【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】自分を受け容れる孤独な旅とシスターフッド

"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談

※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

ブレイディみかこのSISTER

行きつけの歯科医院に行くと、待合室の光景がいつもと違う。順番待ちをしている人々の層がこれまでと異なっていることに気づいたのだ。正午近くの時間に予約を入れたのは初めてだったのでこんなものかと思ったが、ランチタイムを利用して来ましたという感じの若い女性たちばかりが座っていたのだ。彼女たちは名前を呼び出されると、院長の診療室のある1階の奥の部屋ではなく、2階のほうに上がっていく。見上げてみると、階段の壁には美容施術の料金リストが貼ってあった。 

この歯科医院が歯の治療だけでなく、ボトックスやリップフィラーの施術を始めたのは10年以上も前の話だったが、こんなに人気だとは知らなかった。ボトックスやリップフィラーは、中高年の女性が求める施術という印象を持っていたので、次々と2階に上っていく女性たちの若さに驚いた。中にはまだ10代じゃないかと思うような子もいる。

地方の街の小さな歯科医院までこんなサービスをするようになったのかと、初めて知ったときには驚いたが、英国ではどんどん美容施術を行う歯科医院が増えているらしい。昔は「顔に何かを入れるなんて……」と眉をひそめられたようなことが、どんどん一般的になっていき、いまや仕事の休憩時間に買い物に行くような感覚でできるようになっている。

長く生きていると、時代は変わるものだなあ、としみじみ思ってしまうが、不可思議に思うこともある。ついこの間まで(いや、たぶん今でも)、ボディ・イメージのコンセプトがさかんに議論され、ナチュラルな自分の姿を祝福しようという動きが盛り上がっていたはずだ。ノーメイクの自分の写真をSNSに投稿する#nomakeupselfieのキャンペーンは記憶に新しい。そう思って調べてみたら、なんとそれも10年前の話だった。

あれはがん患者を支援するためのキャンペーンだったが、どうやって始まったのかはよくわからなかった。2014年のオスカーの授賞式で、81歳の伝説のスター、キム・ノヴァクがステージに登場したときに、その外見に関するネガティヴなコメントがSNSに次々と現れたため、人々が自分自身のすっぴんのリアルな画像をどんどん投稿して、キムをサポートしたのがきっかけの一つだったとも言われていた。

ボディ・イメージの問題がこれほど強く打ち出されてきた歳月の後で、なぜ女性たちは以前にも増して美しくなりたいと思うようになっているのだろう。実際、米国形成外科医協会のサイトによれば、美容外科医のほぼ30%が、コロナ禍前と比べると収益は2倍になっているそうだ。今はすっぴんのセルフィーをSNSに投稿するにしても、外見を揶揄された誰かを支援するというより、「メイクしてないのにきれい」とか「若い」と言われるための行為になっていて、ナチュラル・ビューティになるために美容整形の需要が高まっているのかもしれない。

そう考えれば、「すっぴん」とか「あるがまま」のボディ・イメージのキャンペーンは、意図しなかった方向に進んだのではないだろうか。テクノロジーが進んだ今、ナチュラルな身体は変更可能だからだ。それに「ボディ・イメージ」という言葉自体が、外見に関する考えのことだから、その問題を強調すればするだけ、外見はそれほど重要なものなのだという印象を逆説的に植えつけることにもなる。

それぞれが単身でランチタイムに歯科医院を訪れている女性たちを見ていると、結局のところ、自分のコンプレックスや不安と折り合いをつけながら生きることは、孤独な旅路なのだと思った。それぞれ違うわたしたちが、そのときに持てはやされるルックス(ところで、これはだいたい5年ごとぐらいに変わる)を追ったり、追わなかったりしながら、年齢を重ねていく。追うために金銭や時間を投資する人もいるだろうし、ほかに夢中になることを見つけてどうでもよくなる人もいるだろう。その両方の時期を交互に繰り返す人だっている。当たり前の話だが、人それぞれなのである。

個人が自分自身を受け容れることは、集団で解決できるものではない。「フェミニストならかくあるべし」と上から目線で教えたり、教えられたりすることではないし、教義から外れる行為を糾弾し合う事柄でもない。わたしたちは、それぞれ違うコンプレックスや経験や痛みを抱えているから、一括してみんな同じ方法でそれらから解放され得るわけではないからだ。

ただ、ここにフェミニズムの出番があるとすれば、それは、わたしたちは自分の体に関することについて自分で決める権利があるということだ。ならばそこには、ランチタイムのボトックスも含まれているだろう。だが、自分とは違う決断が気に障る人もいる。女性の外見についてSNSに書き込むのが男性だけであろうはずがない。女性のほうが細かく、男性がわからないようなところまで気づいて指摘しているケースもある。「こんなことする前のほうがよかった」「ここをこうすればいいのに」みたいなアドバイスじみた小言もある。自分自身も外見のプレッシャーに晒されているからそうなってしまうのかもしれないが、自分と違う決断をする人に対する寛容さがないと、わたしたちは孤独な旅を本当に独りぼっちで、批判し合いながら歩くことになってしまう。どんなロールモデルも輝かしい最終地を指し示すことはできないが、それぞれが歩く旅路を見守ったり、たまに寄り添って励ましたりすることができるのがシスターフッドではなかろうか。

「初めてランチタイムに来ましたけど、忙しそうですね」治療を終えて料金を払うときに受付の女性に言うと、「この時間は上の階が忙しいから。わたしももう少し若かったら、やってみたかったです」とウィンクしながら彼女は答えた。すると、わたしの後ろに並んでいた顔なじみのおばあちゃんが言った。「あら、わたしは皺くちゃのままでいいですよ。この年になったら、まだ生きてるだけでラッキーだから。わたしの顔に刻まれているのは幸運なんです」

幸運を顔に刻む。なんていいことを言うんだろうなと感心していると、玄関の扉が開き、また若い女性が入ってきて、受付の列に並んだ。

それぞれの地点で、それぞれの旅をわたしたちは続けている。

ブレイディみかこプロフィール画像
ライター・コラムニストブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年福岡県生まれ、英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。谷川俊太郎との共著『その世とこの世』(岩波書店)が話題。

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