"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
年末年始は、仮装している子どもたちの姿をよく見かけるシーズンだ。英国では、誰かの誕生パーティだとかワールドブックデーだとか子どもたちが仮装する機会がたくさんある。クリスマスパーティもその一つに数えていいと思うが、なぜかクリスマスが終わっても、スーパーなどで仮装している幼児の姿を見ることが増える。子育て経験のある人間として、わたしはその理由をよく知っている。クリスマスプレゼントに仮装用の衣装をもらった子どもたちが、仮装する機会が来るのを待ちきれず、さっそくもらったものを着てどこかに行きたがるのである。
子どもたちに人気のキャラクターは時の経過とともに変わる。しかし、女児の間では、一番人気のキャラクターは不動である。『アナと雪の女王』(’13 )のエルサだ。日本の皆さんもよくご存じだろう。あの、水色のドレスを身にまとい、ほとんどシルバーと言ってもいいようなプラチナブロンドの長い髪をした「レリゴー」の歌のプリンセスである。
小学校の教員をしている知人が、エルサ人気は「ほとんどカルト」だと言っていた。来る年も来る年も、小学校で仮装イベントがあるたびに、女子のほとんどはエルサになって登校してくる。まるで「ミニ・エルサのループ」と彼女は呼んでいた。映画公開時から10年以上がたつというのに、このループは切れる気配がないという。
知人によれば、仮装したがる年頃を卒業しても、女の子たちの心の中にエルサは生き続けているそうだ。ティーンになった自分の娘が誰かのハウスパーティに出かけ、深夜に車で迎えに行ったりすると、「レリゴー、レリゴー」と熱唱している女子たちの歌声が庭から聞こえるらしい。「もうあれは、Z世代のアンセムと言っていいと思う」と知人は言っていた。
10年前、あの映画が世界的大ヒットしたときに、少女たちがなぜあのストーリーに熱狂するのかは語られ尽くしたと言っていい。自分の能力を隠さず、出してしまっていいのだというフェミニズム的メッセージがウケたともいわれた。さらに、勧善懲悪型のわかりやすい話ではなく、誰もが被害者となり、同時に加害者にもなり得るという複雑な現実を投影した物語が、高度情報化時代の子どもたちにはリアルだったという説も聞いた。誰も正義のヒーローではないし、100%の悪役でもない。それぞれ美点と弱点があり、失敗もやらかす。それでいいのである。激しく湧き上がる感情を抑えきれずに爆発させることがあっても、アナがエルサを愛し続けたように、人は他者に受け入れられ、愛される。これは、まだ人間として発達途上にあり、自分の感情を抑制することができず、時として持て余してしまうことのある子どもたちには、心強いメッセージになったに違いない。
前世紀なら、すべてを凍らせてしまう負の力を持つエルサではなく、素直で明るいアナのほうが人気になった。悪役になってもおかしくないキャラクターがいまだに愛され続けているのは、「みんなにとって都合のいい子」にならなくていいんだと女の子たちを勇気づけるからだろう。場を和ませるような優しい子、まっすぐな子、扱いやすい子でいろという無言の圧に従わなくていい、自ら「いい子の呪い」にとらわれて自分を押し殺す必要はないのだ。ちょっとばかり面倒くさい子でいてもいい、というメッセージがいまでも刺さっているからティーンになっても女の子たちがエルサの歌を合唱するのかもしれない。
エルサ世代は長い女性たちの闘いの先に立っている。「ありのまま」でいいと信じて育った女性たちの前途は明るい、と書きたいところだが、新たな暗雲を感じさせる記事を読んでしまった。テクノロジーが女性の権利を後退させる恐れがあるというのだ。生成AIの未来から、女性が抹消される懸念があるという。生成AIのChatGPTを開発した「オープンAI」のCEO、サム・アルトマンは、一度は解任されたものの再びCEOに復帰したが、彼の復帰を要求する書状に署名した社員702人(全社員数750人)は75%以上が男性だったそうだ。AI開発チームにジェンダーの偏りのあることは以前から指摘されていたが、それを裏付ける形になった。これからの時代のかぎを握るといわれる生成AIの開発に、女性があまり携わっていないというのである。
すでにAIの女性差別的傾向は話題になっているところであり、たとえば、「アマゾン」は自社で人材採用のAIツールを開発していたが、AIが女性を差別していることがわかり、5年前に稼働停止にしている。これは過去10年間に提出された履歴書のパターンを学習させたためだと説明された。技術職の応募のほとんどが男性だったため、男性を採用するのが好ましいとAIが判断してしまったらしいのだ。履歴書に女性に関連する記述(「女性チェス部の部長」とか「○○女子大卒」とか)があるとそれだけで評価を落とされていたという。
AIは社会を映す鏡だといわれている。学習させられるものをそのまま学習するからだ。それが「いい」とか「悪い」とか判断しない。そのため差別的データを読み込むと、人間よりも徹底して精密に差別を行うようになる。だからこそ、学習させるデータの選別はシステムの開発者にゆだねられているのだが、そこに女性が少なければ、女性の視点が含まれない選別になってしまう。自分の能力を隠さず、出してしまっていいのだと『アナと雪の女王』に教わった少女たちが大人になっても、AIに差別されて自らの能力を発揮できなくなるとしたら皮肉な話である。
テクノロジーが発達すればいろんなことが前に進むと思いがちだ。しかし、差別の問題に関しては逆行する恐れもあり、女性たちが草の根で声を上げなければならない局面が訪れるかもしれない。そんなとき、「レリゴー」世代が思い出すべきは、『アナと雪の女王』のもう一つのメッセージだろう。身を挺して姉を救おうとしたアナとエルサのシスターフッドである。あれは、どこかから王子様が現れて問題を解決するストーリーではなかったのだ。姉妹の愛だけが魔法の力を制御できたように、シスターフッドもAIを制御できるようになる。たぶん。いや、きっと。
ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。自伝的小説『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)が各所で話題。