな四季の装いも展示。最高級の素材で美しい模様の着物は目の保養になります。季節の変化に合わせて着る着物の柄が決まっていたそうです。実際は御台所は1日に5度も着替えて、衣装は1か月ほどで、御年寄や御中﨟に下賜されたとのこと。気に入った着物でも長期にわたって所有できなかったようです。何度も着替えて、着物を循環させることで運気を活性化していたのでしょうか。

江戸大奥 掻取萌黄縮緬地松紅葉牡丹流水孔雀模様」

緑色の「掻取 萌黄縮緬地松紅葉牡丹流水孔雀模様」と名付けられた着物は、松葉や紅葉などがあしらわれた美しい柄です。

江戸大奥 駕籠

五代将軍徳川綱吉の正室、浄光院(鷹司信子)が奥入の際に用いたと伝わる女乗物。使用頻度が少ないのにこれだけの駕籠を作るとは驚きです。

豪華な駕籠(かご)に乗って大奥に入る身分の高い女性たちは、外の世界から遮断され、そのあと長きにわたって籠の鳥のような生活をすることになります。将軍の寵愛を巡って競い合い、心休まるときも少なかったことでしょう。彼女たちが心の慰めにしていた美しい調度品や最上級の着物が輝いて見える反面、光の対極にある陰も感じる展示です。究極にゴージャスなものに囲まれていないと心が満たされなかった女性たちの心の闇に思いを馳せずにはいられません。

特別展「江戸 大奥」
期間:~2025年9月21日(日)
時間:9:30~17:00(入館は30分前まで)
毎週金・土曜日、8月10日(日)、9月14日(日)は20:00まで開館
休:月曜 ※8月11日(月・祝)、9月15日(月・祝)は開館
会場:東京国立博物館 平成館
東京都台東区上野公園13-9
https://ooku2025.jp/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデ ザイン専攻卒業。アートやアイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。主な著作は『江戸時代のオタクファイル』(淡交社)『女子校礼讃 』(中央公論新社)『スピリチュアル系のトリセツ』(平凡社)など多数。Twitterは@godblessnamekoです。

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