現在生きている最も偉大な舞台作詞家――60年以上のキャリアを通して、ソンドハイムは仲間たちの力も借りながら、アメリカのミュージカルをつねに革新してきた。そして今ふたたび、彼は私たちを驚かそうとしている
大衆的であったミュージカルを芸術の域に拡張した、“ブロードウェイの伝説の男”スティーブン・ソンドハイム。87歳にして、今もなお現役で作詞作曲に取り組む彼の表現哲学とは。2016年に11部門でトミー賞を獲得したミュージカル『ハミルトン』で作曲、作詞、主演を務めた鬼才リン・マニュエル・ミランダを聞き手に行われた、貴重なインタビュー続編。
> ブロードウェイの伝説の男スティーブン・ソンドハイム。その表現哲学を語る<前編>
私たちは次の話題に移った。いい仕事仲間とはどんな存在か?
ソンドハイム:私は、書く気を起こさせてくれるような人間と一緒に仕事をするのが好きだ。君も承知のとおり、そういう人は見つけるのが難しいけれどね。私にとって、という意味じゃなく、誰にとってもだ。結婚みたいなものだから、もし探すなら……。
ミランダ:時には裸にならないといけない相手ですしね。
ソンドハイム:驚きを与えてくれる人間じゃないと。昔から言われていることだけれど、我々は危険なものに立ち向かわなければいけない。自分を不安定にさせ、自分自身を疑わせるようなものと向き合わなければならないんだ。
ミランダ:危険と不安定さについて、少し話してもらえますか?
ソンドハイム:それは、まだ経験したことのないことに挑戦するための刺激を与えてくれるものだ。かの詩人が言ったように、これからどこに向かうかが分かっていたら、もうそこには行ったことがあるってことさ。つまりそれは死だ。その先には情熱のないつまらない詞や、マンネリ化したくだらないショーしか生まれない。
ミランダ:『ハミルトン』を上演して以来、あらゆる時代の歴史ものをやりませんか、と言われるんですが。
ソンドハイム:そりゃそうさ! だからそれだけはやっちゃダメだ。私も『ジプシー』以降、演劇界の舞台裏を描いた話ばかりもってこられたから言ったんだ。『私が唯一書きたくないのは、ショービジネスに関する話です』って。それだけは嫌だった。
その件に関しては、ソンドハイムは確実に自らの助言に従ってきた。過去半世紀のあいだ、彼は自分自身で選んだ主題によって、ミュージカル演劇が表現できる物語には限りがあるという考え方を打ち砕いてきた。暴力的な理髪師(ヒュー・ウィーラーと共作した『スウィーニー・トッド』)から、古代ローマ時代の風刺コメディ(脚本家のバート・シーブラブとラリー・ゲルバートと共作した1962年の『ローマで起こった奇妙な出来事』)や、ルールに反したおとぎ話の集大成(ジェームズ・ラピンと共作した『イントゥ・ザ・ウッズ』)まで。こうした幅広いテーマを網羅しながら、彼と仕事仲間たちは、ミュージカル演劇の形態においても過激なまでに実験を積み重ねてきた。例えば、同じくラピンとの共作である『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』。まるで蝶つがいでつなげられた2枚の絵のような、この作品の構造に注目してみてほしい。それぞれの幕の出来事が、1世紀離れた別の時空で起こるのだ。
またジョージ・ファースが脚本を書いた『カンパニー』(1970年)は、ひとりの決まった相手と人生を共にすることについての考察で、今までの演劇にない斬新さがある。ソンドハイムはこの劇を「筋書きのないミュージカル」と呼んだ。彼はさらに1971年の伝説的なミュージカル『フォーリーズ』を生みだした。ジェームズ・ゴールドマンの脚本で、1930年代のジーグフェルド風のレビューの舞台を引退した出演者たちの再会を描いた作品だ。「主題と内容から、形が決まる。『よし、再開のパーティーだ』という場合、無理にあらすじを考えようとしちゃダメだ。でもあらすじがないとしたら、話はどうやってまとまるんだろう――? ほら、そこが危なくて恐ろしいところなんだよ」
私たちは、観客と劇作家の両方に驚きを与えてくれる主題に惹きこまれていくものなのだ。
ソンドハイム:それについては、ピーター・シェーファー(※9)から大いに学んだよ。私たちはあるとき、芝居を一緒に見に行った。スペインの狂った女王の話で、第一幕でレイプが2回起き、内臓が身体から取り出され、火事が起きて子供に何か恐ろしいことがが起きる。内容はもう忘れてしまったけどね。で、第一幕が終わって私は言ったんだ。「ゾクゾクすることばかり起きるのに、どうしてこんなに退屈なんだろう?」ってね。すると彼はこう言った。「驚きがないからさ」。私は「浴室の鏡にこの言葉を貼っておこう」と思ったよ。驚き――。もしそれが歌詞の中にあるとすれば、それはつまり、思いもよらぬ言葉や想像もしていなかった曲、予期せぬ出来事になるわけだ。
想像がつかないこと、思いもよらぬこと。それが演劇ってものだ。舞台演劇が何かひとつ特許を取得しないといけないとしたら、それは驚きだよ。
ミランダ:詞を書いている時、自分自身に驚いたことがあれば、その例を挙げてもらえませんか?
