ポップスターの婚約とフェミニズム【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】

"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談

※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

ブレイディみかこのSISTER

日本への帰省から英国に戻り、さあ、今年の夏の英国はどんなことになっていたのかしらと不在中のニュースをチェックしていてびっくりした。テイラー・スウィフトの婚約発表をネタに、女性ライターたちがこぞって論考を書いていたからだ。

なんでみんなテイラーの婚約をそんなに熱く語っているのか、と驚いた。が、保育士として働いていた頃、そして、小学生の子を持つ親であった頃を思い出すと合点がいく現象でもあった。〝アナ雪〟のエルサが少女たちに絶大な人気を誇ったのと同様、テイラーもまた熱狂的に少女たちに支持され、愛されていたからだ。陰惨なニュースではあったが、昨年、英国で起きたサウスポート殺傷事件が世界中で報道されたとき、小学生の少女たちが被害に遭ったダンス教室では、テイラー・スウィフトをテーマにしたイベントが行われていたことは日本でも報じられていただろうか。このニュースが英国の人たちを肌感覚で震え上がらせたのは、テイラーに夢中になり、彼女の曲を歌い踊る娘や孫や姪っ子や友人の子どもを、誰もが一人ぐらいは知っているからだ。

テイラーの音楽とともに育った女性たちにとり、彼女の婚約は、一国の首相が代わるぐらい(あるいはそれ以上)の大事件なのかもしれない。なぜなら、テイラーは彼女たちのロールモデルであると同時に、ともに茨の道を歩いてきたシスターのような存在だったからだ。

テイラーは、あれほどの大スターでありながら、「恋愛がうまくいかない女性」のイメージが強かったゆえに同年代や下の世代の女性たちの共感を得てきたと言ってもいい。彼女は自身の恋愛や失恋をネタに歌詞を書くことで有名であり、これは明らかにあの男性のことではないかとリスナーが勘繰ってしまうような一節を書き、そのたびに人々を騒がせてきた、私小説家的シンガーだったからだ。

オーストラリアの政治風刺漫画家、フィオナ・カタウスカスが、『ガーディアン』紙に発表した一コマ漫画が、そうしたファンの心情を端的に表現している。テイラー婚約のニュースを見たティーンとおぼしき女の子が、「結婚に失敗してほしいと思っているわけじゃないんだけど、きっと彼女は素晴らしい離婚アルバムをつくると思う」と期待の表情で言っているのだ。

わたしのボランティア仲間にも、「友だちがSNSで結婚発表したときみたいな複雑な気分になった」と言った30代の女性がいる。彼女などは10代のときからテイラーの歌を聴き、自分の恋愛経験にそれを重ね合わせながら大人になってきたに違いない。

ティーンがそっと日記に書くようなことをテイラーは子どもたちに大声で歌わせてきた。2010年リリースの「Enchanted」では「午前2時、あなたは誰を想ってる?」と歌い、その一方で「Dear John」では「親愛なるジョン、あなたが去った今、私にはすべてがわかる。もてあそばれるには私は若すぎたと思わない?」と年上の元恋人をなじるような言葉を書いた(これは交際していたジョン・メイヤーのことだと噂になった)。

2012年に発表された『Red』は究極の失恋アルバムといわれ、『ローリング・ストーン』誌が選んだ「歴代最高のアルバム500選」(2020年版)にも入った。当時のテイラーは、俳優のジェイク・ギレンホールや、ワン・ダイレクションのハリー・スタイルズとの交際が報じられており、二人との恋愛とその終わりが収録曲に反映されていると噂された。そんなテイラーも、2017年に英国人俳優のジョー・アルウィンと交際を始めると、安定した関係を築く。だが、6年間続いた交際もやがて終わり、テイラーは「So Long, London」という歌の中で、「あなたには腹が立つ。あんな若さをただでくれてやったなんて」と歌った。彼女のようなスーパースターでさえ、運命の相手を見つけることや「適齢期」の呪縛から逃れられないことを知った女性たちは、少しがっかりしつつ、内心ではこっそり親近感をおぼえたに違いない。

結婚が彼女の創造性を殺すのではないか、幸福になったテイラーには歌うことがなくなるのではないかとテレビで発言しているコメンテーターたちを見た。だが、結婚したら女性の創造性が枯れるという思い込みはどこから来たのだろう。だいたい、恋愛の分野で歌うことがなくなったとして、人間の生にはそれ以外の、歌にすべきテーマが山のように転がっている。そこには、誰かの配偶者となり、(そしてもしかしたらそのうち)母になることについてのあらゆる固定観念、そしてフェミニズムは男性を愛することと両立しないという古臭い考えと闘うことも含まれているだろう。こうした事柄は、テイラーの歌とともに大人になった世代の女性たちが直面している問題や矛盾と直結しているのではないだろうか。ミレニアル世代も中年にさしかかり、愛とか家族とか安定とかいうものをこっそり欲しいと思ったりする自分に気づく。でも、それは自立を犠牲にし、築いてきたキャリアを台無しにし、家父長制の影を引きずる狭量な型にはめ込まれて自分を縮めることにしかならないのだろうか。この大いなる疑問、そして実はどの世代の女性たちも抱えてきた普遍の問題が、テイラーのこれからのテーマになるとすれば、ポップスターがまともに掘り起こしてこなかったこの分野は、黄金の鉱脈になり得る。

女性の共感を集めるキャラクターの結婚は難しい。『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズだって、ブリジットがダーシーと結婚するとプロットに行き詰まったが、ダーシーを殺すことで再び勢いを取り戻した。だけど、テイラーはフィクションの主人公ではないし、ノンフィクションの結婚生活は「めでたし、めでたし」で埋め尽くされた日々でもない。だからこそ彼女は、独身女性だけでなく、すべての女性に刺さる言葉を紡ぎ、足元の経験からつながる新たなシスターフッドの波をつくっていくのではないか。それはきっと「幸福」と「不幸」というたった二つの言葉できっぱりと割り切れない、複雑で矛盾に満ちた生を経験している女性たちの、リアルなシスターフッドに違いないのである。

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ライター・コラムニストブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。本連載をまとめた『SISTER“FOOT”EMPATHY』(集英社)が好評発売中。

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