ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY
"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

出版社から「あなたはこのテーマに関心を持つのではないか」と献本をいただき、まんまとハマることがある。が、最近この経緯で読み、深い感銘を受けたのは一般書籍ではなく、コミックだった。と言っても、正確にはグラフィック・ノベルと呼ばれるジャンルになるらしい。高い物語性や芸術性を志向し、成熟した読者を対象とする作品を特にそう表現するそうだ。
作者はカナダ出身のコミック・アーティスト、ケイト・ビートンだ。北米のコミック業界では、最も成功した女性作家の一人として知られている。『ニューヨーク・タイムズ』紙のグラフィック・ノベルのベストセラーリストに載り続けるような作品をいくつも発表し、数々の賞を獲った輝かしいキャリアの持ち主らしい。
しかし、わたしが読んだのは、まだ彼女のキャリアが輝き始める前の、大学を卒業してすぐの頃の経験に基づいた自伝的作品だ。『DUCKS(ダックス) 仕事って何? お金?やりがい?』というタイトルで邦訳されたこのグラフィック・ノベルは、大学を出たばかりの「ケイティ・ビートン」が、学生ローン返済のためにアルバータ州のオイルサンド採掘現場で働く決意をするところから始まる。
オイルサンドとは、石油成分を含む砂岩のことで、主にカナダの中西部、アルバータ州北部で産出されているそうだ。オイルサンドから得られた原油は、石油製品に精製されたり、原油としてパイプラインで運ばれるという。この物語が始まる2005年頃には、ケイティが生まれ育った地域では「いい仕事、いい給料、いい生活を得るための場所はアルバータ州北部のオイルサンド」と言われていたらしい。原油価格はかつてないほど高くなり、オイルサンドには求人とお金があふれていたのだ。ケイティの文学士の学位では高収入の職にはつけない。好きな絵の世界でキャリアをスタートさせたいという夢はあったが、チャンスをつかむまでたいした収入は得られないと知っていた。だから、まず学生ローンを返済して、自由の身になりたいと考えたのだ。
ほとんど男性しかいない危険な採掘現場で働こうとするケイティに、現場で働いたことのある叔父は工具倉庫の担当になったらと言う。大金が稼げる採掘現場のキャンプには、必ず工具倉庫があるからだ。アルバータ州に単身で向かったケイティは、そこで彼女を待ち受けている環境がどんなものであるか、想像はできたとしても、本当にはわかっていなかった。
妻子を置いて単身でキャンプに稼ぎにきた男性や独身の若い男性だらけの職場に、若いケイティがやってくると、彼女を見るために男性が群がり、下卑た言葉を浴びせられ、危険を感じるようなセクハラも日常的にある。大卒のケイティはこの状況に辟易する。そしてある日、ずっと工具倉庫で働いてきた女性の先輩すら、男性の誘いから自分を守ってくれないことを知って不満を口にする。
男性に比べて圧倒的に女性が少ない職場だからといって、女性であるというだけで注目されるのは人間として扱われていない気がするし、自分のことなんか何もわかっていない人たちに誘われても当惑するとケイティは言う。「あの人たちとどう接していいかわからない」というケイティに、女性の先輩は言う。
「それって随分相手をバカにしてるよね。あいつにチャンスをあげるのの何がダメなの?」
この言葉は、実際にこういう場に身を置いた人にしか書けないと唸った。
実際、ケイティは、オイルサンドで性的暴力も体験することになるし、一貫して現場の男性たちの女性蔑視を批判的に描く。だがそこで終わらないのだ。人里離れた孤立した職場で、劣悪な保護具や備品しか与えられず、労働「力」や人「材」として扱われ、人間としては扱われない過酷な職場が、人の精神や行動にどのような影響を与えるかを淡々と観察し続ける。自分への男性たちのしうちがひどければひどいほど、なぜ彼らはそうなったのかを深く考えずにはいられないのだ。自分の家に帰ったら絶対にやらないことを、彼らはオイルサンドではする。人間は環境の産物だということを、本に書かれた情報ではなく、実体験で思い知るのだ。
ケイティは、一度はオイルサンドを去り、バンクーバー島ビクトリアの海洋博物館で働き始める。しかし、安い月給では学費ローン返済どころか、生活もままならない。結局、再びオイルサンドに戻るのだが、そのとき、彼女と同じようにオイルサンドで働き始めた姉と交わす会話が印象的だ。
「もしパパが私たちを養うためにここに来てたらどんなだったか、考えたことある?」
「本当言うとあるよ」
(中略)
「パパもここにいる人たちみたいになっちゃうのかな。だってここはそういう場所だよね?」
この作品の著者は、自分の身に起きたことすべての責任をオイルサンドの男性たちに転嫁することで思考を停止しない。これは究極のエンパシーと言っていい。エンパシーと言えば、人を傷つけないようにしましょうという文脈で語られることが多いが、この作品を描いたアーティストは、自分を傷つけた男性たちの靴を履かずにはいられない。彼女自身が彼らをそうさせてしまう環境で生き、自分も変わり始めていることを知っているからだ。
それは、大学を出たばかりのケイティが「あの人たちとどう接していいかわからない」と上から目線で発した言葉の匂いをかぎつけられ、「それって随分相手をバカにしてるよね」と長年オイルサンドで働いた女性に言われた頃を考えれば、180度と言っていいほどの変化だ。
この作品は、オバマ元米大統領が2022年のベストブックに選んだことで話題になったそうだ。大統領時代に「エンパシー」という言葉を連呼したオバマらしいチョイスだが、第二期トランプ政権が始まるいまだからこそ、さらに困難で、表層的ではないエンパシーを考えるために重要な一冊だと思う。自分たちとは違う人々をひたすら軽蔑し、話し合うことを拒否するだけでは、シスターフッドも(そしてヒューマンフッドも)、身内だけを意味するスローガンで終わる。いつまでも「あの人たちとどう接していいかわからない」で止まっていてはいけないのだ。

ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。新刊に『地べたから考える——世界はそこだけじゃないから』(筑摩書房)。