2025.03.12

【ブレイディみかこ】セックス・ストライキに ついて考える

ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY

"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談

※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

ブレイディみかこのSISTER

振り返れば、本連載はアイスランドの「ウィメンズ・ストライキ」の話から始まった。あれは、1975年にアイスランドの女性たちの9割が参加して行われたストライキについて書いたものだった。その日、アイスランドの女性たちは、職場での労働や家庭での家事を拒否し、仕事に行かず、家からも外に出て、社会における女性の役割の重要性を知らしめた。男女の賃金格差や不平等性に抗議するためだった。

ストライキとは、ダイレクト・アクション(直接行動)と呼ばれる社会的意志表示の一形態だ。声を上げても聞かないのなら、行動あるのみ、やっちまいな。そういう運動の形である。「賃金を上げたり、待遇を改善したりしないのなら、働きません」という労働運動が使ってきた手法を、女性たちの運動にスライドさせたのが「ウィメンズ・ストライキ」だったのである。

それからちょうど半世紀が過ぎ、いまにわかに欧米のメディアを騒がせているのが、女性たちのセックス・ストライキだ。しかし、この概念は新しいものではない。ある目的を達成するためにセックスを拒むという行為は、非暴力の抵抗手段として昔から使われてきた。内戦を終わらすため、あるいは独裁体制に対する抗議のため、リベリア、トーゴ、コロンビア、ケニア、フィリピンなど、世界中の女性がこの方法を取った。

それが再びクローズアップされているのは、トランプ再選により、人工妊娠中絶規制をはじめとする女性の権利の後退を危惧する米国の女性たちが、続々とSNSで同様の抵抗の実践を宣言しているからだ。ミソジニーや女性に対する暴力に抗議する動きが、韓国の4B運動に参加する形で、男性とのセックスを拒否する女性たちのダイレクト・アクションに発展している。「選挙の夜、共和党支持者の彼氏と別れて4B運動に参加すると決めた」というTikTokの投稿は、180万の「いいね」を集め、「可能な限り男性と関わらず、話さないという4B運動から生まれた新しい考え方が好きです。とても平和的だと思う。ただ無視してブロックすればいいんです。孤独を広めたらいいのではないでしょうか」といった投稿もXにはあったという。

4Bとは、韓国語で「B」で始まる4つの単語を意味しており、「結婚しない(bihon)」「子どもを産まない(bichulsan)」「恋愛しない(biyeonae)」「セックスしない(bisekseu)」になるという。それは、結婚や子育てを拒否することで、女性を縛り、搾取してきた社会の構造にノーを突きつけ、「結婚して母親になるべき」という伝統的な考えを拒否する動きでもあった。

欧米の社会では、女性は結婚すべしというような価値観のプレッシャーは東アジアの社会と比較するとそんなに強くない。米国の女性たちの4B運動への関心と参加の背景には、インフルエンサーのアンドリュー・テイトに共鳴する男性たちに代表されるSNSでの暴力的ミソジニーの高まりや、大統領選でトランプを支持する若年層の男性が意外に多かったことなどがあり、そのために同年代の男性たちの傾向を脅威に感じている若い女性が増えているのだろう。

「兆候は前々からあった」「そこまで女性たちは追いつめられている」という声も聞いた。その主張もわかる。しかし、セックス・ストライキに批判的なフェミニストもいる。それは真にラディカルな手法ではないというのだ。

『Female Masculinities and the Gender Wars』の著者であり、社会学者でアクティヴィストのフィン・マッケイが、『ガーディアン』にセックス・ストライキに関する論考を寄稿した。マッケイは、セックス・ストライキの問題点は、その構想の枠組みが、セックスを「女性が男性のためにする労働」にしてしまう点だと指摘した。そして、この点において、セックス・ストライキが本質的にフェミニストの行動だとすることには議論の余地があると言う。セックス禁止だけが革命的なものであると見なせば、そもそも、運動の必要性を生じさせたであろう問題そのものを助長させるのではないかというのだ。

家父長制のもとでは、セックスは男性が求め、女性がしなくてはならないものとされてきた。こうした理解があったからこそ、結婚している男女の間で起こるレイプが犯罪として認められるのに長い時間を要したのだ。セックスを「女性が男性のためにする労働」としてしまうと、セックスは商品となり、何かと交換するものになり、売られ、それゆえに男性が手に入れることのできるものになる。確かに、それは根本的に男女の非対称性を廃絶する革命の起点ではないだろう。

「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」というのは、いまから半世紀前に山口百恵という人気歌手がヒットさせた曲の歌詞だった。この性的「ほのめかし」が当時はずいぶん話題になったものだが、いまならアウトだろう。セックスはあげたり、もらったりするものではないし、女性の側から男性に献上する何かであるかのような考え方はいかにも家父長制的だからだ。「あなたから取り上げるわ」と罰則の道具に使ったり、ましてや、社会の何かや誰かの態度を変えるための交換材料として使ったりしたら、それこそセックスに何らかの交換価値を与えていることになりはしないだろうか。さらに、男性とのセックスを拒否するストライキは、ヘテロセクシュアルの女性という、限定的な性的指向のシスターたちの抵抗になる。

「オルタナティブは、セックスと性的指向に対するこのような性差別的な構成概念を拒否し、男性と女性が捕食者と獲物として分断されない、平等主義的な未来を思い描き、協働することだろう」とフィン・マッケイは書いている。

セックスそれ自体は、したければすればいいし、したくなければしなければいい行為だが、女性の側がこれに妙な価値をもたせると家父長制の規範にはまり込む罠が待っている。「あなたにあげるわ」という性的「ほのめかし」が問題視されなかったのは半世紀前の話だ。シスターたちはあれから長い道のりを歩き続け、男女が対等につき合える社会を目指して一歩一歩進んできたのだ。そのたくましい足で踏みつけるべきは家父長制であり、セックスではないだろう。

ブレイディみかこプロフィール画像
ライター・コラムニストブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。新刊に『地べたから考える——世界はそこだけじゃないから』(筑摩書房)。

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