"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる!真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
今年5月にティナ・ターナーが亡くなったことが報道された。その前週、偶然にも、わたしはロンドンのオールドウィッチ劇場で、『Tina: The Tina Turner Musical』というミュージカルを見ていた。昔の同僚から、チケットが一枚余ったと誘われたから行ったのだったが、それはティナ・ターナーが紆余曲折を経てロックンロール・スターになるまでを描いたものだった。テネシー州で育った少女時代から、後に夫となるアイク・ターナーとの出会い、そして、彼のバンドにシンガーとして参加し、夫に搾取され、コントロールされる物語が赤裸々に語られる。夫のDVと浮気に苦しみ、薬物過剰摂取で病院に運ばれたりしながら、ついに彼のもとから無一文で逃げ出したティナは、そこから自分で成功への道を駆け上がっていく。
ミュージカルの観客に女性が多いことは、行く前から想像できた。女性の自立と、DVや家庭内搾取からの解放、そしてシスターフッドの物語でもある。彼女のヒット曲とともに青春を過ごした世代の女性たちが、熱狂して椅子から立ち上がり、ティナを演じる女優と一緒になって歌っている姿は容易に想像ができた。
だが、わたしがそこで見たものは予想とは少し違っていた。確かに女性たちは終盤になると立ち上がり、「What’s Love Got to Do with It」や「The Best」を大合唱していた。しかし、その年齢層はわたしの想像よりも遥かに若かったのである。20代、30代とおぼしき女性たちが、立ち上がってエネルギッシュに体を揺さぶってリズムを取りながら、ティナのヒット曲を大声でシャウトしていたのだ。むしろ中高年層の女性たちは、若者たちの元気に押され、静かに座っていた。
この光景にわたしは驚いた。ティナ・ターナーがこんなに若い世代にもアピールするということを知らなかったからだ。そもそも、ティナはフェミニズムのアイコンとしてはちょっと古いはずなのだが、何が若い女性たちをこんなに熱狂させているのだろう。
そう考えていたわたしがふと思い出したのは、四半世紀ほど前、ロンドンの日系企業で働いていたときのことだ。隣の机に若いポーランド人女性が座っていたのだが、彼女は抜けるように肌が白く、体操の選手かバレリーナかというぐらいきゃしゃで、性格もおとなしく、わたしのようにガサツな人間は「え、何?」と何度も聞き返さなければならないぐらい小さな声でしゃべった。そんな彼女が、パソコンの壁紙にティナ・ターナーの顔のアップの画像を使っていたのである。
「ひょっとして、ティナ・ターナーが好きなの?」と尋ねると、彼女は瞳をきらきらさせて、「大好き」と答えた。「どこが好きなの?」と聞くと、「全部」と言って頰を紅潮させ、もう何度もコンサートにも行っていると言っていた。エレガントで静かでミニスカートさえはかない保守的な彼女が、ステージでワイルドに踊り狂ってシャウトするティナのファンというのは意外だった。が、人間は自分にないものを求めるからな、とそのときは思っていた。そう考えないと、彼女がなぜそんなにティナに入れ込んでいるのか理解できなかったからだ。
『Tina: The Tina Turner Musical』を見終わったあとで、元同僚とその友人とわたしの三人は、劇場近くのバーで一杯やりながら、若い女性たちの熱狂ぶりについて話した。
「ティナは『サバイバルのアイコン』だからじゃないか」というのが二人の一致した意見だった。時代は進んでいるように見えるけど、現在でも少女や女性たちは暴力の被害を受け続けている。いまでこそ、リアーナのようにDV被害を受けていた過去を明かし、被害者支援をしたりするセレブは珍しくない。ティナはその先駆けのような存在なのだと二人は言っていた。
そう言われて思い至ったのは、ここ数年、若い女性たちの間で「女性への暴力に反対する運動」が盛り上がっていることだ。英国では、コロナ禍中、特に警官による女性への暴力が問題視されて、各地で女性への暴力反対運動が盛り上がったこともあり、VAWG(Violence Against Women and Girls)という言葉も聞かれるようになった。英国政府の公式サイトにもVAWGに関するページができ、VAWGに取り組むための戦略も発表されている。この文脈で、ティナが女性への暴力のサバイバーとして再びアイコン視されているとしても確かに不思議ではない。
VAWGにはさまざまな女性への暴力が含まれている。レイプやストーキング、DVだけでなく、FGM(女性器切除)、強制結婚、名誉殺人、リベンジ・ポルノ、スカートの中の盗撮、それ以外にもまだ数多くある。日本なら電車などでの痴漢行為も入ってくるだろう。VAWGの被害に遭った女性たちは、身体やメンタルヘルスの問題を抱えるようになったり、学校に通う年代であれば教育、働く年代であれば仕事、そして収入面でも、マイナスの影響を受けることがある。またDV被害者は加害者がいる家から逃げてホームレスになったり、DVを目撃していた子どもや家族にも暴力の爪痕が残ったりする。さらに、この連載でも取り上げたことがあるが、女性たちが暗くなったら外出を不安に思うようになるのもVAWGがあるせいだ。
WHOが発表した推計によると、世界の女性の約三人に一人が、一生のうちに身体的・性的に近しいパートナーからの暴力や、あるいはパートナーでない人からの性的暴力を受けているという。この統計を信じるなら、VAWGの問題は、一般に思われているよりも遥かによくある話であり、世界の女性の約3分の1がそのサバイバーということになる。
そう考えると、「サバイバルのアイコン」という言葉がよりディープに響いてくる。ティナ・ターナーに心酔する女性たちは、年代の差はあれ、同じような経験を持っているのだ。そして、暴力に脅かされながら日々を生きているという感覚があるのだろう。だからこそ、サバイバルそのものを祝祭に変えるようなティナのパワフルなパフォーマンスに、世代を超えて感情移入するのだ。サバイバルという概念は、女性たちの連帯の一つのキーワードなのである。
きっとこれからもティナのようなアイコンが出てくるだろう。もちろん、ベストなのは、女性たちが無駄なサバイバルをしなくていい社会をつくることだが。
ライター・コラムニスト。1965年福岡県生まれ、英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。初の少女小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)が好評発売中。