"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
日本の若い女性たちとのオンライン座談会に出席していたときだった。クリエイティブな業界でコーディネーター的な仕事をしている女性が、こんなことを言ったのである。
「成功を収めた女性クリエイターたちは、みんな武勇伝を持っている。どんなふうに結婚や子どもを諦めて仕事に打ち込んできたかとか、肺炎になって死にかけてもヒット作を生み出したとか。そういうことが伝説になっているから、若いクリエイターたちも、結婚とか、ましてや子どもを産むとかは、最初から諦めているみたいです」
21世紀にそういう業界があるのかと驚いたが、華やかな世界にこそこういう前世紀的な話が転がっているものなのかもしれない。クリエイターというのは個人プレーヤーたちだ。だから、才能とやる気の重要性が強調されるが、日々の生活といった創造を下支えする部分も必要だ。これはオフィスで働く人とかだったらワーク・ライフ・バランスと呼ばれる問題だが、そのバランスを極端に欠くことで(しかも時には健康さえないがしろにして)頂点に上り詰めたことが武勇伝になるなんて、なんかちょっとスポ根ドラマみたいではないか。
と書いて、「スポ根」の表記は間違っていたと反省した。なぜなら、スポーツ界の女性たちは、「結婚とか、ましてや子どもを産むとかは、最初から諦めている」の時代から大きく前進していることが、今年のオリンピックで話題になったからだ。
パリ2024オリンピックには、子どもを持つ女性アスリートの出場が過去最多となり、選手村には、初めて託児所と授乳室が設置された。オリンピックのような最高レベルでのスポーツ競技に参加する女性たちの間では、「子どもを産んだらキャリアは下降する」みたいなことがまことしやかにささやかれてきた。が、そうした古い常識を打ち破るようにママアスリートたちがさまざまな国で予選を勝ち抜き、オリンピックに出場しているのだ。
4月に出産したばかりだった英国代表のアンバー・ラッターが女子クレー射撃に出場し、チリの選手との決勝戦で銀メダルを獲得したが、この決勝では誤審疑惑が起きた。審判がミスと見なしたアンバーの投射がテレビのリプレイではターゲットに当たっているように見えたのだったが、アンバー側の抗議は受け入れられず、彼女は審判団の判断に従った。彼女は、新型コロナ検査で陽性を示したため、東京オリンピックには出場できなかった。たとえ出産直後でも、今回は出たいという気持ちは人一倍強かったはずだ。物議を醸した決勝戦の後で、アンバーが生後3カ月の赤ん坊を胸に抱いて笑っている姿が各国のカメラマンに撮影された。それは世界中の女性アスリートに、「妊娠・出産がアスリートのキャリアを終わらせるなんて、古めかしい作り話です」と言っているようだった。
今年の英国のオリンピック選手団には9人のママアスリートが含まれていたそうで、自転車競技、ボクシング、陸上競技、ローイングなど、合わせて8つのメダルを獲得している。今年のオリンピックは、「ママたちが強かった」という声も多く聞かれた。
しかし、こうしたママアスリートたちの活躍の前には、古い常識のために辛酸をなめた女性たちの苦闘があった。2000年、シドニーオリンピックの女子七種競技で金メダルを取ったデニーズ・ルイスは、子どもを産んだときに周囲から受けた冷たい仕打ちについて、「とても孤独な経験だった」と語っていた。金メダルを獲得してから2年後の2002年に女児を出産したとき、コーチや他のサポート・スタッフたちは、「パフォーマンス・パスウェイ(有能なアスリートをメダルが狙えるアスリートまで育てるシステム)」に参加できるようになったらあなたと話をするからと言ったらしい。彼女は孤立し、「心も魂もないスポーツをプレーするだけの動物」になったような気がしたそうだ。
だが、その後、英国の女子七種競技にジェシカ・エニス=ヒルが登場する。彼女は2012年のロンドン五輪で金メダルを取り、2014年に出産した。それでも2016年のリオオリンピックを目指していると言ったときには、多くの人々は赤ん坊を抱えた彼女には不可能だと思っていた。しかし、ジェシカは大方の予想を裏切ってリオで銀メダルを獲得する。
少し前まで、オリンピックに出るような女性トップアスリートたちは、「競技か、家庭か」のどちらかを選ぶのがふつうとされてきた。妊娠や出産は致命的な禍のように考えられ、出産後の女性は世界のトップレベルで競うことはできないと言われてきたからだ。しかし、その常識は覆された。トップレベルで競うどころか、新記録まで出しているアスリートもいるからだ。
考えてみれば、スポーツ選手は負傷することがある。治療に数カ月かかったり、リハビリも含めると長期にわたってトレーニングから遠ざからねばならず、体力が落ちるケースもあるだろう。だが、妊娠・出産は負傷ではない。たとえば陸上競技選手が足首を痛めたとか、テニスの選手が腕を骨折したとかいう場合と違って、競技に直接関係ある部分にダメージを負うわけではない。だから、選手生命を脅かす身体の損傷ではないのに、「妊娠・出産でキャリアが終わる」は、いったいどこから来た観念だったのだろう。ひょっとするとこの定説は、「終わる」というより、「終わらせるべき」という家父長制的価値観に端を発していたのではないだろうか。
このことは一般の働く女性たちにもあてはまる。女性が子どもを産むとキャリアが終わる、とまではいかなくても、これまでのように力が発揮できなくなると考えている上司や同僚はあなたの周りにもいるかもしれない。そして、そんな環境にいるあなた自身も、そう考えるようになっているかもしれない。しかし、妊娠・出産がタブー視されていたアスリート界ですら、変化を遂げている。女性たち自身が、女性は「あれか」「それか」のどちらかしか選べないという考えから解放されなければならない。自分を解放できないシスターは、別のシスターたちを解き放つこともできないからだ。
ライター・コラムニスト。1965年福岡県生まれ、英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。『転がる珠玉のように』(中央公論新社)が好評発売中。