"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
最近、よく見聞きするようになった言葉に「ベッド・ロッティング(Bed Rotting)」がある。ベッドが腐っているなんて、新しいマットレスを買ったほうがいいと思う人もいるかもしれない。だが、この言葉の意味は、そういうことではない。ベッドが腐るのではなく、ベッドで腐っているものがあるのだ。そして、それは人間なのだという。
「ベッド・ロッティング」はTikTokで広がった言葉らしく、一日中、または一日のほとんどの時間をベッドの中で過ごすことを意味する。もちろん、怪我や病気で入院したり、インフルエンザでベッドから起きられないとか、そういう状況は除く。あくまでも自発的にベッドの中に引きこもることなのだ。
似た言葉に、「デュベ・デー(Duvet Day)」という表現は昔からあった。デュベとは厚手の羽根布団のことであり、この言葉も、自主的に仕事を休んだりして、何もしないで家でゴロゴロする日のことを意味していた。
「ベッド・ロッティング」と「デュベ・デー」。同じことを意味する表現のように思えるが、一つだけ大きな違いがある。「腐っている」というワードがある前者のほうが、ネガティブな印象を与えることだ。肉体的に疲れているときや精神的に参っているとき、一日中ベッドに寝転がって自分をリセットするというのは何も新しいコンセプトではない。そんな日を持ちたいと思うのは(できるかどうかは別にして)多くの人にある願望だと思う。だったらそんなにネガティブな表現で呼ばれる筋合いはないだろう。なのに、「ベッド・ロッティング」という言葉には、どこか汚らしい、自分がベタベタに溶けて悪臭を放ち始めているようなイメージがある。
「ヘルシーなライフスタイル」「清潔でいること」「アンチエイジングのためのちりつも美容」……。現代の女性たちの生活には、コツコツと努力しなければいけないことばかり転がっている。素敵な女性になって素敵な生活を送るためには、片時も気が抜けないのである。だが、こうした「素敵」という名の「勤勉」の抑圧に、そろそろみんな疲れてきているのではないだろうか。
「ベッド・ロッティング」は、ゆっくり寝て明日へのエネルギーを蓄えることとも違うようだ。休養するのではなく、ベッドの中で自分がしたいことをするのだ。ポテトチップスを食べながらスマホで友達とチャットしまくってもいいし、Netflixを見てもいい。ビールを飲みながらポッドキャストを聞き漁ってもかまわない。これは疲れを癒やすために寝ているというより、ふだん仕事や家庭や健康や美容のために使っているエネルギーを、別の場所(自分が今やりたいこと)に思い切り注いでいるのだ。それがなんとなく自堕落に感じるから、「腐っている」というちょっと汚らしい言葉を使いたくなるのかもしれない。
汚いといえば、昨今話題になっている言葉に、「ノー・ウォッシュ・ムーブメント」というのもある。シャンプーをしない人たちや、あまり衣服を洗濯しない人たちのムーブメントが出現しているのだ。それは部分的には環境のためでもあり、高騰している電気代の倹約にもつながる。だけど、それ以上に、ラディカルな思考法でもある。自分や自分の服を洗わないなんて、人間の中にある不潔さを祝福するようなムーブメントだからである。
わたしたちは人間だから、欠点だらけだ。自堕落で、不潔で、怠惰で、やっちゃいけないことに限って本当はやってみたいと思っている。美しい言葉を並べて自分を正当化したり、香水を振りかけて悪臭をごまかしたり、流行りの服を着て先鋭的で知的な人のふりをしたりしているけど、実は誰しも自分の中にダメな部分があることを知っている。完璧でなくたっていいじゃないか、という考え方へのシフトが起きているように感じるのだ。
「ベッド・ロッティング」へのバックラッシュはある。わたしの周囲でも、その言葉を使って週末をベッドで過ごすようになった高校生の娘を持つ母親たちがよくこぼしている。ベッドの中で物を食べるなんて汚いし、一日中寝転がっているなんて不健康だ。怠惰だし、向上心がなさすぎる。エクササイズしたり、髪を切りに行ったり、ショッピングを楽しんだりすべきときに、ベッドの中でお菓子を食べながらスマホとにらめっこしているうちの子は何なの? こんなことでは将来が心配だとよく話している。
けれども、ティーンたちは、まさにそういう心配に反旗を翻しているとしたらどうだろう? いや、反旗を翻しているという言葉は強すぎるかもしれない。「向上心を持て」「もっと素敵になれ」という考え方から逸脱しようとしているのだ。彼女たちは、「わたしたちはベッドで腐ります」と宣言することで、違う生き方を模索しているのかもしれない。
人間のダメな部分(=欠点)を覆い隠し、完璧に近づくためにあれもこれも努力しろというプレッシャーは、女性にこそ強くかかっている。美しく、若々しくあれ。いつも身ぎれいでいろ。健康でしなやかな体を持て。それらの努力をする一方で、仕事でも力を発揮しろ。
……無茶な話だよね、悪いけど抜けたから。そういう意識改革の始まりが「ベッド・ロッティング」の本質かもしれない。
セルフケアという言葉は、ジムに行って引き締まった体をつくったり、美容機器で肌をお手入れしたりすることだと考えられてきた。が、実はセルフケアとはそういう努力とは対極のところにあるのではないだろうか。むしろセルフケアとは、「もっとよい自分にならなければいけない」という脅迫から逃れて自由になることだ。
こうした考え方のシフトが起これば、女性どうしのつながりも変わってくるだろう。寄り集まるとマウントの取り合いになりがちだった関係も、社会の抑圧から自由になることで、より互いに緩く、優しくなれるからだ。地に足のついたシスターフッドとは、競争しながら高みを目指して上っていくことじゃない。たまにベッドで腐ることもある自分や他者を受け容れ、リスペクトすることだ。シスター「フット」エンパシーの提唱者としては、「ベッド・ロッティング」のコンセプトを歓迎するしかない。
ライター・コラムニスト。1965年福岡県生まれ、英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。初の少女小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)が好評発売中。