"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる!真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談。
イタリアでジョルジャ・メローニが初の女性首相に就任した。
一見、女性たちにとってすばらしい前進のように見える。ユーリズミックスのアニー・レノックスとアレサ・フランクリンが「Sisters are doin’ it for themselves(シスターたちは自分たちのためにやってるんだ)」と繰り返し歌った80年代のフェミニズム・アンセムのように、女性の首相なら女性が生きやすい社会を志向するはずだ。強い女性のロールモデルは、次の世代のためにも必要だし。
と、そう明るく書けたらいいのだが、彼女には不都合な事実がある。とはいえ、これはわたしが、(なんぼ人から「頭の中がお花畑」と揶揄されても)やっぱり世の中はできるだけ平等&公平で、差別とかもなくて、排外的でないほうがいいんじゃないかという考えの持ち主だからであり、違う考え方をする人たちにとっては不都合じゃないかもしれないのだが。
何がわたしにとって不都合なのか。それは、ジョルジャ・メローニは、ネオファシズムの流れをくむ野党の極右政党「イタリアの同胞」の党首だ。ムッソリーニの精神を受け継ぐネオファシスト政党を学生時代から支持し、伝統的な家族主義を重んじ、同性婚への反対でも知られるという。移民に対する排他的な主張も掲げているようだ。これは、できれば世の中は、差別とかもなくて、排外的でないほうがいいと考えている人間には容認できない。
こうした事実を無視すれば、女性の進出はよいことだ。米国のヒラリー・クリントン元国務長官もそう考えたのだろう。メローニがイタリア初の女性首相になりそうだということを知り、「ある国で初めて女性首相が選出されることは、過去を断ち切ることを意味し、確実によいことです」とコメントしている。とはいえ、その後で「どんな指導者もそうであるように、男性であれ女性であれ、何をするかで判断されるべきです」とは言っているが。
女性の政治家や首相が増えることは、男女間の格差を埋めるためには必要だ。日本のようにジェンダーギャップ指数ランキングで100位以下の国は、早急に何とかしなければならない分野である。が、単に女性であり、指導者の肩書を持っているからといって、フェミニストのロールモデルになれるわけではない。「Sisters are doin’ it for themselves」の「it」が排外的な思想や政策だったら、それは困りものだ。
英国には、弱者に冷たい経済政策で撃沈した女性指導者もいる。わずか1カ月半の、英国史上最短の在任期間で辞任したトラス前首相だ。彼女も就任時、40代の女性リーダーとして世界中から注目を集めた。が、彼女が主張していた「大幅な減税」は、おもに裕福な人々や法人を対象とするものであり、トリクルダウン理論(富裕層や大企業が豊かになれば富が国民全体に波及するという考え)に基づいていた。サッチャー元首相を思い出させる経済政策に、英国の庶民は幻滅し、支持率が劇的に落ちたのである。
何をもって「フェミニスト」と呼ぶかは、人によって違う。たとえば、英国のトラス前首相は数年前に自分のことを「デスティニーズ・チャイルド・フェミニスト」であると言ったことがある。デスティニーズ・チャイルドは、ビヨンセが在籍したガールズ・グループ、通称デスチャのことだが、トラス前首相は「女性は自立すべき」「自分自身で成功すべき」と語り、「(野党の)労働党は女性を犠牲者として描いている」と言っていた。要するに、デスチャのメンバーのように強いイメージで、自力でサクセスをつかむのが彼女のフェミニズムなんだろう。だが、これは「女性の地位の低さを社会のせいにするな」と言っているようにも聞こえ、やはり「社会といったものはない」と言ったサッチャー的な自己責任論を感じさせる。
1980年代に初めて英国を訪れたとき、わたしがテレビでサッチャー首相やエリザベス女王を見てびっくりしたのは、この国では公式行事で女性が男性の(女王の場合は妻が夫の)一歩前を歩いているということだった。「女は三歩後ろを歩け」とか「女は男を立てろ」とか言われていた国から来た娘には、なかなか衝撃的なビジュアルだった。確かに、そうした女性リーダーたちの姿を見て育つ少女たちは、女だからといってできないことなんかないとふつうに思う大人になるだろう。それはかけがえのない美点だ。
しかし、「女なら誰でもいいのか」という問題がある。特に、女性リーダーが、権威主義的で家父長制的な理念を持つ政党のトップに選ばれているときは、ちょっと引いた目線でその理由を考えてみたほうがいい。ふつうに考えたら、そういう政党で女性がトップまで上りつめるのはほぼ不可能なはずだ。では、なぜ彼女たちはするっと簡単に出世できたのか。ひょっとすると、若い女性をリーダーにすることで、女性蔑視的で風通しの悪い考えを持つおじさまたちが、自分たちの本当の顔を隠そうとしているのではないだろうか?
同様に、トラス前首相の言うデスチャ・フェミニズムについても考えてみる必要がある。パワフルな女性たちだけが先頭を闊歩することが女性の地位の向上なのかということだ。先頭を歩けない女性、別に先頭を歩こうとは思っていない女性、歩くだけで精いっぱいな女性たちも含めた全シスターズの経済的・社会的な状況が改善されなければ、マクロなジェンダー・ギャップは縮まらない。
女性政治家が女性たちにとって生きやすい社会をつくりたいと言うとき、それが彼女自身のように強くて野心のある女性たち限定のシスターフッドを意味していたら、排除された女性たちにとってはかえってつらい状況になることもある。英国のサッチャー元首相は、元側近から「彼女にはシンパシーはあったがエンパシーはなかった」と言われたことがあるが、指導者に必要なのは自分と似た者への共感や同情ではなく、自分とは異なる者への想像力と理解だ。
女性の政治リーダーはロールモデルと呼ばれがちだ。だが、彼女たちが謳うシスターフッドにはエンパシーはあるだろうか?
だまされないよう、ぼったくられないよう、注視し警鐘を鳴らし合おう。それこそが地べたのわれわれにできる「Sisters are doin’ it for themselves」の「it」なのである。
※ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
1965年福岡県生まれ、英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。初の少女小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)が好評発売中。