ソンドハイム:何を言ってるんだ。書き手なら、いい曲やいい言葉を考えついた時はいつも驚いているものだよ。「書けるかどうかわからなかったけれどできた。ああ、これはいいぞ!」って思うんだ。書くことは、書き手にとって驚きだらけだ。それはあたりまえのことだよ。でも、僕たちはそれとは別のことを話してるんだろ。観客を驚かすってことを。
ソンドハイムは、はぐらかして質問には答えなかった。彼は書いている過程で自分が驚いた具体的な例を挙げることには興味がないのか、または、そんなことは何度もありすぎて選べないのか。いや、それこそ彼にとっては自然なことなのだろうが。
2年前、私はソンドハイムとジョン・ワイドマンをPBS(公共放送)のドキュメンタリーのためにインタビューした。だが、インタビューの中の私のお気に入りのシーンは放送されなかった。そのとき私たちは、『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』の中の一曲、『フィニシング・ザ・ハット』(※10)について話していた。ソンドハイムの曲の中でも最も賞賛された曲のひとつだ。そしてこの曲の詞は、何かを創造する過程で自分が自分にかけてしまう魔法について書かれた、最も偉大な詞ではないだろうか。ソンドハイムの仕事の相棒はインタビューの中で、彼らが組んで仕事をする時とまったく同じように、ソドンハイムの一番いい部分を引き出していた。
ワイドマン:君があの詞を完成させた夜、僕に電話をしてきたのを憶えてるかい?
ソンドハイム:(笑いながら)興奮してたかな?
ワイドマン:興奮なんてものじゃなかったよ。とにかく誰かに電話して伝えなきゃ、という感じだった。僕は電話をかけるリストの17番目の相手だったかもしれないけど、君の声はうわずってた。『この歌を今書いたんだ』って言ってさ。
ソンドハイム:ああ、憶えてるよ。みんなに言いたかったんだ(笑)。みんなにあれを聞いて欲しかった。ものすごく嬉しかったからさ。
ミランダ:あなたがご自分の本の中で、あの曲を作った過程を書いた箇所が大好きなんです。フィリス・ニューマン(※11)主催のパーティに持っていくためのゲームを作っていた時に、詞が浮かんできたんですよね。で、ひと晩中、トランス状態みたいな感じで過ごしたことに気づいたとか。
ソンドハイム:夜の8時にゲームを作り出して、ふっと時計を見上げたら、もう朝7時だった。少し誇張してはいるけど、それほど違ってないはずだよ。時間が消滅してしまった。本当にそうなんだ。こればかりは自分で体験しないとわからないね。書いたり、創造したりすることの素晴らしさは、時が消えてしまうことだって。その瞬間を生きていて、その瞬間は8時間続くこともあれば、たったの2分間だったりもする。電話がかかってくるまでの間だったり、何か食べなきゃと気づくまでの間だったりね(インタビューをもっと読む)
※9 ピーター・シェーファー
英国を代表する劇作家。『エクウス』(1973年)や『アマデウス』(1979年)で有名。
※10 フィニシング・ザ・ハット
もしまだこの歌を聴いたことがないなら、本当に今すぐ聴いてほしい。参考までに、歌詞の一部はこんな感じだ。「帽子を仕上げている/どんな風に帽子を仕上げなくてはいけないのか/どんな風に自分以外の世界を見ているのか/窓から/帽子を仕上げている間に/空の細部を決めてアレンジして/空のことを計画しながら何を感じているのか/声が聞こえる時何を感じるのか/窓から/行け/彼らが遠ざかり死んでしまうまで/空以外に何も残っていないその時まで」
※11 フィリス・ニューマン
舞台・映画女優のフィリス・ニューマン。ソンドハイムが自作の詞について書いた2冊目の本『ルック、アイ・メイド・ア・ハット』(2011年)では、彼がこのパーティー用ゲームを作った時の一部始終や、『ゲット・アウェイ・ウィズ・マーダー』の内容の詳細が書かれている。同名の歌のように、この本は創作の過程がどんなものかを見事に文章にしている。
SOURCE:「Stephen Sondheim」By T JAPAN New York Times Style Magazine
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