『la Galerie du 19M Tokyo』で
日仏の技術が出合う

シャネルがつなぐ手仕事の対話

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『la Galerie du 19M Tokyo』で
日仏の技術が出合う

シャネルがつなぐ手仕事の対話

シャネルが今秋東京で開催する、フランスと日本の手仕事やアートが呼応し合う画期的な展覧会『la Galerie du 19M Tokyo』。3部で構成される本展のうちの一章、「Beyond Our Horizons 未知なるクリエイション、その先へ」に出展する職人が、作品や手の力への信頼、技術継承の思いを語る

CHANEL presents
la Galerie du 19M Tokyo

 
2021年にシャネルが設立したle19M内のギャラリー「la Galerie du 19M(ラ ギャルリー デュ ディズヌフエム)」は、エキシビション、トーク、ワークショップなどを通して、クリエイターと工芸職人の技術を伝え展示するスペースだ。今秋、そのギャラリー主催の展示が東京で開催。3部構成のうち「Beyond Our Horizons(ビヨンド アワー ホライズンズ) 未知なるクリエイション、その先へ」と名付けられた展覧会では、日本とフランスの約30名の職人やアーティストの作品が会場を彩る。会場では特別なオーディオガイド(無料)を提供予定。この展示では、映画監督の安藤桃子監修のもと、俳優の安藤サクラが日本語、俳優でアンバサダーの宮沢氷魚が英語のナレーションを担当する。
 
会場/東京シティビュー&森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
会期/9月30日(火)〜10月20日(月) 無料(予約制)

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沖縄独特のイトバショウ(糸芭蕉)は、糸にするととても艶があり、しなやか。織り上げた布は皮膚の延長といえるほどの肌ざわりになる。しかし扱いが難しく、ルサージュの職人からも、一日で数センチしか織れないとメールが届いたという。

「ヨーロッパでは、植物の根にあまり触れる機会がないようです。植物のとらえ方や、伝統そのものが違うので仕方がないんですが、根がないと花も咲かないし実もできない。だから今、彼らは根に関心が向いています。畑で芭蕉を倒して、根を見せてあげるととても感動するんです」

根というのは生活という意味でもある。暮らしの中から糸が生まれ布ができ、衣服になる。それは人の営みの必需品であり、祭事の道具でもあった。そういう伝統や暮らしに根ざした日本やアジアのものづくりが、ヨーロッパの若者たちに魅力的に映るのかもしれない。

「ものづくりは暮らしの一環です。暮らしの中で仕事をして、仕事の中に遊びがある。経糸があって緯糸を入れれば布になるわけだから、作り方はシンプル。やる気があれば誰でもできるとみんなに言っています。もちろん伝統だけでは手仕事は失われるので、産業としても成立させないといけない。芭蕉を機械で糸にしたり織ったりする技術があと少しで確立するということで、産業はそちらで、伝統文化は手仕事でと、バランスよく続けられればいいですね」

石垣さんは故郷の竹富島からこの地に移り住み、亡夫の石垣金星さんと糸や染めに使う植物や米なども育て、自給自足の生活をしてきた。布になる植物を育てるのは農業なのだから、工芸に農業を取り入れるべきと、いつも主張してきたという。

「染織にはさまざまな工程があって、すべてに学びがあります。工程の中で一番興味深いのは植物を育てるところ。土地、季節、育て方、それぞれに違いますし、いつ花が咲いて染料に使えるのかも違う。それは植物が教えてくれるんですが、対等に生きていないとわからない。それが学びのひとつ。ここではどの時季に何の作業をするかという循環がちゃんとできています。自然が先にあって、人間は後というのは、昔からこの土地の言い伝えにもあるんです」

1 芭蕉とシルクを掛け合わせた八重山上布
2 芭蕉と綿の着物。肩に掛けているのはキサージという願いを込めた布で祭事に使う
3 たくさんのものを生み出してきた石垣さんの手
4 「紅露工房」の芭蕉畑。敷地内には百種類近くの有用植物があり、すべて暮らしの役に立っている

