【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】バービーとシンディ、 そしてリカ

"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談

※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

ブレイディみかこのSISTER

今年の夏の英国といえば、映画『バービー』と『オッペンハイマー』だった。2本の映画が驚異的なヒットを飛ばしていたのだ。前者はピンクだらけの人形をモチーフにした映画、後者は原爆開発の中心人物の伝記映画ということで、これほどかけ離れた題材もないだろうというのに、なぜか2本のハシゴ鑑賞をするのが流行し、わたしの息子なども友人たちとそれをしてきた一人だ。

2本は映画界の救世主になる勢いなのだそうで、「バーベンハイマー現象」という(日本では特に物議をかもした)ムーブメントを生み出した。二つの映画の画像を組み合わせたミームがソーシャルメディアにあふれたのである。画像の色彩や俳優たちの表情など、これほど落差の激しい組み合わせもないが、それだけに面白がってミームを作る人たちが後を絶たなかった。わたしなんかは、やはり古い人間であるから、この2本を一緒に鑑賞しようという気にはならなかった。が、若者の間では、イチゴのショートケーキとイカの塩辛を一緒に食べるようなハシゴ鑑賞がちょっとした週末のパーティーみたいになっていた。

これはひょっとすると、分断社会の成れの果ての姿だろうか……、と思った。もうみんな、「自分はAがいいと思う」「自分はBを信じる」と言って分裂して対立するのに疲れて、「極端にかけ離れたものでも無理やり合体させて、一緒に楽しもう。どっちかを選ぶのはもうきつい」といった気分になっているのではないか。まあ現実はそんなふうに単純に人々の気分だけに左右されるものではないので、映画配給会社のマーケティングに乗せられているだけなのかもしれないが、2本の映画のすさまじい勢いを見ていると、世の中、何が流行するかわからないもんだと思ってしまう。

わたしは2本の作品をそれぞれ違う日に観てきたが、この連載としては、『オッペンハイマー』ではなく、『バービー』を語るべきなのは言うまでもない。しかし、わたしがこの作品を観て感じたものこそ、実は「極端にかけ離れたものでも無理やり合体させて、一緒に楽しもう」というスピリットだった。フェミニズム的なものと反フェミニズム的なもの、現実的なものと非現実的なもの、めっちゃ古臭いものと現代的なもの、それらを対比させて片方をおちょくっているようでありながら、実は無理やり合体させて「カモン・バービー、レッツゴー・パーティー」(Barbie Girl / Aqua)と大騒ぎしているような、そんな映画だと思った。

バービーランドのユートピアから現実の世界に行ったバービーが、自分はどれだけ時代遅れの存在と見なされているかを知ったり、多様性の問題に気を使ったりする部分は現代的だ。けれども、ボディイメージや人種の問題を考慮したと考えられる配役の真ん中に立っているのは、美しい人形のような肉体を持つ白人のマーゴット・ロビー(バービー)とライアン・ゴズリング(ケン)なのである。われわれはこの事実に違和感を覚えるべきではないのか?と思ったが、それこそがこの映画が訴えようとしている「現実の世界の不完全さ」なのかもしれない。

ところで、この映画がバービー人形の宣伝に大成功しているのは言うまでもなく、人形だけでなくTシャツやグッズなども売れていて、右を向いても左を見てもショッキングピンク色の夏だ。が、こうなってくるとバービー人気に異を唱える人たちが出てくる。英国では「バービーVSシンディ」論争がにわかに浮上しているのだ。

英国に住んで27年になるが、シンディ人形の存在をわたしは知らなかった。バービーで遊んだ女性たちよりも上の世代(わたしぐらいの世代)にとっては、米国生まれのバービーよりも、英国生まれのシンディのほうがなじみ深く、愛着があるらしいのである。知らなかった人たちはここでググっていただきたいが、シンディはバービーとは違うタイプだ。実は日本人にとってはどこかで見たことがあるような、親近感のある顔立ちと体形をしている。

実は、そこはかとなくリカちゃん人形に似ているのだ。長身ですらりと脚が長く8頭身のバービーとは違い、シンディは小柄で顔もふっくらとし、隣の家に住んでいそうな庶民派の外見だ。バービーが1959年生まれなのに対し、シンディは1964年生まれ。ビートルズやツイッギーやカーナビー・ストリートの時代の子どもたちに絶大な人気を誇ったのだそうだ。

バービーが映画になるのなら、シンディの映画も作るべきだという声がネットに上がっていて、#TeamSindyなるハッシュタグも生まれている。シンディが庶民派の外見のせいか、監督には社会派のケン・ローチはどうだろうという意見もあるようだ。

ふと思ったことがある。誰でも知っている人形を擬人化し、男性主導の社会や女性差別を滑稽に皮肉る映像を作るという点では、実は日本は英米の先を行っていたのではないかと。「現実を生きるリカちゃんねる」がすでにYouTubeに存在していたからだ。

リカちゃんのほうは、丁寧な生活に憧れて観葉植物を買って枯らせた、とか、社内バレンタイン廃止とか、扱う事柄が小さいというか、しょぼい。が、現実とはそういうものだ。バービー映画よりよっぽどリアルである。しかも、動画を見たことのある人はわかるだろうが、女優に人形を演じさせるのではなく、人形が女優になっている。動くと髪の毛が揺れたり、部屋でダラダラしているときの衣服が乱れていたり、忠実に再現してあり、芸がやたらと細かい。これが日本の働く若い女性たちの現実か、と納得させられてしまうのは、女優がリカちゃんだからだ。これが非現実的な容貌のバービーならこうはいかない。

「視聴者とリカちゃんはもはや戦友」という視聴者のコメントがYouTubeについているのを見た。足元からつながる等身大のシスター「フット」的感情が、動画を通して広がっているのだろう。見たところ、日本のリカちゃんはモヤつきを抱えながら、どこか冷め、疲れているようだ。願わくは、そのうちブチ切れて「うりゃああ」と立ち上がるリカちゃんを見てみたい。そのとききっと、彼女の戦友たちも反乱を始めるだろう。

ブレイディみかこプロフィール画像
ライター・コラムニストブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年福岡県生まれ、英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。初の少女小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)が好評発売中。

ブレイディみかこさんの連載をもっと読む

FEATURE
HELLO...!