"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
私の体に関することは私が決める。これは長いあいだフェミニストたちが語り継いできた言葉だが、どうやらこれにつけ加えられるべき新時代のスローガンが出てきた。
#MyImageMyChoiceという運動が生まれているのだ。これは、ディープフェイク・ポルノの被害に遭った米国の若い女性を追ったドキュメンタリー映画のクリエイターたちが立ち上げた運動だ。ディープフェイクといえば、テイラー・スウィフトの偽AI画像・動画が話題になったし、政治家や芸能人などが被害に遭うものと思っている人もいるだろう。
しかし、現実はとっくにその先を行っていて、米国や欧州では(日本もきっとそうなっている)一般の女性たちがSNSに投稿した写真をもとにディープフェイク・ポルノが制作されている。こうした動画が知らないうちにポルノサイトに出回り、自分の名前や住んでいる地域まで公開されている場合もあるという。写真から顔だけを切り取られ、他人の体に接続されてまったく違和感のないポルノ動画が出来上がる。それがネットにばらまかれ、知らない男性から妙なメッセージが届くようになって初めて知るという悪夢のような事態が起きているのだ。#MyImageMyChoiceは、こうした性的画像・映像のディープフェイク問題と闘う運動だ。
今年3月にはこの運動が開催した初のサミットも行われ、セクハラ撲滅の運動団体Time’s Upや、フェミニズム系の国際人権団体Equality Nowのほか、女性向けファッション誌の『グラマー』も協賛に名を連ねていた。
英『グラマー』誌は、継続的に女性たちをめぐるディープフェイク問題を取り上げ、読者を対象に意識調査を行うなどしてこの問題への認識を高めることに寄与し、この運動の一端を担ってきたと言ってもいい。『グラマー』誌の編集者は、ディープフェイク・テクノロジーと女性の問題の専門家たちを伴って英国議会に乗り込み、英国の科学・革新・技術委員会の委員長を務める下院議員と会議を行なったりしている。こうしたメディアの働きかけもあり、英国では、ディープフェイク・ポルノを共有することだけではなく、制作することも違法行為とする新たな法ができつつある。
英国ではすでにディープフェイク・ポルノを共有することは違法になっているが、個人で制作することに関しては犯罪にはならない。が、英国司法省が提案している新法では、ディープフェイク・ポルノを制作した者は、たとえそれをネット上で公開しなくても罰金を科され、前科がつくようになる。
ディープフェイク・ポルノを制作し、共有した者は、二つの違法行為を犯したことになり、刑務所に送られることもあり得るが、制作だけの違法行為はゲートウェイ犯罪(万引きやひったくり、麻薬事犯など、より悪質な犯罪につながるおそれのある犯罪を指す)の一つと見なされるようで、禁錮刑に処されることはないそうだ。その理由は、ディープフェイク・ポルノの制作者には10代の少年がいるからだそうで、若年層の子どもたちを過度に罰するべきではないという声もあるからだという。たとえ自分の部屋でこっそりディープフェイク・ポルノを作ったとしても上限なしの罰金や前科の対象にはなるが、懲役や性犯罪者登録簿への記載はないそうだ。ちなみに、英国では、ディープフェイク・ポルノを共有した者は、最長2年の懲役と性犯罪者登録簿への登録を科される。
#MyImageMyChoiceの運動が立ち上がるきっかけとなった米英合作のドキュメンタリー映画『ANOTHER BODY』(2023年10月に米国公開、11月に英国公開。2024年2月に英BBC Fourが放映)は、一人のカレッジの学生が、友人から奇妙なメッセージを受け取るところから始まる。友人はポルノ動画サイトへのリンクを貼ってきて、彼女にそれを見るべきだとすすめる。彼女はハッキングされていると思ったが、リンクは本物だし見たほうがいいと友人が執拗に書いてくるのでクリックしてみると、それは自分が性行為を行なっているポルノ動画だった。
彼女は警察に相談するが、そのときに警察が言った言葉が印象的である。
「誰かがあなたのポルノ動画をネットに上げたんですか?」
「違います。誰かが私の顔をネット上のポルノにつけたんです」
と彼女は答えたが、警察はどうしてそれが悪いことなのか混乱していた様子だった。これは冒頭に挙げた「私の体に関することは私が決める」という言葉とも関係している。性行為に対する同意や妊娠中絶の問題など、女性が自分の体に関する決定権を持ち、その権利は何者にも侵害されてはならないとフェミニストたちは主張し、社会の認識を変えてきた。しかし、ディープフェイク・ポルノでは、被害者の体は使われていない。誰かの体の映像(おそらくは同意して撮影された女性の体)に被害者の顔がついているだけなのだ。
数週間後、電話で彼女は警察にこう言われる。
「ディープフェイク動画を作った人はそうする権利を持っている」
なぜなら、彼女の住む州にはディープフェイクを取り締まる法がないし、ネット上に晒されているのが彼女の体ではないので同意のないポルノを規制する法にも触れないのだ。
ここで私たちは『ANOTHER BODY』というドキュメンタリーのタイトルの意味を考えさせられることになる。ネット上のもう一つの体、それは彼女自身の体ではないが、彼女の顔が合成されているから見る人には彼女の体として認識される画像や動画だ。女性たちは、自分の体に関する同意だけでなく、ネット上に現れるかもしれない(もう現れているかもしれない)「もう一つの体」に関する同意についても闘わなければならない時代に入ったのである。
この映画では主人公は同じ被害に遭っている女性たちを見つけ、まさにシスターフッドでディープフェイク・ポルノを制作していた人物(実はものすごく近いところにいた同級生だった)を探し出し、追い詰めていく。体を守るために頑張ってきたのに、また別の守るべき体ができたのかと思わずにはいられないが、法による規制が整備されるまでは、この映画のようにシスターフッドで(つまり自分たちで)闘うしかない。あなたの「ANOTHER BODY」もすでに存在しているかもしれないのだから。
ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)が好評発売中。