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手で紡いだ芭蕉糸に、ツイード生地用のスパンコールが織り込まれた糸を織機にかけ、間に挟みつつ織っていく。「織物は両手と両足を同時に使う仕事。ITが発達しても、人間の体に備わったバランスは手仕事の中に残っていきます。織った布が何になるのかは、素材が教えてくれるものです」

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石垣昭子さん

1938年生まれ。沖縄県西表島在住。女子美術短期大学でファッションを学んだあと、京都で志村ふくみに師事。1980年に夫の石垣金星と西表島に「紅露工房」を設立。伝統染織工芸の復興や、祭事の衣装の復元に努め、作品は海外の美術館にも展示される。

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五十嵐さんを強く惹きつける手仕事と自然。そこには密接な関係性があり、その理由のひとつは、今回同じ展覧会に参加している染織家の石垣昭子さんの存在だ。

「母方の実家が山形で米沢織という伝統工芸の工場を営んでいました。だから、小学生の頃の夏休みは織機の音をずっと聞きながら過ごしていたくらい、手仕事は身近な存在でした。さらに、以前縁あって石垣さんの『紅露工房』に伺ったとき、着るものも食べるものも全部自分たちで作っているのを見て、都会育ちの僕はとても刺激を受けたんです。自力で何かを一から作り上げる人にとてもリスペクトを感じます」

「紅露工房」を見学したときの強烈な体験は、一時期、岩手県の山の中で自給自足の生活をすることにつながった。自然の中で日々暮らしているとさまざまな不思議に気づいて、それが生活の知恵になったり思いもよらない表現になったりする。

「自然の中には想像もつかないような造形があります。でもそれ以上に面白いのは動き。たとえばビルなど人間の造ったものは基本的には止まっています。でも昔住んでいた山奥の家では一歩外に出ると、木の葉や雲が風に吹かれるなどして、目に入るものすべてが動いている。それがとても心地よくて、その感じを表現したくなるのかなと思います」

自然から受け取った感覚は今も大切にしていて、街に住んでいる現在も毎日の散歩は欠かさない。散歩をしながらものを考えるほうがアイデアが生まれやすく、歩きながらいろいろなものを目にしている。

「言葉から発想が生まれるときもあります。だから散歩をしながら周囲に目を向けつつ、頭の中では言葉を転がしている。気になったことを考えて歩いていると、全然関係のないものを見たときに、急にヒントが降ってくることがあるんです」

漫画以外に絵本も手がける五十嵐さん。作品は誰かに読んでもらって初めて成立するものだと考える。

「僕が見た世界を落とし込みたいと描いているけれど、漫画は白い背景に黒い線や点の連なりを人間の脳内で形として認識し直しているもの。だから現実世界ではないし、脳内で編集しているから、ある意味嘘です。でもそれを読んだときに湧き上がる感情は本物。僕が描いたものは嘘でも、読者にとっては本物であり、その人だけの物語になる。漫画にはそういう面白みもあるんです」

1 昆虫や恐竜のディテールを知るためフィギュアを収集
2 繊細な素材フルーを扱うアトリエ パロマの生地。スモッキング刺しゅうが細かい
3 写真を収めた大量のアルバム。小学校高学年の頃から、気になったものをカメラで撮る習慣が生まれた
4 代表作『リトル・フォレスト』など。絵本作家としても活動

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五十嵐大介さん

埼玉県出身。多摩美術大学美術学部絵画学科を卒業後、『月刊アフタヌーン』(講談社)でデビュー。『魔女』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、『海獣の子供』(ともに小学館)で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。ほかに『リトル・フォレスト』(講談社)など。

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これまでいくつかの海外のアーティストとの仕事や建築プロジェクトにも参加してきた。その経験から感じたのは日本と海外のものづくりの方法や考え方にはおのおの特徴があり、その違いはよし悪しではないこと。

