フィンセント・ファン・ゴッホには孤独のイメージが付きまといます。求愛した女性たちに拒まれ、友人ゴーギャンとも仲違い……。生きている時は認められず、失意の人生を送り、37歳の若さで自らに銃を向けてこの世を去ります。
でも、「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」展を見たら、そんなゴッホの不幸なイメージが変わるかもしれません。ゴッホには最大の理解者である、弟テオドルス・ファン・ゴッホ(通称テオ)と、死後、彼の作品を受け継いだ親戚がいたのです。
テオの仕事は画商で、兄をバックアップし、絵を売り込み、励まし続けたというありがたい存在。そしてテオの死後はテオの妻のヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが義兄ゴッホの作品を保管・管理し、世に広め、名声を確立させるために奔走していたのです。

会場に展示されていた弟テオとその妻ヨーの写真。ゴッホの才能を信じ、世に広めるために尽力していました。教師の仕事をしていたヨーは真面目で信頼できそうな雰囲気です。
展示ではそんな家族の貢献に触れつつ、ゴッホの初期から晩年までの作品をたどることができます。テオとフィンセントが収集した、ベルナールやゴーガン、マネなど同時代の芸術家たちの作品も展示されていてゴッホとの交流も垣間見ることができます。やはり、ゴッホは孤独じゃありませんでした……。ゴッホが積極的に収集し、影響を受けていたという浮世絵も展示されています。

「女性の顔」「服喪のショールをまとう女性」はどちらも暗い色調です。辛い状況でも強く生きようとする意志が瞳に表れています。
会場に入って最初に目に入る、ジョン・ピーター・ラッセルの「フィンセント・ファン・ゴッホの肖像」には黒い服で気難しそうなヒゲの男性が描かれています。ゴッホは親しい友人ラッセルが描いたこちらの肖像画をとても気に入っていたそうです。当時のゴッホにとって自分のイメージに合う肖像画だったのでしょうか。

ゴッホは鳥の巣を30個ほど持っていてモチーフにしていました。もはや鳥の巣コレクターです。農民の住む小屋と結びつけて考えていたそうです。
ゴッホが画家になることを決めたのは27歳と、結構遅いスタートでした。それまでは美術商、教師、牧師、本屋など職を転々としていたそうです。画家になったゴッホは、初期は写実的な題材を選んでいました。特に農民の肖像や、労働者階級の人々、質素な小屋、農村の風景などを好んで描いていました。どれも色合いが暗くて、遠目には真っ黒で近づかないとよく見えないような作品も。「鳥の巣」などは茶色やグレー、黒の奥深さを感じさせます。闇と真摯に向き合うゴッホのスタンスも表れているようです。

「グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶」は、パリに移り住んだゴッホが、新しい画法や色彩を取り入れた作品。
オランダで独自の色彩を追求していたゴッホですが、1886年にパリに出てきてテオと一緒に暮らしはじめます。そこでパリの前衛的な芸術に触れて、暗い色調から脱却しなければならないと思うようになりました。パリでは近代的な絵画技法を身に付けるため「グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶」など明るい色彩を取り入れた花の静物画を多数描いています。この頃描いた「画家としての自画像」は、細かいタッチで多数の色を使っていて、ガッチリした体型と冷静な瞳、自信が漂う表情が印象的。パレットには赤や緑、青、黄色など原色が乗っていて、初期の黒っぽいカラーパレットとは別世界です。

「画家としての自画像」では、成熟した芸術家の姿が描かれています。それまでの古臭い画風からパリの最先端の画家になった自信が感じられます。
寒いのが苦手で1888年に南仏のアルルに引っ越したゴッホ。南仏の太陽に魅了され、農村や漁村、質素な服の庶民などを描きます。「アルルの老婦人」を観ると、ゴッホが一貫して質素な女性をモデルとして好んでいたことがわかります。「質素萌え」みたいな趣向があったのかもしれません。制作活動も順調でしたが、ゴーガンと「黄色い家」でコラボをはじめたものの決裂。1888年、ゴーガンと口論の末に自分の耳を切るという事件が起こり、ゴッホは自ら療養院に入院します。中毒性もある強いお酒、アブサンの影響もあったと言われています。

「モンマルトルの菜園」はゴッホの作品の中でも最大サイズ。ゴッホは大きい作品は売りにくいことを自覚しながらも、この作品に自信を持っていたそうです。
1890年に療養院を出たゴッホは、はじめてテオの妻ヨーと、その息子フィンセント・ウィレムと会いました。弱々しい病人を想像していたヨーは、健康的でたくましいゴッホの姿に驚いたそうです。その時赤ちゃんだったフィンセント・ウィレムは、後年ゴッホのコレクションを保管し、フィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立。国立フィンセント・ファン・ゴッホ美術館の開館に尽力することになります。

サン=レミの療養院に入院中に、取り組んでいたモチーフの一つがオリーブの木。「オリーブ園」のワイルドな幹がインパクトあります。
オリーブ園や糸杉、麦畑、ブドウ畑など南仏の風景をモチーフに選んだゴッホは、描きながらも癒やされていたのでしょう。「オリーブ園」の激しくうねるオリーブの幹に、ゴッホの精神状態が表れているようです。弟テオには、オリーブの木を見て故郷のヤナギを思い出した、という心温まる手紙を送っています。

ミレーの「種まく人」を下敷きにしている作品。構図は歌川広重の浮世絵も参考にしているという説が。他の作品を取り入れながらもゴッホの個性が表現されています。
でも、ゴッホとテオの関係は常に良好というわけではありませんでした。パリでは一緒に暮らしていましたが、 1886年の年末に、テオは「フィンセントとは別れて暮らす。 もう一緒に暮らすことは無理だ」と決意。ゴッホはテオを見下したり、嫌悪感を表したりしていたそうです。妹のウィレミーンに宛てた手紙には「兄さんは常に僕を批判してくるし、その上彼はとても汚くて、怠慢なせいで、部屋には少しも魅力が感じられないのだから。[中略] 彼のなかにはまるでふたりの人間が同居しているようだ。ひとりはすばらしい才能に溢れ、快活で優しいフィンセント、もうひとりは自己愛に溢れ、冷酷なフィンセント」と、過酷な状況が綴られていました。花の静物画を描いていた時代に、家の中が殺伐していたとは。ゴッホには光と闇の二面性があったようです。それにしても後世に作品を残す道を拓いた恩人になんという仕打ちでしょう。

ゴッホの作品に包まれるイマーシブ・コーナーもありました。最近の美術展の流行りも取り入れていて、見応えある展示です。
ゴッホの内には常に相反する二つの要素があったのかもしれません。光と闇、苦悩と恍惚、孤独と博愛……。ゴッホ自身も躁状態と鬱状態を繰り返して大変な精神状態でした。その揺らぎが見る人の心を動かし、ゴッホの世界に引き込むのでしょう。ゴッホファミリーに焦点を当てた今回の展示で、ゴッホに苦労をかけられた家族や親戚一同の魂も慰められそうです。
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
期間:~12月21日(日)
時間:09:30~17:30 金曜日は20:00まで (入館はいずれも30分前まで)
休:月曜 11月25日(火)※11月24日(月・休)は開室
会場:東京都美術館
東京都台東区上野公園8−36
https://gogh2025-26.jp/