【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】世界は広いぜ、シスターズ

"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談

※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

ブレイディみかこのSISTER

先日、ネットを見ていると、8年前に亡くなられた(もうそんなになるのかと驚いた)雨宮まみさんの遺稿を書籍化した『40歳がくる!』の書評が出ていた。

「若いときは『若いね』で済むけど、歳を取ったら異様に美しい美魔女かババアみたいな選択肢しか用意されていなくて、過剰に褒めるか不当に年齢や見た目のことでけなされるかの道しか待ってなくて、『普通の40歳』っていうのは、ないんだろうかと思い始めた」という文章が『40歳がくる!』から引用されていた。この書評を書いたノンフィクションライターのヒオカさんは、この言葉を読んで「わかるうううううっと、腹の底に響きました」と感じたという。

正直なところ、私ぐらいの年齢になると、40歳なんてまだまだ若いじゃん、みたいな感覚になってしまうので、こういう生々しいプレッシャーはよくわからない。が、よく考えてみれば、自分が30代とか40代のときも、ここに書かれてあるような息苦しさは感じていなかったように思う。そういう重圧からは、私は自由だった。なぜだろうと考えると、すでに日本に住んでいなかったからとしか言いようがなく、その点ではラッキーに生きてきたんだなと思ってしまう。

この書評を読んだとき、『ガーディアン』紙に掲載されていた、米国の女性ライターが書いた記事のことを思い出した。それは、英国ドラマに出てくる女性刑事のキャラクターが、このライターに自分自身でいる勇気をくれたというものだった。米国在住の彼女は、10代や20代の頃、「ロー&オーダー」や「LAW & ORDER:性犯罪特捜班」などの犯罪ドラマを欠かさず見ていたらしい。それらは、プロットにひねりのある殺人などの捜査の話であり、60分で解決する刑事・司法の物語だった。が、彼女はやがてこうしたドラマを見るのをやめた。警察当局への批判が感じられない描写に不快感を抱くようになったからだという。

そこで彼女は、英国ドラマを見るようになった。英国のドラマの描写に問題がないわけではなかったが、自分が住んでいる米国の話ではないので理性的に見られるようになったそうだ。彼女がハマったのは、「埋もれる殺意」シリーズや、「第一容疑者」「ヴェラ~信念の女警部~」などのドラマたちだ。ニコラ・ウォーカー、ヘレン・ミレン、ブレンダ・ブレシンと、いずれも中年の女性たちが主役の警部を演じている。で、この米国在住のライターは、英国の刑事ドラマで犯罪を解決していく女性たちのキャラに魅了されたらしいのだ。

これは、実は個人的にも思い当たる部分がある。というのも、1991年から始まった「第一容疑者」のヘレン・ミレンを英国で初めて見たとき、私はびっくりしたからだ。いまはどうかわからないが、90年代の日本では、女性警部が主人公の刑事ドラマなんて見たことがなかった。しかも、この主人公が、美しくてかっこいいキャラとかじゃない。異常に仕事ができる天才キャラでもない。周囲を明るく照らすようなまっすぐで陽気な性格でもないし、めちゃくちゃ強いわけでもなければ、清く正しい人ですらない。

女性が主人公となると、憧れの対象になるような「素敵」シーンを入れたり、感傷的な話を入れたりしそうなものだが、この刑事ドラマはやたらリアルだった。女性が主人公で、こんなにバサバサ乾いたタッチのドラマがあっていいのかと日本から来たばかりの私は驚いた。このシリーズが人気だった当時、40代から50代だったヘレン・ミレンは、年相応に顔にシワもクマもあり、メイクでそれを隠そうともしていない。男性中心の警察組織の中で、不平や文句を言い、敵をつくるような発言もし、自ら昇進を要求して上司に掛け合ったりする。このヒリヒリ、ぴりぴりした女性像は、いわゆる「愛されキャラ」ではない。日本ではこんな女性の主人公はあり得ないだろうし、人気も出ないだろうと当時の私はびっくりしたのである。

前述の米国在住のライターも、ハリウッド映画や米国のドラマとは違う女性の描かれ方に新鮮さを感じたようだ。ハリウッドの「外見にお金をかけてます」的な同調性とは対照的に、英国の刑事ドラマの主人公たちは、髪型もメイクも服装もリアルだというのである。歯も黄ばんだままで、走り回って事件を解決する刑事に必要な履きやすい靴を履いている。時間とともにはげてなくなっていく口紅も、笑いジワも、眉間のシワも、彼女たちが生きてきた月日がそのまま顔に刻まれている。幸福感に発光したりしていない、年相応にくすんだキャラなのだ。

英国の刑事ドラマの女性たちは、事件を解決するために精魂傾けて働くだけでなく、家庭にもいろいろ問題を抱えていることが多い。親の介護とか、子どもの反抗期とか、パートナーとうまくいかないとか、こちらもまた等身大の悩みを抱えている様子が描写される。

これらの主人公たちは、雨宮まみさんが言ったところの「美魔女かババアか」の二択論では語れない深みを持つ。「『普通の40歳』っていうのは、ないんだろうか」と雨宮さんは書いたが、英国の刑事ドラマの女性主人公たちは、「普通の」という言葉がノーマル(正常)を意味するのではなく、オーディナリー(どこにでもいる)を意味する限りにおいてはまさにそれだと思う。

「美魔女かババアか」のくくりは、ハリウッドの「外見にお金をかけてます」の同調性にもつながる。日本は米国の影響を強く受ける国なのでそうなるのだろうが、ほかに選択肢はないのだろうか、と悩んでいる人々には、英国にはあるよと自信を持ってお伝えしたい。英国ではオーディナリーにくすんだ女性キャラが描かれているし、非現実的にきらきらした美魔女とかよりよっぽど愛される。だからこそ、ドラマのキャラクター造形もそれに沿ったものになっていくのだ。

二択しかないわけがない。ほかの道はたくさんある。でもそう考えることが困難になるらしい国に生きるシスターたちへのエンパシーを働かせながら、今回はこれを書いてみた。そしてだんだん、パンクロックの名盤のタイトルを叫びたくなってしまった。

Never Mind the Bollocks(アホは気にすんな)。なぜ気にすべきではないのだろう。世界は広いからだ。

ブレイディみかこプロフィール画像
ライター・コラムニストブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。英国生活を描いた新エッセイ『転がる珠玉のように』(中央公論新社)が発売。

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