「日本の職人は圧倒的に“手がいい”と思います。海外の職人は感覚がすごくいいんですが、細かなディテールや収まりはやはり日本のほうがしっくりくる。反対に、海外はそういうディテールを覆い被せるセンスがあるんです。僕は日本の建築や工芸を見たときに、余白がきれいに取られているものに惹かれるから、自分の作るものでもできるだけ“引く”ことを考えます。でも今回フランス側から、あまり引いていくと何もやっていないように見えるのでは、という懸念が示されました。それもよくわかるんです。でも僕は、装飾よりも素材のよさをもっとよく見てほしいと思う。その違いを感じながら対話を楽しみました」

唐紙は木版を摺るという一種の印刷技術。嘉戸さんはグラフィックデザイナーだったときも紙や印刷に興味があり、デジタルとは正反対の唐紙に魅了された。とにかく印刷技術として美しい、と惚れ込んでいる。

「工程の中で最も面白いのは、やはり摺り上がり。普通の印刷だとインクが主ですが、僕らは顔料を使っています。その顔料の絵の具を版木にのせて、手で摺って写し取るのですが、紙と絵の具の手加減のバランスがピタッと合わさると、とてもきれいに絵の具がのります。なかなかないことですが、そのときは本当に気持ちがいい。逆に難しいのは調色。色を作ることです。たとえば修復など、昔のものを直すときは『この色を出してください』と昔の色見本を見せられます。そこに合わせていくのは本当に大変で。古いものは退色しているから、今見ている色なのか、当時の色なのかを自分なりに解釈して説明するなど、毎回悩みます」

ものづくりの出発点は、経験と依頼主の話をよく聞くこと。自分からの発想以前に、何を求められているかを考える。やはりアーティストというより職人と呼ぶほうがふさわしい。

「唐紙は古典なので、もともとの寸法や色合わせなど型がしっかりある。そこをできるだけ守りつつ、少しだけ崩すなど無限にやれることがあるんです。だから個性を出そうと考えるよりは、そこに立ち戻ることが多い。今回作ったものも、自分の中では古典的な型があって、そこから派生しているので、もしなぜこれを? と問われたら、全部答えられます」

1 和紙を染めたあと、乾かしていく
2 コサージュの型を使った花のパーツ
3 染めた和紙を乾かすための板。使い込まれた道具にも美が宿る
4 胡粉(貝殻から作る白い顔料)を溶いて色を作る。「ベースになる顔料からどう調色して、依頼主に納得してもらうかはかなり大事です」

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嘉戸 浩さん

京都生まれ。京都でプロダクトデザインを、アメリカではグラフィックデザインを学び、NYでデザイナーとして活動。帰国後、唐紙の修業を経て独立。工房兼ショップ「かみ添」を開き、建築やデザインの仕事、国内外のアーティストとの共同企画も手がける。

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長く引き継がれてきた家業が、両親や自分たちの代で傾きかけたとき、現在もブランドディレクターとして関わる、当時フリーデザイナーだった地元の先輩から、ウェブサイトを作る、照明ブランドを立ち上げるなどのアイデアとアドバイスを受け、兄とともに立て直した。

「僕らは白い提灯の製造卸しの仕事を、職人さんとともにいわゆる家族経営でしていましたが、それでは難しくなって、アバウトだった部分を見直していった感じです。自分たちより、外の人にいろいろと協力してもらうことで変わっていきました。今の状況は、ブランドディレクターやフォトグラファー兼広報担当者、海外担当者と家族、そして職人さんが一緒に頑張った結果です。あと、どこかで僕たちの作った提灯を見た人からの依頼も増えたので、提灯自体が一人歩きして、営業してくれているような感覚もあります」

兄は京丹後で竹割り(提灯の骨を作る作業)をし、絵付けは父が行い、その間のさまざまな工程を諒さんや職人、家族など数人が担っている。

「提灯のどこに惹かれて家業を継いだのかは、ひと言では言い表せません。でも、たとえば和室に和紙を通した灯りがひとつ灯っているだけで、何となく落ち着くじゃないですか。反対にお祭りなどでたくさんの提灯が並んでいるとわくわくして高揚する。そんな極端なことができるものはなかなかないですよね。最近はそういう提灯の持つ性質はすごいと感心しますし、それを作る自分たちの仕事を誇らしく感じます」

現在では海外からの依頼も増え、建築やアート作品とのコラボレーションなど、提灯の可能性を広げている。

「僕らはアーティストとは違って工芸の職人です。だから何もないところから立ち上げるより、技術をどう使えば依頼されたものができるかを考えて作る役目。思った通りにいかなかったときでも、その試行錯誤はスキルとなって将来に生かせます。見方によっては若干逃げの姿勢に見えるかもしれませんが、その職人という立場を、今は貫こうと思っています」

1 家族で作業する様子
2 京都南座の大提灯は毎年12月の顔見世興行のアイコン的な存在
3 メゾン ミッシェルの帽子の木型を使って作品を制作。さまざまに想像をめぐらせて京提灯との融合を図る

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小嶋 諒さん

寛政年間創業の小嶋商店。10代目小嶋諒は1989年生まれ、京都出身。高校卒業後、父のもとで京提灯製作の修業を開始。2013年、兄と灯りブランドも立ち上げ、京提灯の製法を生かした照明器具などを製作。新しい提灯の可能性を探る。

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もうひとつ重要なのは、茶道具の土風炉(5月〜10月に茶釜を火にかけて湯を沸かすための移動可能な土製の風炉)の技法を使った作品が展示されること。本展では、そこに刺しゅうが施された作品も見られる。永樂さんの家は京焼の窯元で、主に茶陶の仕事をする。4年前にその十八代を襲名した。何より、室町時代から家のいわば本業として代々製作し、明治期に途絶えてしまった土風炉を再興させたい、という強い思いがあり、約10年前から研究を重ねている。

「九代までは土風炉を作っていましたが、その後陶磁器に比重が置かれて、明治以降は作らなくなっていました。でも家の仕事の軸として自分の代でまた作れるようにして、次世代につなぎたい。京焼は華やかで、僕も子どもの頃から柄も色彩も豊かなものばかり見てきました。反対に土風炉は手にするとよくわかるのですが、本当に真っ黒で輝いている。そこに引き込まれたんです」

漆を塗る製法もあるが、永樂さんの家がやっていたのは、湿った土をいわゆる泥団子のように時間をかけて磨いて硬くして輝かせる方法。約150年も作るのをやめていたので詳しい製法は伝わっておらず、残されたわずかなものを解析して少しずつ判明してきたところ。

「今は土風炉の技法を使った茶道具も作っています。今回、この技法で作った作品を出展できたのは、古いものから新しいものを生み出すという意味があるし、刺しゅうが施されることで、さらに未来に向かっていける可能性を感じています」

5年前、京都の工房とは別に、滋賀県高島市の山の中にある古民家にアトリエを構えた。そこで畑仕事や山登り、釣りをするのが何より楽しい。

「自然が豊かで四季が感じられる場所。うちの家は季節に関わるモチーフを使う仕事が多いので、着想源としてとても頼りになるんです。たとえば水のイメージであれば、上から見ているだけではなく、渓流釣りをしながら水に入ってみて、流れや岩を見たり水圧を体感したり。そうすることで自然はいろいろなことを教えてくれる。その時間はとても大事にしていて、週に2度は必ずひとりで行くようにしています」

1・2 京都の工房。下絵作業中の永樂さん
3 土風炉作りに使用する燻窯。土の表面を磨いて燻すと色が黒くなる。高島のアトリエはそもそも燻窯を作ろうと見つけた場所だったが、探すのに2年かかってしまったため、結局窯は京都の工房に設置
4 まろやかな黒い光を放つ、土風炉の技法を用いた鉢。土の乾き具合と、石や金属などの磨く道具の硬度が一致すれば、輝きもひときわ美しくなる

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永樂善五郎さん

土風炉師として室町時代より約500年の歴史を持つ善五郎家は京焼の名家。三千家の職家で茶陶を担う「千家十職」のひとつ。十八代を2021年に襲名し、土風炉・焼物師となる。2025年10月襲名記念の個展『十八代 永樂善五郎展』を京都高島屋で開催。